幼少の時私は兄と比べて、何事に於いても「優れていない」と家族間の暗黙の了解だったと思っていた。
実態も運動能力や勉学についても兄は優れていた。
私が青年期に入って優れていると言えば、兄より10cm背が高いくらいだった。
兄に引き込まれる形でやり始めた「空手道」もいろいろ大会で良い成績を残しても
この私の中で「しっかりと根を張った大木の劣等感」は、ビクリともしなかった。
「劣等感」は対「兄」ばかりではなく、私の周りにいる全ての人が対象となっていった。
そんな中、私の劣等感を後押しするように二件の事故があった。(1999年・2003年)
様々なことに翻弄されながら、それが劣等感後押しした。
見た目、術痕が縦横に走る体、そして「頭の中」にも縦横に傷が入っていた。
このことに気付かされたのは2010年まで時を進めなければならない。
そして、翌年の「精神科入院」でまたまた「私は常人ではない」と強く思った。
しかし、2008年から大學に入学し、劣等感を払拭しようと努めた。
だがそれも大學に入ってみて「勉学に励む生徒とそうでない生徒」の格段の差に
「大學のイメージの瓦解」を思い知らされた。
在学中に「精神科入院」もあったが、4年で無事卒業できたが私は全然満足は出来なかった。
なにせ、「卒業論文」を書いている中で病気が邪魔してそんな中書いたのだから、
「卒業論文」自体は『駄作』でしか無かった。
そうして、卒業してからも自分の中では「研究」のつもりの学習を始めた。
目下、私の目標は私が爺になった時に近所の子供を相手に様々な話をして、
子供が「おっちゃん、何でも知ってるな!」と言って
爺の私が「そんなことも知らんのか、ア~ホォ~」というのが目標です。
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実態も運動能力や勉学についても兄は優れていた。
私が青年期に入って優れていると言えば、兄より10cm背が高いくらいだった。
兄に引き込まれる形でやり始めた「空手道」もいろいろ大会で良い成績を残しても
この私の中で「しっかりと根を張った大木の劣等感」は、ビクリともしなかった。
「劣等感」は対「兄」ばかりではなく、私の周りにいる全ての人が対象となっていった。
そんな中、私の劣等感を後押しするように二件の事故があった。(1999年・2003年)
様々なことに翻弄されながら、それが劣等感後押しした。
見た目、術痕が縦横に走る体、そして「頭の中」にも縦横に傷が入っていた。
このことに気付かされたのは2010年まで時を進めなければならない。
そして、翌年の「精神科入院」でまたまた「私は常人ではない」と強く思った。
しかし、2008年から大學に入学し、劣等感を払拭しようと努めた。
だがそれも大學に入ってみて「勉学に励む生徒とそうでない生徒」の格段の差に
「大學のイメージの瓦解」を思い知らされた。
在学中に「精神科入院」もあったが、4年で無事卒業できたが私は全然満足は出来なかった。
なにせ、「卒業論文」を書いている中で病気が邪魔してそんな中書いたのだから、
「卒業論文」自体は『駄作』でしか無かった。
そうして、卒業してからも自分の中では「研究」のつもりの学習を始めた。
目下、私の目標は私が爺になった時に近所の子供を相手に様々な話をして、
子供が「おっちゃん、何でも知ってるな!」と言って
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