一応、仏教学科を卒業した私でありますので、
今の仏教界について一言・・・。
ここで言っている「佛教界」というのは、「学問佛教」ではなく、
お寺などの「実践仏教」のことです。
今、佛教に直接接するすることがあるのは、
亡くなった方の「葬儀」や「~回忌」などの慰霊の儀式の時に
お家に来たり親元に来た時に見たり聞いたりする程度ではないだろうか?
70歳オーバーの方なら、「法話」を聞きにお寺に行くこともあるのかもしれないが、
今はドンドン「寺離れ」が進んでいる。
しかし、社会では「現代社会を生き抜く哲学」や「迷える現代人の道しるべ」を求めている。
その要求に寺は答えられない部分が多い・・・。
社会はドンドン変化・変質して行くのに、佛教は依然として
『分厚い座布団にふんぞり返っている』のではないか?
ただただ、現代人にとっては
「訳の解らぬ呪文のようなものを仏壇や佛の前で唱えている派手な人」
程度の認識だろう。
宗教はもともと社会にとって「革新的なもの」だったはずである。
今はすっかり、保守的になってしまって革新的なのは乗っている車くらいだろう。
「必要無くなったものは、立ち去るべし!」
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ここで言っている「佛教界」というのは、「学問佛教」ではなく、
お寺などの「実践仏教」のことです。
今、佛教に直接接するすることがあるのは、
亡くなった方の「葬儀」や「~回忌」などの慰霊の儀式の時に
お家に来たり親元に来た時に見たり聞いたりする程度ではないだろうか?
70歳オーバーの方なら、「法話」を聞きにお寺に行くこともあるのかもしれないが、
今はドンドン「寺離れ」が進んでいる。
しかし、社会では「現代社会を生き抜く哲学」や「迷える現代人の道しるべ」を求めている。
その要求に寺は答えられない部分が多い・・・。
社会はドンドン変化・変質して行くのに、佛教は依然として
『分厚い座布団にふんぞり返っている』のではないか?
ただただ、現代人にとっては
「訳の解らぬ呪文のようなものを仏壇や佛の前で唱えている派手な人」
程度の認識だろう。
宗教はもともと社会にとって「革新的なもの」だったはずである。
今はすっかり、保守的になってしまって革新的なのは乗っている車くらいだろう。
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