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鬼子母神

2018-09-20 05:59:37 | 弦巻川・水窪川

 雑司ヶ谷といえば、なんといっても鬼子母神(きしもじん)で、法明寺の飛び地境内に祀られています。縁起によると、本尊は永禄4年(1561年)、清土(せいど)の鬼子母神境内で掘り出され、法明寺内の一坊だった東陽坊(のちの大行院、現在は法明寺に合併)に納めらます。その後の変転を経て、当地に鬼子母神堂が建てられたのは天正6年(1578年)です。なお、現存の鬼子母神堂は、寛文4年(1664年)、前田利家の孫で安芸藩浅野家に嫁いだ自昌院が造立したもので、「雑司ヶ谷いろはかるた」の「」は、「利家の孫娘が建てた鬼子母神堂」となっています。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 法明寺 雑司谷鬼子母神堂」  「門前両側に酒肉店多し。飴をもて此地の産とし、川口屋と称するものを本元とす。其屋号を称ふるものいと多し」(図中の文字は活字に置き換えています。)

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    ・ 鬼子母神境内  毎月第三日曜日を中心にフリーマーケット「手作り市」が開催され、10月16~18日には御会式(おえしき)でにぎわいます。 

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    ・ 鬼子母神堂  寛文4年(1664年)建造の都指定有形文化財です。仏法に帰依し角を失くしたという意味で、点のない「鬼」の字が使われています。

 鬼子母神参道と分かれ境内の南縁に沿う道は板橋道と称される古道で、雑司ヶ谷、下高田村の境を画していました。→ 「下高田村絵図」の上部に描かれているものですが、その板橋道が鬼子母神境内から離れるところに(→ 写真)、境橋と呼ばれる橋が架かっていました。→ 「段彩陰影図」で、目白通りの北側から発し、明治通りを越えたところで、本流に合流している谷筋と関わるものです。「板橋道は、鬼子母神宮町と云、槻大門の入口の道西側に付入横町也。宮の脇より堺橋にかゝる手前、畑合の左に入、堀の内に通ため坂の畦道有。右は鬼子母神御垣より社地に入」(「若葉の梢」)