神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

元吉祥寺

2019-02-28 06:02:15 | 神田上水

 東京ドーム前の白山通りに、壱岐坂下という交差点があります。これは新壱岐坂下と呼ぶべきもので、本来の壱岐坂下は一つ水道橋寄りですが、小石川邸を抜けた神田上水は、その本来の壱岐坂下で白山通りに出、そこで右折して南下していました。そして、水道橋手前で左折、外堀通りを東に向かい、右折して懸樋で神田川を越えるというコース取りでした。ただ、この間の数百メートルは、通りの下に石樋(石垣樋とも)を敷設したもので、→ 「寛永図」などを見ても、水戸藩邸以降の上水は描かれておらず、上水完成同時から暗渠だったものと思われます。なお、表題の元吉祥寺は水道橋の北東付近の旧名で、当地にあった吉祥寺が明暦の大火で駒込の現在地に移転して以降、そう呼ばれるようになりました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    1. 東京ドーム21番ゲート前から壱岐坂下方向を写しています。途中、クリスタルアベニュー前で、小石川大下水と交差していました。 

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    2. 元の壱岐坂下で右折、水道橋を目指して南下します。

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    3. 水道橋に向かう白山通りです。江戸時代に比べ、右手に拡張されているので、元の通りはこの左手にあったはずです。 

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    4. 外堀通りとの水道橋交差点で左折します。なお、右写真左手の都立工芸高校のあたりが吉祥寺の旧地です。

 <元吉祥寺石樋>  「元吉祥寺前上水道御普請、入札ニ被仰付候間」「元吉祥寺下上水道大吐樋並桝、今度石樋ニ被仰付候間」「今度元吉祥寺下上水道大渡樋御普請、入札被仰付候間」 これは延宝5年(1677年)の町触ですが、この当時のものか不明ながら、元吉祥寺の神田上水幹線の石樋(石垣樋)が本郷1丁目先の外堀通りで発掘され、復元されたものが水道歴史館と隣接する本郷給水所公苑に→ 展示されています。この石樋の構築方法ですが、まず幅300~350cm、深さ140~170cmの溝を堀ります。その底面に砂と粘土を敷きつめ、側面には間知石4段を積み上げるやり方で、結果石樋の内部寸法は、上幅150cm、下幅120cm、石垣の高さ120~150cmとなりました。そして、これには長さ180cm、幅30~60cm、厚さ20~30cm前後の石蓋がのせられていました。