今日のカウンセリングで動画や写真を見るよりも
私の場合、書く方が私のトラウマにビビッとくるらしく、
紙に書こうか、PC打ちにしようか考えたところ、
最近、精神疾患を抱えた人の訪問が多いことから
私の事故当時のことを晒して、「こんなのも居る」ことを知ってもらおうと
勝手な話しですが、今回は事故当時のことを振り返りたいと思います。
(._.)オジギ
ではでは・・・2003年7月、生産を急いでいた薬品「トフィソパム」の製造に
追われてその日はいつもより早めの8時に工場に出て前日に乾燥機に入れた
粗結晶「粗トフィソパム」を出すところから始めた。結晶は80℃で乾燥されていて
私が朝来て乾燥機のスイッチを切ったのだから、結晶はアツアツでそのまま容器に
入れました。
反応釜のある工場まで持っていき、釜の下からメタノールを仕込んで、結晶を
投入口のある二階へ運びます。メタノールを仕込んだときに減圧になっていたので
いつものように空気で常圧に戻し、二階に上げた結晶を投入する準備をする。
準備の途中に先輩のXさんが来て手伝ってもらって投入時と投入した後の
片付けをやってもらう。容器を一個、二個と釜の投入部から入れる。三個目を
入れ終えて先輩が反応釜から離れて結晶の入っていたビニール袋を片付けに
行ったとこので、瞬間私の目の前がまっ暗になり目を開けると周りの人が「火、火」
といいながら離れていくのが見えて自分の体を見ると着ていたポロシャツが
燃えており、ゴム手袋も燃えていたので急いで洗い場へ駆け下りて、付けていた
防塵マスクやゴム手袋をはずし、火が付いたポロシャツを水で消した。周りから
帽子にも火が付いているということを聞いて急いで帽子を脱ぐことなく、頭から
水をかけその火も消した。洗い場から数歩歩いて呆然としていているところに
周りから「大丈夫か?」と声かけがあったが、私は何も答えずにいると、工場の入り口
から車がバックで入ってきて私は後部座席に乗って、そこでも「大丈夫か?」と何度も
聞かれたが、内心「見りゃ解るだろ」と思い答えずにいると、なぜか語気を荒げ「大
丈夫か?」と聞くので仕方なく「・・・はい」と答えた。
※事故を忠実に表したものではありませんが、近いものがあるので掲載しました。
近所にある『八尾総合病院(富山)』について皮膚科の外来まで行って処置をしても
らう。処置と言っても大きなゴミ袋に氷をいっぱい入れたものを乗っけられて30分
ほど転送先へ移すための救急車を待つことになった。救急車が来て救急車に乗っ
ている間も氷は乗ったままで搬送。搬送途中に隊員から「あのぉ~。(富山県立)
中央病院にしますか?(国立)富山医科薬科大学(附属病院)にしますか?」と
聞かれて、「えっ!?選べるんですか?」とこんなこともあって、救急搬送されるという
緊張感はなかった。
救急車の搬入口から処置室へ運ばれ、来ていたものを下着以外ははさみで切り
取られ、上から銀色のシートで覆われ、近くで医師と処置をしてくれたNs.が話して
おり、「患者さんは氷を乗せられて体温が低下しておりシートで保温しています。」
とのこと。しばらくすると体の暖かみが戻ってきて、その内にICU病棟へ移動する。
ICUにいる患者さんはカーテン一枚で仕切られているのみでほぼオープン状態。
私も壮なのかと思ったら、唯一の個室へ運ばれ、すっかり動かなくなった体をスト
レッチャーからベッドに移すのに苦労した。病室内で火傷した部分の処置をした
時に始めて痛みを感じて処置が終わると痛みは和らいだが、夜瀧のように流れる
点滴を見ながら、「自分は死ぬのかな」とぼんやり思いながら、夜遅くまで起きてい
た。痛みはジンジンという痛みをはるかに超えた痛みで「痛い」と言えないほどの
ものであとからDr.に聞いたところによると、様々な外傷の中では一番になる程の
ものだという。
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