以前、火傷の痕の植皮手術などで入院した大学付属病院で、
死亡後の献体の手続きをした。
2~3年前くらいかな。独り身だったので独断で申し込んだのです。
きっかけは、別の怪我で入院していたときに知り合った患者が、
私の地元の大学付属病院の医者の卵、医学生で私と同様時代小説ファンで
意気投合し、お互い退院後、呑みに行ったりもしていた。
彼と会話する中で『実習で使う献体の数が少なくて
規定の数を満たしていない』とか・・・。
その言葉が残っていたので別の病院ではあったが、献体の手続きをしたわけです。
毎年、十月に総会があって、その年の満願者(死亡し、献体された方)の
法要が金沢市内で執り行われているのです。
今年は、私が京都に居ることもあり欠席していました。
で、総会の報告と来年のカレンダーが先日送られてきました。
で、いろいろ周りの方のお話を聞いてみると、『自分だったらやらない』とか、
『妻が献体登録していたら断る』など、反対意見が結構聞かれました。
特に医療関係者に反対者がいる事は驚いた。
実態を知っていればこそなのだろうが・・・。
思えば、医療関係者で献体している方はあまり聞いた事がない
これも実態を知っているからだろうか・・・
実際、亡くなられて遺族が反対し献体を断る家族もいるとか。
誰の意思を尊重すれば良いのやら。献体希望者が物言わぬだけに
賛否、分かれる話だが、自分は翻意する気が今のところ無い
死亡後の献体の手続きをした。
2~3年前くらいかな。独り身だったので独断で申し込んだのです。
きっかけは、別の怪我で入院していたときに知り合った患者が、
私の地元の大学付属病院の医者の卵、医学生で私と同様時代小説ファンで
意気投合し、お互い退院後、呑みに行ったりもしていた。
彼と会話する中で『実習で使う献体の数が少なくて
規定の数を満たしていない』とか・・・。
その言葉が残っていたので別の病院ではあったが、献体の手続きをしたわけです。
毎年、十月に総会があって、その年の満願者(死亡し、献体された方)の
法要が金沢市内で執り行われているのです。
今年は、私が京都に居ることもあり欠席していました。
で、総会の報告と来年のカレンダーが先日送られてきました。
で、いろいろ周りの方のお話を聞いてみると、『自分だったらやらない』とか、
『妻が献体登録していたら断る』など、反対意見が結構聞かれました。
特に医療関係者に反対者がいる事は驚いた。
実態を知っていればこそなのだろうが・・・。
思えば、医療関係者で献体している方はあまり聞いた事がない
これも実態を知っているからだろうか・・・
実際、亡くなられて遺族が反対し献体を断る家族もいるとか。
誰の意思を尊重すれば良いのやら。献体希望者が物言わぬだけに
賛否、分かれる話だが、自分は翻意する気が今のところ無い
愛する人が献体に登録することに賛成ですか?
医療従事者はきっと”尊い決断”に報われないと知って反対しているからなのではないでしょうか?
『実習で使う献体の数が少なくて』と言う彼は親や大切な友人に献体を勧めるのでしょうか?
人間の体をモノと勘違いしているのでは?
『献体の数が少ない』ととるか『こんなにも多くの献体』ととるかは考える基本スタンスが違うのでしょうね
でもそこまで決意されている空蝉さんには敬意を表します
私が、手術したときや入院したときは
患者という人間ではなく、
『物』や『業務の一環』ぐらいに扱われて
いるような気がしたことは、
一度ではありません
再考しなきゃいけないのかな・・・