前回の最後の橋は四宮上橋でした。→ 「区画整理後路線図」に点線で書き込まれているように、横切る通りが当時の杉並区上井草町と同四宮町の境となっており、ここから四宮中橋、四宮下橋と続きます。なお、四宮(しのみや)も一帯の字ですが、「新編武蔵風土記稿」や「東京府志料」に記載はなく、明治22年(1889年)成立の井荻村(のち井荻町)大字下井草の小字でした。下井草村の最西部と一部上井草村を含んでおり、ということは、そろそろ上井草村と下井草村の境に差し掛かることになります。現在の住居表示では上下井草の境は環八通りですが、元は→ 「東京近傍図」にオレンジ細線で書き込んだように、その数百メートル西寄りにあったわけです。
- ・ 井草川遊歩道 三度目の左カーブで北上する途中に、四宮中橋が架かっています。左手のプレートには「四の宮中橋 昭和36年11月」と書かれており、日付の入っているのはここだけです。
- ・ 井草川遊歩道 次の右カーブの先に架かる(おそらく)四宮下橋です。→ こちらは右岸段丘上からのショットで、坂下から突き当りの西武新宿線までが田圃の範囲でした。
- ・ 井草川遊歩道 四宮森公園前で四度目の左カーブ、すぐに西武新宿線と直交します。なお、右岸流はこの左カーブで本流に戻っていました。
- ・ 四宮森公園 右岸段丘の起伏を利用した設計で、斜面を流れ落ちるせせらぎや、段丘下に設けられた池が特徴です。井草川の暗渠化や遊歩道整備と同時期の、昭和55年(1980年)開園です。