神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

宮前4

2017-03-16 06:21:56 | 善福寺川2

 慈宏寺西を北上したあと、神明通りに戻ったところで左折します。そこは、→ 「善福寺川1 / 三本の水路」で扱った、善福寺川に直行するバイパスの分岐点でもありますが、その開設時期について資料が確認できたので引用しておきます。「近く完成を見るであろう大宮前六丁目の大下水の暗渠からの排水で、これに直面する護岸の補強とその流量の倍加による溢水に対する防備に付ての施策施工を至急講じて戴きたい。」 昭和26年(1951年)に杉並区議会で採択された「善福寺川河川改修に関する件について」の一部です。大宮前6丁目は現在の西荻南1、2丁目で、大宮前下水の先端にあたる地域です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 前回左折しましたが、そのあとすぐに右折し北に向かいます。

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    2. 神明通りに突き当たって左折です。ここで北上するバイパスを分岐していたとされます。

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    3. バイパスはこの直線道路を暗渠で北上、800mほどで善福寺川です。合流地点手前の写真は→ こちらでどうぞ。

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    4. 左折後の神明通りです。左手が水路跡によって幅広になっています。

 <新田街道> 神明通りは新田街道とも呼ばれ、大宮前新田の北の境を画していました。大宮前新田は当時道幅8間だった五日市街道の左右に、間口20間、奥行き250間の短冊形の区画(のぼり)が、合計で60区画(60のぼり)並ぶ構造でした。各区画は街道に面して宅地、奥が畑地、最も奥が薪山と区分され、その薪山の先に出来た道が新田街道だったわけです。「武州多摩郡上荻久保村風景変遷誌」(昭和15年 梅田芳明)には、「往時此街道は両側雑木林にはさまれた畑の中を通る、人通りのない幅九尺余の淋しい街道」とありますが、両側の雑木林というのが薪山だったことになります。