「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

精神世界への誘い 「家族であっても気はそぞろ」

2021年12月08日 22時23分35秒 | うつせみの精神世界への誘い
「兄弟は他人のはじまり」という言葉がります。
私はてっきり「夫婦は他人のはじまり」だと思っていたのですが
そうではないようです...
考えてみれば「夫婦」は元々他人ですし、「お互いに好きだ」という錯覚で
一緒になるのですからね(毒)
兄弟は「血を分けた存在」ですから、その存在が「他人」になることは
一大事なことです。
「兄弟は他人」ということまではいかないものの、「兄弟であっても気はそぞろ」ということには納得がいきます。
「家族観」、「人生観」、「倫理観」挙げれば切りがなさそうですが、
兄弟でなくとも「友人」、「同僚」にまで至れば日常茶飯事の事なのかも
知れません(~_~;)
たとえば「百人寄っても気はそぞろ」の可能性もある。百人居るのに「皆違う」ということも...。

ずいぶん前段が長くなってしまいましたが、本論は短い(~_~;)

私が短い人生?を持って考えた中での一つの『解』は
「人間は混乱時に度量が解る」ことです。
混乱時にどう対処するか?「逃げる」、「挑む」、「無視する」、「うろたえる」
私自身、私の身の上に様々な「混乱/トラブル」が降り注いできましたが
結構、当事者は冷静なもので、私の周りでみなさん右往左往したり
前にあげたような様々な「リアクション」をしたものです。
一概に方々を責められないのですが...。
江戸の思想家の言葉で「常在戦場」という言葉がありますが、
この場でいうと『人生万事常在戦場』ということでしょうかね。
むかしの言葉で「まさかの『坂(さか)』は、なかなか越せない」のです。『ま坂』に備えるか、『ま坂』は起きないことにするのかの「差」でしょう。
今、災害においてもそんなわけで「災害が起きて死んでもしょうがない」と、
思える人間はそう居ないものです。
トラブルが起きたときに、私の言う「人間の値打ち」、あなたはいかほど?





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