長延寺谷町は寛永16年(1639年)、小石川吉祥寺(現水道橋付近)にあった御納戸同心大縄地の代地として与えられ、元禄9年(1696年)に町方支配となりました。「地窪之場所殊に長延寺境内下ニ有之候故長延寺谷町と唱来候」(「御府内備考」) もっとも、長延寺谷の大半は武家地が占め、入口近くには紀州徳川家附家老、新宮藩水野家の上屋敷、奥には四千五百余石の旗本、安藤家や六千石の中根家の屋敷がありました。明治初めの地図では、谷頭は田圃になっていますが、明治末には秀英社と称する工場敷地が占めます。大日本印刷(DNP)の前身の一つで、現在は長延寺谷の大半がその敷地です。
- ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治16年測量及び同17年測量)」 「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」に収録されている北西部及び西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。
- ・ 長延寺谷 谷筋を横断する陸橋からのショットで、左カーブする谷筋に沿って、DNPのビルが並んでいます。手前の更地の地下に工場を設け、地上は緑化する計画のようです。
- ・ 中根坂 谷筋の半ばを横断する坂で、左手に中根家の屋敷があったことが由来です。一方、安藤家の屋敷は撮影地点の右手にありました。
- ・ 長延寺谷 中根坂下の左手の谷頭付近のショットです。このやや低まった一角もDNPの関連施設が占めており、正面の時計台もその一つです。