神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

山王下2

2014-09-29 07:32:49 | 城西の堀川2

 山王下交差点の次の交差点は、地下鉄溜池山王駅のところに設けられていますが、その左岸から合流する谷筋があります。→ 「段彩陰影図」に重ねたように、江戸初期の溜池はこの谷筋に食い込んでいました。それが明暦の大火後山王社が当地に移転、造成された山下の低地も、山王社別当の観理院などが占めることになります。その際、排水用の大下水が設けられたたのでしょう。下掲「実測図」に描かれた水路はその名残と思われます。

 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治16年測量及び同17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の西部及び南西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。

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    ・ 外堀通り  地下鉄溜池山王駅のある交差点から、合流地点の左岸方向を見通しています。なお、明治35年にはここに溜池橋が架けられました。

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    ・ 首相官邸前  上掲写真の右手の一角は、江戸時代越後村上藩内藤家の中屋敷でしたが、現在は首相官邸になっています。

 <溜池渡>  「溜池渡 永田町二町目ヨリ赤坂田町四町目ヘ達ス 明治五年正月起立」(「東京府志料」) 当時の溜池には赤坂門、虎の門間に橋はなく、その代替として設けられたものでした。場所は上掲「実測図」の左端なので、現在の山王下交差点と山王溜池駅の中ほどということになります。ところで、明治初年の溜池は、なお幅25~107間(45.5~194m)もある広大な池でしたが、明治8、9年頃から水を落としたため、「実測図」のような干潟を流れる小川のようになってしまいました。渡し船の個所は通船可能にするため、この干潟を掘り込んでいるように見えます。なお、「1/5000実測図」の原図であるカラー版の該当個所には、「三王渡船場」の書き込みがあります。