「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

『穢れと清目の歴史-非人・穢多』について

2016年12月24日 21時51分04秒 | 日本の「恥部」を晒す

今日、仕事帰りにスーパーに行ったら真っ赤なロングコート着ている女性がいました。

思わず・・・『シャー専用かぁ!!』と言いたくなった空蝉です。

 

本題は今年の上旬、去年の下旬から学習を進めている

「日本の差別問題について」のことですが、

まぁ、中間発表というか、学習半ばでの「備忘録」です。

当初、専門家の間では「古代の天皇」にまつわる行事で掃除役をになった事に遡る説。

主に古書『塵袋』を主なよりどころとするものです。

しかしながら、様々な研究の結果から「平安時代からのもの」というのが定説となっています。

今、日本社会では「被差別民」というのは、『忌み嫌われるもの』と、なっていますが

平安時代では、朝廷や宗教者によって『保護すべき者』とされたのです。

少なくとも、当時では『差別される者』では無かったと言うことです。

特に『保護される重篤な者』とされたのは、「癩病(らいびょう)患者」です。

彼らには、ちゃんとした「手当」が政府(朝廷)から出ていました。

まだ、鎌倉時代以降は調べておりませんが、

類推するに安定した平安時代から源平の戦があって

「平民身分からの転落」が大勢いたのではないか?

鎌倉期に大人気があった、いわゆる「鎌倉新仏教」の中でも『法華宗(日蓮宗)』の

日蓮は「私は旃陀羅(せんだらの家に生まれた!」と言って憚らなかった。

私が見るに「底辺からの人気を得る為」と言う他ない。

結局のところ、「宗教を必要とする社会をデザインした一因は宗教者にあり」

つまりは、現状に不満や虐げられている民がいれば宗教を欲するわけだ。

これは結局、時代が下れば「一揆・悪党」になっていくのだと思う。

明治から昭和初期に成立した「近代宗教」は、既存の宗教では救いきれなくなった民の

リクエストに応えたわけである。

PL教・金光教・創価学会・生長の家・親鸞会などなど

弱みにつけ込む宗教の手・・・

 

 

 

 

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