方南通りの開設や前後の神田川の改修、整備は、中野土地区画整理事業の一環として、旧雑色村の西半分に属する神田川、善福寺川流域5万6千余坪を対象に、その宅地造成を図るものでした。区画整理事業組合の結成は昭和16年(1941年)、同年勃発した第二次大戦と引き続く戦後処理のため、当初計画は大幅に遅れましたが、途中、帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)による車庫用地買収が追い風となり、昭和35年に全事業の完成に至りました。これまで見てきた橋の設置や中野第一中学校(現南中野中学校)の開校が、昭和30年代前半に集中しているのは、こうした事情によるものです。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 昨日UPの→ 「明治42年測図」と同じ縮尺、同じ位置関係なので、比較してみてください。第二次大戦から戦後の中断期にかけての事業の進捗状況が一目瞭然です。
- ・ 神田川 方南通り、栄橋から下流方向です。奥の高層マンション前が左岸段丘の位置です。段丘沿いにあった旧本流は、マンション手前で段丘を離れ、右手の東京メトロ方向に流れていました。
- ・ 東京メトロ中野車両基地 方南通りに架かる歩道橋の上からの撮影です。手前が百数十両の留置能力を有する車庫のエリア、正面奥に見える建物が重要部検査、全般検査(車検のようなもの)を行う工場です。
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