神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

清水谷

2014-09-22 08:53:41 | 城西の堀川2

  → 「段彩陰影図」を見ると、弁慶堀に北から合流する谷筋があります。清水湧出るの意から清水谷と呼ばれるものです。「清水谷 紀州御上屋敷と井伊家の中やしきの辺を云。しみづは紀州の御やしきの内にありといへり。清水坂 尾州御屋敷の御門前の坂也。柳の井 清水坂の下に井あり。」(「江戸砂子」) 「清水坂 尾州公御館と井伊家の間の坂を云。清水谷と唱ふるも此辺の事なり。麹町八丁目へ出る坂下までも清水谷の内なり。此所の井を柳の井と号(なづく)るは、清水流るゝ柳陰といへる、古歌の意をとりてしかいふとなり。」(「江戸名所図会」) 該当する紀州、尾州、井伊の三家の屋敷から、明治5年(1672年)に紀尾井町が成立しました。清水谷の全域をカバーしています。

 

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    ・ 清水谷  弁慶橋越しのショットで、左手が井伊家屋敷跡のホテルニューオータニ。数年前の写真なので、右手の赤坂プリンスも健在です。  

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    ・ 紀尾井町通り  弁慶橋を通り、谷筋の底を縦断しています。この左右に並行する水路を描いている地図もあります。 

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    ・ 紀州和歌山藩徳川家屋敷跡  上掲写真の右手です。赤坂プリンスホテルが営業していた数年前の写真を使用しています。

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    ・ 清水谷公園   紀州藩邸のあった一角です。当地に居を構え暗殺された大久保利通の哀悼碑を中心に、明治23年(1890年)開園されました