「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

今日は、ちょっと重い話題-『ひとの生死』・『自分の生死』とは・・・

2017年08月01日 22時17分43秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

今日は『生死観』ということですが、「これちょっと、重い話しだなぁ~」と

 

思われるかも知れませんが、この世に『生』を受けることも

 

また逆に自分や周りの人に『死』が訪れることも突然なのです。

 

というよりは、ひとの『生死』は、日常生活の中にあるごく自然なことなのです。

 

私は、友人が目の前で亡くなるのを目にしました。

 

その3年後、私が死ぬ思いになりました。

 

ICUの初めての晩、「あ~、明日の朝、起きてないかもな(つまり、死ぬこと)」

 

自分の身に起きた時は、冷静で「まぁ、そんなもんか」という感じです。

 

別にやり残したこと、誰かとの約束ももちろんあるのですが、

 

「まぁ、いいや」って感じですね。

 

そんな経験を経て、出会った良寛さんの言葉です。

 

(現代語訳)

 

『つまり、災難にあう時には災難にあうのがよく、死ぬ時には死ぬことがよい。

 

なんとしてもこれが災難を逃れる妙法なのですから。 

 

かしこ』

                                   

良 寛

 

(※解釈うつせみ)

 

『災難に遭ったときは、「この先どうしよう・・・」ではなく、今の現状を受け入れて

 

「今、何が出来るか」ということ。

 

死ぬことになったときは、「これで、死ぬか!」と自然のこととして受け入れる。

 

私の考えでは、自分が欲しない限り他人の話を自分の考えに挟まない。

 

そのままを受け入れる。』

 

 

 

 

 

 

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