神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

土地区画整理2

2016-05-21 06:20:49 | 妙正寺川4

 江古田川を合流地点からさかのぼると、間を置かず新青梅街道を越えます。この新青梅街道の開設やそこに架かる江古田大橋も、やはり江古田第一地区区画整理事業と連動していました。新青梅街道は元々、江古田村の中央を東西に走り江戸、石神井を結ぶ古道でした。それが、→ 「東京近傍図」で見るように妙正寺、江古田両川の合流点付近では、北側に大きく弧を描いて迂回していたため、昭和12年(1937年)からの工事で、直線的に改修、拡張し、それに伴い江古田大橋を創架したわけです。

 

1227a

    ・ 江古田大橋  → 親柱には「えこたおおはし」とありますが、中野区中央図書館「中野の橋あれこれ」はこの橋も含め、江古田のつくすべての橋に「えごた」とルビを振ってます。

1227b

    ・ 新青梅街道  正面の関東バス丸山営業所のあたりは、区画整理以前は向田と呼ばれ、薬師橋袂の下の堰から分流した用水が灌漑していました。なお、ここから400mほどのところに、→ 中野区立歴史民俗資料館があります。

1228c

    ・ 江古田川  江古田大橋から上流方向です。奥に見えるのは次回テーマの不動橋ですが、その次の大橋まで200m弱がほぼ直線で、区画整理時の改修の成果を見ることができます。

 <新青梅街道>  青梅街道のバイパスとして、昭和10年代に着工、東京オリンピック、高度経済成長の時代の昭和30年代後半に開通しました。西落合1丁目交差点で目白通りと分岐、西東京市の北原交差点を経て西多摩郡瑞穂町に至ります。この街道の原型は「新編武蔵風土記稿」にも記された古道です。「村(江古田村)の中ほどに一條の道あり、西の方上鷺ノ宮村より東の方葛ヶ谷村へ達す、是往古の街道の名残なりといふ、其幅は二間餘あり、今石神井村より江戸へ通ふ道是なり、村にかゝること二十二町許」
 「東京府志料」で「青梅裏道」、「豊多摩郡誌」で「小石川道」としているのも同じで、「豊多摩郡誌」は「清戸道(目白通りのこと)より分岐し、西北進して本村大字江古田を通過し、上鷺宮村より北豊島郡石神井村に通ず」と書いています。太田道灌と豊島氏が江古田原沼袋を戦場としたのも、両者の居城のある江戸と石神井を結ぶこの古道があったからこそと思われます。