※上の画像は1998年当時の自民党総裁選の候補者である「小渕さん・小泉さん・梶山さん」を田中真紀子さんが「凡人・変人・軍人」と評したことを今回のタイトルや内容と掛けたものです。(解説すると野暮ったい)
若い頃から、もしかすると子供の頃からか「脱・普通」を心掛けていたようです。「人と似たような人生、なにが楽しい!?」という考えです。「横並び、平均的」という言葉や位置が嫌いで性に合わないということです。
※「平均」という人は居ません。この場合「平均周辺の人」ということです。
私は学校では明るく、楽しく振る舞っていて自宅や家族と一緒に居るとおとなしくて物静かな子供でした。母親の運転で叔母と三人で外出すると「静かだから乗っていないのかと思った」とよく言われていました。人間誰しも二面性があるものですが、子供の頃から落差が大きかったようです。今もそうですが「自分の思っていることを他人がわかるものか/自分が他人のことをなぜ解る?なぜ、わかると思っている?」という考えが今まで通貫されているのです。私が携わっている精神の分野では「精神分析」や「脳科学」があって、殊に「脳科学」は様々な機器が開発されています。でも、それで解っているのか?といわれると全然そうではない。「精神分析」の分野でも、考えが学派によって体系化されていて、素人からすると「学派に分ける意味って何?」と思ってしまう。おっと、脱線してしまいました…。
そんなわけで、「変な人」「変わっている人」を演じている内に本物になったというわけです(笑)でも、この「変人路線」を取ることで失敗や後悔はあるけど「概ねの方向性」については後悔していないいし、失敗はしていないと思っている。しかし、「変人路線」「変人嗜好」「変わった生き方」を取っていて、図らずも「本当に稀有な人生」になってしまった。これは二件の事故のことです。今までの人生や体験を聞かれるままに話しをすると目立ってしまうけど、本人にはそんな意図はなくて「人と大きく違う人生に満足している」というだけのことです。