「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

精神障害者が家族にいることの「積極的理解」と消極的理解」の『差』

2015年12月09日 21時11分34秒 | うつせみの精神世界への誘い
私は仕事でもプライベートでの行く先々でも家族の中の「精神障害者」をどう受け入れているか

様々であると思った、それは「精神障害者」にとってショッキングであろうし、

場合によっては「疎外感」を感じることがあるだろう。

私のプライベートで関わりのある家庭では「私たちには解らないので、そっとしている。」と。

これは、息子さんに対する親御さんの発言ですが、これはアウトですよね。

結局、息子さんは「ひこもり」から脱していません。

息子さんも積極的なアプローチをしていないし、親御さんも促しがない。

親御さんも「解らないから、どうしようもない」という立場なのかもしれないが、

そうではなくて、家族は「学ばなくてはならない」と思うのです。

日本人は身内に「障害者」がいることを『恥』と思っています。

これは、違うケースですが、仕事で関わったケースなのですが、

残念ながら、私たちが関わる期間で自室で発作を起こしてお亡くなりになったのです。

それで、その方の葬儀に出向いたわけですが、葬儀に来られた方は100人弱の割には

葬儀場も狭く、6畳間だったかな。

遺体とご家族がいらしたので実質3畳くらいでしたね。

生前、亡くなった方はご家族に甘える形で迷惑を掛けたそうです。

ご近所の手前、自然と近い親戚も距離を取ってくということに・・・

亡くなると、年老いた母に群がる様に自称「近しい親戚」が来るという。

「離れること」は誰でも出来る。

こういう時に「手を差し伸べる」のが、知恵を授かった人間なのではないか?






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