神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

成宗左岸2

2017-04-26 06:40:08 | 善福寺川3

 広場堰で左岸に分岐し、成宗田圃の灌漑へと向かう用水の続きです。矢倉と通称される舌状台地の裾をめぐり、その東側に回り込んだところで、これまでその北縁に沿っていた善福寺川緑地を離れます。その間三百数十メートルにわたって、コンクリート蓋や車止めが連続し、下水道台帳にも「公共溝渠・暗渠」とか「水路敷」といった書き込みがなされています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 引き続き善福寺川緑地の北縁に沿って、コンクリート蓋の水路跡を追っています。

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    2. 左手の崖面が最も高いところに差し掛かります。水路は崖面をえぐるような孤を描いています。

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    3. 左折して矢倉台の東に出、善福寺川緑地と離れ北上します。 

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    4. 左手の崖面が徐々に低くなっていますが、 → 「1/20000地形図」の描くトンネルの出口は、このあたりと思われます。 

 <矢倉>  矢倉は白幡、尾崎と並んで「新編武蔵風土記稿」の収録する成宗村の小名で、同書は以下のような解説を続けています。「矢倉 西の方にあり、四方田圃にして高き場所なり、伝云鎌倉時代より陣屋櫓のありしを、其後太田道灌の持となり、家臣某をして守らしめしが、道灌滅亡にいたりて廃したりと、或は云成宗が柵迹なりと」 成宗は村名の由来とも伝えられる武将の名前ですが、その真偽を含め詳細は不明です。なお、明治に入り杉並村大字成宗となった際、その小字としては屋倉の表記が採用されました。そのため、善福寺川本流に架かる橋は屋倉橋となっています。