今、一般的に言われていることは特に「精神医療従事者」であるが、
良かれと思って一方的に健常者の都合でものを言うと障害者には迷惑である場合が多い。
そこで、コーチングする人は「降りていく生き方」、「降りていく医療」なんて時に言うわけです。
私は「異議あり!」と言いたい。
介護する人、医療従事者の「未知に世界をしっている人」なのだから、
いわば、「その世界の先達」なのだから、
知らない人は頭を垂れて教えを請うべきです。
それは大げさか・・・
しかし、精神医療従事者の少なくない人たちが「障害者を下に見ている」のは確かです。
私はそのような言い方ではなくて「目線を同じくする」と言います。
まっ、私は恵まれた境遇で「障害者」という目線ですので
逆に「健常者の狭義的な目線と同じくする」というわけです(笑)
くれぐれも医療従事者の方々はお気を付けください。
肝に銘じてくださいな「私の視野は狭い」と。
にほんブログ村
にほんブログ村
良かれと思って一方的に健常者の都合でものを言うと障害者には迷惑である場合が多い。
そこで、コーチングする人は「降りていく生き方」、「降りていく医療」なんて時に言うわけです。
私は「異議あり!」と言いたい。
介護する人、医療従事者の「未知に世界をしっている人」なのだから、
いわば、「その世界の先達」なのだから、
知らない人は頭を垂れて教えを請うべきです。
それは大げさか・・・
しかし、精神医療従事者の少なくない人たちが「障害者を下に見ている」のは確かです。
私はそのような言い方ではなくて「目線を同じくする」と言います。
まっ、私は恵まれた境遇で「障害者」という目線ですので
逆に「健常者の狭義的な目線と同じくする」というわけです(笑)
くれぐれも医療従事者の方々はお気を付けください。
肝に銘じてくださいな「私の視野は狭い」と。
にほんブログ村
にほんブログ村
私の境遇は非常に珍しく最初の事故に遭って後、三年後にまた事故に遭っています。
単発の「事故・災害・事件」で心に傷を負ったひとは
一般的に『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』または『ASD(急性ストレス障害)』
と診断されます。
私は『PTSD』なのですが、事故に複数回会っているので
『複雑性PTSD』と言うことになるわけです。
どちらが「軽い」と言うことはありません。
どちらも「人間が記憶の隅に置けないほどの体験」といわけです。
ですので、その思いがオーバーフローして暴露(体験を語る)せざるを得ない時があるのです。
しかしそれは時によって「好奇の目」でよく見られがちです。
私がよく言われたのは「なんでそんなこと言うの?」と事故の話しをするたびに言われたものです。
しかしいま現在、臨床家の間では
「(事故・災害・事件の)当事者が記憶に残っていることを語るのは有効なこと」とされていますし、
それが自然なことだと私は当事者の目線からまた第三者的な目線からも思います。
そうしないと「こころの均衡」が量れないからです。
しかし世間の耳目は冷たいもので「物言えば唇寒し、秋の風」というやつで、
語れども語れどもむなしさを感じるのが現状です。
面白い話しでもないしね・・・
しかし凄惨な「事故・災害・事件」を面白可笑しく語っても聞く側の冷笑を誘うばかりなのです。
「嗚呼、語れども語れども馬鹿どもの耳には入らない」-空蝉
にほんブログ村
にほんブログ村
単発の「事故・災害・事件」で心に傷を負ったひとは
一般的に『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』または『ASD(急性ストレス障害)』
と診断されます。
私は『PTSD』なのですが、事故に複数回会っているので
『複雑性PTSD』と言うことになるわけです。
どちらが「軽い」と言うことはありません。
どちらも「人間が記憶の隅に置けないほどの体験」といわけです。
ですので、その思いがオーバーフローして暴露(体験を語る)せざるを得ない時があるのです。
しかしそれは時によって「好奇の目」でよく見られがちです。
私がよく言われたのは「なんでそんなこと言うの?」と事故の話しをするたびに言われたものです。
しかしいま現在、臨床家の間では
「(事故・災害・事件の)当事者が記憶に残っていることを語るのは有効なこと」とされていますし、
それが自然なことだと私は当事者の目線からまた第三者的な目線からも思います。
そうしないと「こころの均衡」が量れないからです。
しかし世間の耳目は冷たいもので「物言えば唇寒し、秋の風」というやつで、
語れども語れどもむなしさを感じるのが現状です。
面白い話しでもないしね・・・
しかし凄惨な「事故・災害・事件」を面白可笑しく語っても聞く側の冷笑を誘うばかりなのです。
「嗚呼、語れども語れども馬鹿どもの耳には入らない」-空蝉
にほんブログ村
にほんブログ村