新堀用水の元となった桃園川の支流の主要な水源として、青梅街道の南の田端村境近くにあった湧水池があります。そこからの流れは青梅街道と直交しており、文久2年(1862年)の→ 「村絵図」には橋が描かれていています。馬橋の名前の由来ともいわれる、馬でひとまたぎほどの狭い橋だったようです。なお、この付近は蕎麦(そば)窪と呼ばれていました。「新編武蔵風土記稿」に「西の方にあり」と書かれた小名ですが、文字通り蕎麦の窪なのか、あるいは(青梅街道の)傍の窪なのか、そのへんはよくわからないところです。
p>- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. ここから先の区画は馬橋児童遊園と称され、遊歩道内の所々に遊具が設けられていたりします。
- 2. 石橋湧水路の合流地点です。左折して青梅街道方向に向かいます。
- 3. オールドファッションな車止めが続きます。新堀用水関係では石橋湧水路以外では見ることができません。
- 4. 合流地点から青梅街道まで、百数十メートルに満たない行程です。
- 5. 青梅街道に突き当たって終了します。湧水は正面のビルの先にあったようですが、詳細は不明です。