成宗弁天池は元々あった湧水池ですが、青梅街道を越えるのに必要な水位を得、泥やごみを沈殿させるための中継点として、新堀用水開削と同時に拡張、整備されました。「中野村外弐ヶ村用水路新規自普請諸入用取調書上帳」に450坪との記載があり、また、→ 「迅速測図 / 東多摩郡高圓寺村」 には、横長のひょうたん形が描かれています。「杉並区史探訪」(森泰樹 昭和49年)に収録された聞き取りによると、大正の中頃に個人所有となり、一部埋立て庭づくりをしたとあります。下掲「空中写真」では、用水溜というより庭園の池風なのはそのためと思われます。その後、銀行の所有地となってさらに半分ほどが埋立てられ、現在はマンションの敷地となり姿を消しました。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 この写真だけでは輪郭がはっきりしないので、日本地形社「昭和11年測図 同22年補修」(1/3000)の描く弁天池を重ねました。
- ・ 成宗弁天社 成宗村本村の鎮守だった須賀神社(江戸時代は牛頭天王社)に隣接して祀られています。なお、弁天池は左手マンションの敷地にありました。
- ・ 「三ヶ村用水記念碑」 「武州多摩郡中野村高円寺村 / 馬橋村之地平原乏水屡羅凶 / 旱三村之民相謀上請開新渠 / 引池水以灌漑時懸令中村氏 / 給費天保十二年辛丑正月工竣」
|