「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日々仏滅 「漢(おとこ)五十を前にして『死』を再考する」

2022年12月25日 16時07分33秒 | 日日是佛滅
去年から同年代の親戚、以前勤めていた会社の後輩が突然亡くなったりと『死』を身近に思いました。もちろん今年の正月に亡くなった母もそうですが。特に後輩が亡くなったのは堪えました。後輩と言っても私よりひとつ年下。会社を辞めた後も私が帰郷した際には必ず酒宴で会っていたのですが…。
私ごとですが体のあちこち痛んできて小さい脳梗塞がいろいろ見つかって、これは何十年かけてできたものです。今年手術した右膝もそうですね、痛みは今もありますが一年以内に左膝も手術かな?痛みはないけど腎結石も数個…。来年50になる身ですので、いろいろ出てきてもおかしくないかと思います。で、私が精神疾患の兆候が出始めて、ずーっと死のことを考えてきました。空手の事故で亡くなった対戦相手のこと、爆発事故で自分の命が危なかったこと、精神疾患で「死にたい」と常に思っていたこと。近年、症状も軽減してきて人間というものは適当にできているもので、身近に、私ごととして感じなくなっていました。
で、去年からの親しい人達の死。急に『死』が迫ってきて困惑気味な私です。一人暮らしだし、家を行き来するような人も居ないし…。といった不安です。私のようにあまり社交的でない人間はあまり密着した関係は苦手です。自業自得といえばそうなのですが、この歳になって『独居の不安』でもがいでいます。
最近、少しだけ気持ちの変化があったのですが「まぁ、いつかは死ぬし、今考えたってしょうがない。とりあえず今どうするか考えよう」と。職場のクリスチャンの方と宗教の死生観について話しをしていたのですが(どんな職場?)、一応佛教系の大学にまがりなりにも通っていたので、その時は鬱やPTSDが最盛期で毎日『死』が頭の中を駆け巡っていました。その時に知りたくなったのが『仏陀(お釈迦さん)の死生観』でした。原始仏教(小乗仏教とも)の話しの中で残っているのが、お弟子さんが仏陀に「死んだら人間はどうなるのですか?」という質問に「そんなことより今を(良く)生きなさい」というものでした。(※うつせみ的解釈)人にそのようなこと話しして、自分に返ってきた感じです。
とりあえず、いまできること、ブログを更新してみました。ずいぶん間隔があいてしまってしまいました。待っていた人がいるとしたら申し訳ございませんでした。

柄にもなく、原稿の締め切りが2本とスライドの締めきりを1本抱えているので気ばかり急いている次第です。



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