「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

責任の所在・・・日々思うこと

2008年06月14日 01時03分36秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
今回は私の身の上話で時間を潰してください

悲劇は突然やって来ると言うのは本当で、

私の場合は小学校5年から6年に上がる時期でした。

両親が離婚するというのです。

正に晴天の霹靂でした。

私はささやかながら離婚届を破るという抵抗もしてみたのですが、

時、既に遅しで幼い私の知らない所で

離婚話は親類を巻き込んで進んで行きました。

それまでの私は、鈍牛の様な少年だったと思います。

強い言動を投げつけられても、ちょいと耳だけを向けるくらいの感受性でした。

ですが、両親の離婚でどちらに着いて行くか選択を迫られました。

両親には不憫な思いをさせたかもしれませんが、

当時の私は、親よりも地元から離れるであろう母親には着いて行けなかった。

環境を優先したのです。

結論を出すまでは、幼いながら自問自答し続けました。

母親が出て行った後も世間の噂話を受け流すようなふりをして

重く受け止めていました。同級生の目も変わりました。担任の先生の目も。

そういう環境下で私は、自己で消化する術を学びました。

つまるところ他人に依存しない生き方をです。

ですから以後は社会人になってからも無理にでも

自己消化する傾向になっていきました。

一種の『癖』ですね。心ある方からは「他人をあてにしていいんだよ」と、

声を掛けられることもありました。

今もその癖は抜けませんが、悪い事に他人にもそれを求めてしまうのです。

同じ境遇の方は少ないのですから押し付けるのは良くないのですがね・・・

罪の無い他人に当たる醜さを幼い頃に見てきたので

一種のトラウマになっているのかもしれません。

そういう流れで爆発事故に遭って、

責任の所在を会社に突きつける『癖』が、正に爆発するのです。

その当時付き合っていた彼女も自分の下を離れていく事などからも

更に、「自分が、自分が」と言う思いが強くなって行くのです。

今、うつになって歴史が繰り返されないことを祈るばかりです。

と、云う反面いざと言うときは自分しか頼る者が無いと思うのです。

お釈迦様死期が近づいたときに弟子は、

  『ブッダが亡くなった後、何を頼りに生きていけばいいのですか』

  と、訪ねたところブッダは『自らを灯明とし、自らをたよりにして、

  他人をたよりとせず、法を灯明とし、真理ををよりどころとして、

  他のものをよりどころとせずにあれ』と言ったそうです。

正にこれは我々兄弟(兄がいるのですが)両親の離婚で学んだ事です。

私の場合は、特に困っているときに

恋人が離れていった事で裏打ちされているのです。残念ながら・・・

長くなりましたが、明日は(土曜日)は、クリニックの受診日です。

いい結果が報告できそうです。

では





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