神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

矢頭2

2015-11-26 07:01:58 | 妙正寺川1

 矢頭上橋の次は矢頭橋です。「東京府志料 / 巻之六」には井草川に架かる橋のリストがあり、そのなかに「土橋二 下井草村ニアリ一ハ谷頭橋一ハ柿木橋各長二間幅一間」と書かれています。この谷頭橋が矢頭橋だと思われます。豊多摩郡井荻町当時の地図を見ると、この橋の架かる道が上井草、下井草の二つの大字の境になっていて、かってはこの付近に上下井草村の村境があり、橋は下井草村に属していたのでしょう。→ 「東京近傍図」で見ると、丁度Uターンの頂点で流域を二分していることになり、それなりに納得できる村境の設定ではあります。 

 

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    ・ 井草川遊歩道  矢頭上橋を過ぎて右カーブ、東に向かって100m弱のところで、ここに矢頭橋が架かっていました。

0803b

    ・ 井草川遊歩道  矢頭橋の先で右カーブ、ここがUターンの頂点です。左手の車止めは前回の左岸流の→ 合流地点のものです。

0803c

    ・ 矢頭公園  右岸沿いに設けられた区立の公園です。矢頭橋からこの公園にかけて、井草川はその流域中、最も北を流れていました。

 <谷頭と矢頭>  矢頭と同じ読みである江戸時代の小名、谷頭との異同の問題です。「新編武蔵風土記稿」は「谷頭 北の方にて、竹下新田の堺にあり」としており、また寛政6年「星野家文書」の「谷頭口」の位置からも、井草川谷頭から離れ、下石神井村と境を接するこの矢頭とはずれが生じています。豊多摩郡井荻村(のち井荻町)の時代、谷頭からUターン部分までの井草川左岸は、大字上井草及び大字下井草にまたがって、広く小字谷頭だったことがあり、本来の谷頭から離れたUターン部分のみに、その地名が表記を変えて残ったものと思われます。
 なお、矢頭の地名由来ついては、上記の地形由来の谷頭説以外にも、これまでもたびたび出てきた道灌伝承との関係で、石神井城を攻略する際、矢合戦の先陣を切った場所といった、歴史由来の解釈も考えられます。うがった見方をすれば、そのような連想を期待して、昭和7年(1932年)の新町名制定時に、「矢」の字を採用したのかもしれません。