「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

空蝉コマル-『なぜ語る?』と言われてもなお・・・

2015年03月10日 03時47分58秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
私の境遇は非常に珍しく最初の事故に遭って後、三年後にまた事故に遭っています。

単発の「事故・災害・事件」で心に傷を負ったひとは

一般的に『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』または『ASD(急性ストレス障害)』

と診断されます。

私は『PTSD』なのですが、事故に複数回会っているので

複雑性PTSD』と言うことになるわけです。

どちらが「軽い」と言うことはありません。

どちらも「人間が記憶の隅に置けないほどの体験」といわけです。

ですので、その思いがオーバーフローして暴露(体験を語る)せざるを得ない時があるのです。

しかしそれは時によって「好奇の目」でよく見られがちです。

私がよく言われたのは「なんでそんなこと言うの?」と事故の話しをするたびに言われたものです。

しかしいま現在、臨床家の間では

「(事故・災害・事件の)当事者が記憶に残っていることを語るのは有効なこと」とされていますし、

それが自然なことだと私は当事者の目線からまた第三者的な目線からも思います。

そうしないと「こころの均衡」が量れないからです。

しかし世間の耳目は冷たいもので「物言えば唇寒し、秋の風」というやつで、

語れども語れどもむなしさを感じるのが現状です。

面白い話しでもないしね・・・



しかし凄惨な「事故・災害・事件」を面白可笑しく語っても聞く側の冷笑を誘うばかりなのです。




「嗚呼、語れども語れども馬鹿どもの耳には入らない」-空蝉








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