(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

今の見た?

2010年09月30日 | 時事
菅首相、国民におわび「心配かけた」=ビデオ見てない―尖閣沖衝突で・衆院予算委
見てなーい
じゃあ今からでも見てくだされ。様々な理由から国民に見せられない映像があるのはまあ分かるとして、首相に見せないというのは謎ですな。つーか何があったのか、事実も知らずに指示を出していたのか・・・

逆マジック

2010年09月29日 | 時事
阪神、マジック7に=巨人は4連覇ならず―プロ野球
首位中日と2ゲーム差ぐらいあるのに、何故か2位阪神にマジックが点いていますね。

自分は未だにこのマジックナンバーの仕組みをしっかり理解していません。ある時点で、残り試合自分が全て負けて、相手チームが全て勝ったとしても勝ち数が逆転しない場合に、試合が残っていてもその時点で優勝と決定するのは分かります。ということは、マジックはそこから逆算したようなものなのですかね。しかし、これだとまだ点いたり消えたりする理由まで説明できません。まあ調べれば分かることなのでしょうけど・・・大相撲ぐらいなら簡単に計算できそうですね。

現在の勝敗表を見ると、確かに中日は79勝で残り1試合、阪神は74勝で残り7試合ですから、まだまだ阪神の逆転勝ちの芽が残っていることは明白です。しかし、この時点で阪神が有利かと言うと、必ずしもそうではないでしょう。実際、残り試合を中日が負けても阪神は7戦6勝が必要ですし、中日が勝てば7連勝するしかありません。勝敗を同様に確からしいと判断した場合、適当に計算すると中日が99%勝つことになります。そうすると、マジックが点くこと事態がひどく滑稽に映りますよね。このマジック7、何のための表記なのだろう?つーか、よく考えれば中日が勝って阪神が1回負けたら優勝なので、点灯こそしていませんが現時点で中日もマジック2と同等なのでは?

う~ん、ますます分からなくなりました。

野生との遭遇

2010年09月28日 | Weblog
山陰旅行では、道中、旅先を含めて様々な野生のポケモン動物に出会いました。

イヌネコはもちろん、タヌキやイタチらしき動物に遭遇した程度では余り驚きません。まあ道路を寸前で横切られれば驚きますけど、遠方でチョロッと通り過ぎる分にはまだ余裕で見ていられます。しかし、最初に驚いたのは、小浜に行く手前のトンネルを抜けたところで見た野生のシカの死体でした。北海道や奈良で、道路のすぐ脇や、道路そのものを闊歩してた彼等については多少慣れたつもりでいましたが、こうして車とぶつかってしまった後の状態を見かけるとやはり恐いものだと思いました。この辺りではものすごい雷雨でしたから、視界の悪い中で、もし自分がぶつかっていたとしたら、車の方もタダではすまなかったでしょう。動物にも気の毒ですがね。

次に衝撃の出会いをしたのは石見銀山で見かけたサルです。山道を登っていくと木が突然揺れ、注意深く見ると木の上の方にサルがいたわけです。単独で、距離があったのでその時は何とも思いませんでしたが、間歩を見て帰りに通ったところでは、屋根の上で毛づくろいをしていた2匹をはじめ、肉眼で少なくとも6~7匹が建物から山のほうへ移動するのを目撃し、さらに山からは明らかに威嚇している声が響き渡っていました。昔の面影を残す古めかしい建物の一部が壊れていたり、瓦が所々へこんでいたりしたのは、このサルたちの仕業かも・・・?そう考えると、のんきに写真を撮っている場合ではないと判断し、急いでその場を後にしました。よくテレビでサルの大捕り物をしている様子が映るぐらいですから、彼等と丸腰でまともに渡り合っていたら勝ち目がありませんね。早めに気がついてよかったです。

最後にダメ押しで出会ったのがイノシシの親子。琵琶湖の北まで戻り、帰りは行きとは違う山道で帰ることにしたのですが、この山道を抜ければ無事ゴール、といった矢先にこいつが現れました。沢から親イノシシが出てきて、子どもが1頭、2頭と、そのまま山に上がらず、数百メートル車の前を走っていました。猪突猛進というくらいですから、タイミングや出てくる向きが違えば衝突は避けられなかったでしょうね。またウリ坊たちが不規則な動きをし、中々山に入ってくれません。超徐行で進み、ようやく山の方へ行きかけた瞬間、母親が少し後ろを振り返った気がしました。
沢から3頭目。
もうココまできたら運を天に任せて停止しかないと思い、止まりました。幸い母イノシシは3頭そろったことで安心したようで、すぐに山へ消えていきましたけど、その後も岐阜へたどり着くまでずっと警戒していたので余りスピードが出せませんでした(笑)

動物に当たるのも恐いけど、やっぱ人身事故だけは絶対気をつけたいですね。

山陰道中

2010年09月27日 | Weblog
萩入りして以降、ほぼ海岸線沿いを走ってきました。

行きは小浜西ICから入り、中国道を走っていきました。渋滞知らずの快適な道でしたが、山陰へはこの道から枝分かれして北へ伸びていく道が多く、サービスエリアもどちらかと言えば山陰を意識したものが多かったように思います。まあ、山陰の旅行を目標に進む身としては行きに山陽の名物を食べたいわけで、そういう意味では山陽道を通った方がよかったのかもしれません。また、現在その枝の部分の殆どが無料になっており、山陰に至っては東北の日本海側、北海道の帯広辺りと同じように、ほぼ完全無料の道と化していました。

東北地方へ行く場合、道は自ずと東北道の大動脈しかなく、実際に回ってきた感触から言うと、高速道を日本海側、もしくは太平洋側にもう一本通すことに意義はあると思います。しかし、中国地方は既に2本の高速道が通り、連結もほぼ完了していると見て良いでしょう。ここにさらに山陰に通すとすると3本になります。日本海から瀬戸内海まで、高々100kmしか離れていないところに3本も通すことは、必要ないとまでは言いませんが、緊急性はかなり薄いと思います。それよりは、まず小浜-敦賀間や、東北-北陸道の連結の方を優先してほしいですね。まあ、山陰の方も都市部を避けるために部分的に高速化するのはアリだと思いますが、これも北海道で感じたのと同じく、無料でなければ殆ど使われないというのがオチでしょう。今回、この突如高速になって突如終わる区間には大変助けられましたが、いちいち料金所で「有料じゃないかな」とビクビクしなければなりませんでした。今後、いつまで続くかは分かりませんが、終わっても是非今のように無料を続けて欲しいものですね。

2年も前には高速なんて自分で乗ったこともなかったのになあ(笑)

山陰の旅その4

2010年09月26日 | Weblog
ついに最終日。今日は鳥取砂丘が唯一にして最後のメインです。

しかしそれよりもっと大切なのは「疲れを残さず帰宅する」こと。まだまだ鳥取-岐阜間は300km以上ありますし、当然明日から普通に出勤。夏休みのような調子には行きません。必然的に、鳥取砂丘のゴールフラグは「全貌が見え、2~3歩歩く」程度に留めて置くのが無難、ということにしました。

しかし、やはり着いてしまうと人間欲が出るもの。砂丘に到着し、とりあえず歩き始めると、無性に前方に見える砂山に登ってみたくなってしまいました。しかも、狙いをつけたのは皆が登っているなだらかな面ではなく、人の足跡によって侵食されていない急斜面です。呼吸を整えて、いざ駆け上がろうとすると、
ズボッ
・・・第一歩から阻まれました(笑)

砂の斜面は、むしろ力を加えないように歩いた方が進めるようです。そうはいっても急斜面ですから、力を加えないわけには行きません。ズボズボと足を取られまくり、後半はバテて前歩いた人が踏み固めた足跡の上を頼りに登っていきましたが、それでも頂上に着くまでに2~3度手をついてしまいました。
登ってみると、そこにはまた絶景が広がります。鳥取砂丘というのは、土地が痩せて乾いてできた砂漠とは違い、波と風によって海から運ばれた砂が大量にたまった土地のようです。つまり、森林が侵食されて増えるのではなく、海岸線がどんどん後退していく感じなのですね。流石に海まで降りるとまた山を登らないといけませんから、帰りは普通に降りることにしました。まあ、この山までにかなり降りてきていますから楽ではありませんでしたけどね。

砂丘のくぼ地になっているところに、不思議な川ができていました。
よく観察すると、何もないところから水が染み出しており、何もないところに吸い込まれていました。雨が降ると現れるようで、大雨の後は池のようになっているのだとか。丁度5年生で習う「流れる水のはたらき」のように、カーブしているところでは流れの速いところと緩やかなところとできていました。どんなに浮世を忘れて遊ぼうが、教材としてちゃっかり写真を撮ってくるところは最早職業病ですな(笑)

その後、延々と海岸線を走って餘部鉄橋・天橋立を抜け、スシローでおいしい100円寿司を堪能し、無事8時過ぎに帰宅することができました。総走行距離は1500km。琵琶湖を北回りして大都市圏を避けたためか、天候が不安定だったためか、行きの高速も帰りの下道もほとんど渋滞とは無縁の旅行でした。

さて、明日から仕事をがんばろう・・・

山陰の旅その3

2010年09月25日 | Weblog
島根県の北側、地図上で出っ張っているあの部分を通って鳥取入りしました。

地図で見ると“島根の北の端”のような印象をもちますが、中々どうして、見所の多い中心地でした。本日のルートは、出雲大社、日御碕灯台、宍道湖と松江城、中海の大根島を通って境港という豪華コースです。全てを記すとかなり長くなりそうなので、とりあえず出雲大社をメインに書いていこうと思います。

伊勢神宮や熊野古道へ参った頃から、いずれはココにも行ってみたいと思っていました。参道は、最初の鳥居から社までずっと下っていく、珍しい下り参道。ということは、帰りがきついわけですね(笑)
残念ながら現在は60年に1度の式年遷宮の最中と言うことで、仮殿の後ろにある本殿は工事のため、社ごとすっぽりとでかいプレハブに覆われていました。

厳かな建物の後ろにある、異様な存在感をもつ白い建物。これはこれでシュールな光景ですね。ちなみに、よく聞く「大注連縄(おおしめなわ)」というのは真ん中に写っているコレのことではなく、隣の神楽殿にこの2倍ぐらいの大きさでついていました。縄にお金を投げて刺さると縁が実ると聞いてがんばりましたが、3回目にしてやっと入りました(笑)これは、恋愛に2回失敗すると言うお告げなのでは・・・ガクブル

参拝の後はお約束の出雲そば。割子そばといって、3段のそばを上から順に汁をぶっかけて食べ、のこった汁をどんどん下にかけ注いでいくシステムのようです。面白かったのは紅葉おろしが乗っていたことですかね。冷そばは基本ワサビで食べているのですが、ピリ辛のそばもアリかなと思いました。あと、あのスタイルは写真を撮り忘れても3段目に手をつける前に気づけば、あたかも今から食べ始めるように撮れる所が良いところです。
腹も満たされた所で、出雲大社の隣にある古代出雲歴史博物館へ。昔の出雲大社は地上48mもの高さにあったと言う伝説がありますが、なぜそうなったのか、また今はどうしてなくなってしまったのか、ずっと疑問でした。どうやら昔の書物に「この世の高い建物は、1に出雲、2に東大寺、3に大極殿(雲太、和二、京三)」というような記述があり、奈良の大仏が45m(15丈)だったことから48m(16丈)ぐらいあったのではという推測に至ったわけです。では何故今は影も形もないのか。意外にもその答えは既に我々の前に示されていたのです。それは・・・
式年遷宮
そう。出雲大社は60年に1度、影も形もすっかり変わるわけです。つまり、1300年ごろに誰かが「次はちょっと高くしてみようぜ」と言い出し、60年間だけ限定で高くなったと考えれば、謎が全て解けるわけです。そのことが分かったのは最近だったと記憶していますが、それなら是非今回の遷宮で再現して欲しかったですね。残念ながらどんな建物だったのかの資料は正確に残っておらず、神殿に向かって延々と階段が続いていくあの建物は、資料と遺構から想像したものなのだとか。他にも、もののけ姫の舞台となった「たたら場」の体験コーナーもあって、中々見所の多いところでした。

日御碕灯台は日本一の灯台で、今も現役で使われているとか。200段近い螺旋階段は死ぬかと思いましたが、展望台からの景色と強風体験は圧巻でした。この付近で思いのほか時間を使ったため、松江城や宍道湖は近くから眺める程度に抑え、本日最後にしてメインディッシュ、境港へ。奇しくもこの日は「ゲゲゲの女房」の最終回で、我々も宿でしっかり見ていました。もともと狙ったわけでなく、これ以上ないほどタイムリーに行けたのは妖怪さんの思し召しだったのでしょう。

何やら映画もやるようですが、あのかっこいい水木先生に慣れてしまったからか、どうも違和感があります。まあ、実際あの最終回の時点では還暦を越えていたはずなので、ドラマの方がおかしいのでしょうけど(笑)

山陰の旅その2

2010年09月24日 | Weblog
萩を出発し、全てを石見銀山に捧げました。

というのも、萩から石見銀山までは150km。普通に3~4時間はかかる道です。秋吉台とか金子みすヾ記念館とか、山口には他にもいきたい所があったのですが、全てパスして12時過ぎに銀山へ到着。世界遺産センターでテンションを上げ、いざバスに乗って核心地へ。この日は基本的に平日だったため人の入りが少ないのではと思っていましたが、3つある駐車場の3つめの半分まで入る盛況ぶりに驚きました。休日に的を絞っていたら大変なことになっていたなあ・・・相当歩くので汗だくになることを覚悟し、短パンにTシャツで行ったのですが、この日山陰地方は寒気が流れ込み20度を切っていたため、むしろ寒かったです。まあ台風と前線がせめぎあっている最中、4日間とも雨に全く降られなかったのですから、文句を言ってはバチが当たりますね。つか、行程中決まって移動時や宿に着くと雨が降る、都合の良い晴れ男ぶりは旅行中ずっと健在でした(笑)

石見銀山は、400年前の世界に流通していた銀の約3割を産出していたというまさに「金(銀)のなる山」だったそうです。普通は取れた銀鉱をどこかへ運んで精錬するですが、ここでは灰吹法という技術を使いその場で銀を精錬できたため、運ぶ手間が要らず、良質の銀を大量に生成することが可能となったとか。そうなるとやはりその土地で生活しながら仕事をする人が増えていくわけですから、ふもとの鉱山町もどんどん栄えていったというわけです。その鉱山町の入り口から、一般公開されている龍源寺間歩までは3kmほどの緩やかな上りの道になっています。平日だったので小学校も普通にやっていました。途中から山道になり、至る所に穴が掘られていましたが、人一人入れるかどうかと言う大きさで、その全てに柵がしてありました。間歩とは鉱脈を見つけるために掘られた穴ですから、大きく掘るとその分無駄になるため、基本的には直径60cmほどの穴が多いようでした。掘った後はエビの様に後ろ向きに出てきたそうです。

んで、メインの龍源寺間歩は、1.5mほどの大き目の穴になっていて、少しかがんで入るくらいの所でした。鉱脈に沿って細い穴が掘られていて、丁度ありの巣のような感じでしたね。あと、その穴を照らすように所々照明がついていましたが、その光のあるところだけにコケや草が生えていました。

こんな所でも光合成して生きていこうとする植物のたくましさを実感しますね。

最後に、100年前に作られたと言う精錬所跡を見てきました。この時代には既に殆どの銀を取りつくしていて、立派な精錬所だったのですが採算が合わずわずか1年で廃鉱となってしまった模様です。今の技術なら、山自体をパワーショベルなどで掘り崩して手当たり次第銀を探すことも可能でしょうけど、当然それだけのことをしようとすれば莫大の費用がかかってしまいます。昔は手作業で掘っていたため、時間はかかりますがその分銀脈を狙い済まして採取することができ、コストパフォーマンスが良かったのでしょうね。山を叩き、その音で銀脈を探すとか、今で言う超音波探査のような技術をもった人もいたそうです。もちろん働いていた人は相当劣悪な環境の中にいたわけで、いくらもらえたかは知りませんが今では到底できないでしょう。やはり昔の人の知恵や努力はすごいものがありますね。

いくら取り尽したと言われても、やはりまた掘ってみたいと思うのが漢のロマン。お金貯めて掘削機でも買おうかな(笑)

山陰の旅その1

2010年09月23日 | 自伝
運動会連休を使って、山陰地方へ出かけました。

上手に代休が取れたため、豪華な4連休を頂きました。直前直後の仕事は山積みなわけですが、全て忘れて行ってきます(笑)
岐阜から高速に乗ると、青森までこそ千円ですが、西に行くには京都大阪の大都市圏が邪魔をし、どうしても2千+αかかってしまいます。しかし、オバマ小浜西ICから乗れば大都市圏を避けることができ、目標の山口まではおろか、鹿児島までも千円で行くことが可能なわけです。一般道で琵琶湖を北回りしますから、距離的には間違いなく不利なのですが、ふと地図を眺めていて、岐阜と鳥取の緯度がほぼ同じだということに気づき、意外に山陰を目指すのには敢えて琵琶湖を南下せず、むしろ北上した方が良いのでは?と考えました。そこで適当に計算してみると、大都市圏-山陽道ルートに比べ小浜-中国道ルートは50kmほどの違いしかないようです。前者に少しでも渋滞が生まれれば十分埋まる差であり、この前の3連休の山陽道の事情を見れば、朝早く出れば後者もそれほど馬鹿にしたルートでないことが分かりました。どこからか、アノ人のアノ声が聞こえてきます。
Yes,We Can!
・・・そんなわけで、前日と朝のものすごい雷にしばしばくじけそうになりましたけど、岐阜を朝の4時半に出発し、オバマルートを通って山口に15時半ごろ到着しました。走行距離は700km。青森まで行った時に比べれば全く楽なものですね。

この日の目的地は萩。幕末~明治にかけて、ありえないほどの偉人を数多く排出した伝説の都市です。その感動と秘密に迫る考察はいずれ後述するとして、とりあえず萩の町へ一言。

この町、時間止めすぎだろう・・・

年収

2010年09月22日 | 時事
年収25万ドルは金持ちじゃない?
自分の中では1ドル100円換算していますから多少価値が違うかもしれませんが、年収2000万でも間違いなく金持ちでないですかね。

公務員の給料は一流企業の平均で決められますから、一般より高くなるのは当然です。その平均より上回っていれば、少なくとも平均よりは「金持ち」と見て良いでしょうね。
そんなわけで、公務員の平均年収というものを調べてみました。すると700万ぐらいであることが分かりました。ブッシュ大統領の時代の平均年収は分かりませんが、25万ドルと言う基準は日本に置き換えても平均年収の3~4倍なわけで、十分に金持ちだと言えるでしょう。多少色をつけたとしても、半値の1000万でもよさそうですね。

そもそも期限付きの減税を恒久化する必要はないのでは。

逆説の日本史

2010年09月21日 | 自伝
何か最近ハマりました。

よく行くラーメン屋は待ち時間が結構長く、その間に「週刊ポスト」を読んでいたわけですが、その中で面白いなあと思った連載がコイツでした。その時の話は、日本が開国をした理由について、何故か各国の道路の舗装率を引用して説明が始まり、その目の付け所の斬新さに釘付けとなってしまい、毎週ラーメン屋で続きを読んでいました(笑)その時はまだどういう趣向のものなのかは分かっていなかったのですが、その短期連載が終わった後も今にかけて別の幕末の話が続いており、様々な見方で幕末の歴史の新説を説くスタイルの連載なのかな、と思っていました。まあ、まさか「日本の歴史」みたいに、黎明編から順番に新説を説きつつ、やっと江戸時代まで来ていたとは思ってもいませんでしたが・・・先週、もしかして本になっているのではと閃き、図書館へ行ってみてびっくりでした(笑)

自分は歴史が好きなわけではありませんけど、一応高校では日本史を選択しており、点数は取れませんでしたが興味はそれなりにあるつもりです。旅行に行くと、大体その土地の史跡や記念館を回りますしね。ただ、本当に詳しい友人とは相槌を打つばかりで会話に全くついていけませんし、大河ドラマも余り見ていません。娯楽としてでなく、中学高校の勉強の延長として、または雑学として楽しんでいる感じですね。

そんなわけで、この「逆説の日本史」に出てくる説は、ちょっと考えさせる問題提起や、違った見方からの歴史解釈がとても面白い読み物だと思います。まだ読み始めたばかりですが、どの話にも根底に「歴史に残る事実」を追求するのではなく、「歴史に残らなかった事実が何故残らなかったか」を追求しようとする流れがあるようです。そのために、テーマの振り方や論理が若干強引な面もありますが、歴史自体がその時代時代で解釈が異なったり、同じ事象でも国同士で見方が異なるものですから、この本に書かれていることが全て真実であるとは思いません。しかしまあ、「こういう見方もできるよ」的な書物として読めば、かなり刺激的な読み物であることは間違いないでしょう。書いている人も、おそらく得意な時代や苦手な時代があるでしょうから、ぜひ幕末だけでなく色々な時代の話を読んでみたいですね。

ただ、多分全巻読破するほどのエネルギーはないなあ・・・こういうのをさくさく読める人は尊敬します。

54連勝

2010年09月18日 | 時事
白鵬54連勝、単独2位=千代の富士抜く―大相撲秋場所7日目
ついに千代の富士の記録を抜きましたか。

当時、千代の富士が53連勝をして優勝した時は非常に興奮してテレビを見ていました。負けた後も、すぐにもう一度連勝を積み重ねてくるだろうと思っていましたね。しかし3年後に引退し、その後は貴乃花が30連勝、朝青龍が35連勝しましたがここまで連勝を伸ばす力士は出ず、3場所以上の連勝というのは非常に難易度が高いことが分かりました。年に6場所ありますから、半年間以上負け知らずというわけですからね。つーか双葉山が69連勝を出した時代は年に2場所ですから、3年間負け知らずとか・・・想像を絶しますな。

まあ、連勝が伸ばせるときは力の拮抗したライバルがいない状態の時だけですから、あまり良い状況ではないですね。

監査

2010年09月17日 | Weblog
岐阜にICT機器の会計監査が入る模様です。

国のスクールニューディール政策によって、岐阜は昨年度から今年度にかけて情報機器に非常に大きな動きがありました。全教室に50インチのテレビとパソコンと実物投影機、パソコン室に40台のパソコン、教員一台にパソコン、学校に一台デジタル黒板が導入されたのです。今まで入っていた100台近いパソコンも、全教室にあったアナログテレビも全て処分されましたし、学校の中のICT環境が完全に一新されたといって良いでしょう。
それまで、極端な例を出せば、ある教室ではTOWNSⅡを一昨年まで普通に使っていたような現場に、一気に情報の波が押し寄せてきたわけで、当然、被災地となった現場には「避難」をしようとする人も大勢いました(笑)そこを何とか、テレビと実物投影機だけでも使ってもらおうと自ら率先して使用し、使用例を10例ほどまとめて職員会議で提案し、学年末にはようやく「実物投影機を使ってみたら便利だった」という声が聞けるようになりました。しかし、3月に異動があるため、今年度も4月にもう一度同じ提案をして、また1から徐々に意識改革を進めていかなければなりませんでした。この夏に、それまで空き容量がキロバイト単位だった教室用PCがようやく新しくなったので、2学期からはそろそろパソコンでデジタル教科書を使っていこう・・・と啓発を行っている最中、と言うのが現状です。

そこに、文科省から「導入1年経ったので、ちゃんと使っているか調べますよ」という調査が入ったというのが今回の話です。監査は抽出校なので、当たらない可能性もありますが、当たってしまって「準備できていません」では言い訳になりませんから、準備だけは全学校しなければいけないわけです。内々には以前から「監査が入るらしい」という話はありましたが、具体的に何をするとまでは言われておらず、とりあえず物品シールを貼って所定の場所に適切に管理してあればいいのかなと思っていました。
しかし、今回正式に監査が決まり、文科省が言い出したことは、「1学期の全授業時間に、デジタル黒板とテレビ、パソコン、実物投影機を使ったかどうかのメモを残し、そのメモを集計して来週提出せよ」という無茶振り・・・。「これから4ヶ月、毎時間記録をつけろ」と言うのならまだ分かります。でもそうではなく、調査期間が既に終わった4月から7月までの記録メモをこれから作れとのたまわれたのです。コレはつまり、4月8日の1時間目にテレビを使いました。4月9日の2時間目にパソコンを使いました。などと、1学期に行った三百数十時間の授業の全てを今から思い出して書けと言うことです。文科省のエリート方々なら余程賢いでしょうから、何月何日の何時何分にどの機械を何時間使ったか、4ヶ月分くらい記憶しておくのは朝飯前かもしれませんが、我々しがない末端職員には残念ながらそんな記憶力は備わっておりません。しかもその話があったのが昨日で、1週間後に提出、2週間後に監査という突貫工事です。この時期、殆どの学校は運動会の最盛期でしょうから、そんなことに時間をかけている暇はありません。じゃあどうするかと言えば、大きな声では言えませんが、
捏造
しかないでしょう。

※ただ今小さい文字で出す所を誤って大きくしてしまったことをお詫びいたします。反省はしていない。

そもそも、スクールニューディール政策は経済対策ですので、主語が学校を向いていない政策です。もともと学校が「使うから入れて」と欲したわけではなく、企業に税金を投入するための受け皿となっただけのものですから、本来納入が終わった時点でその役目は終わっているはずではないでしょうか。監査をするならむしろ企業側に「適正価格で滞りなく納入したか」を調べるべきだと思うのですが・・・捏造されることが確定している監査をする意味があるのか、それこそ事業仕分けで議論してもらいたいです。つーか、日程上当然捏造書類を出されることが役人に分からないはずもないでしょうし、この監査自体の意図が全くもって不明です。

もしかしたら、この政策は自民党政権下のことなので、民主党が自民党を追及するためにイジワルで監査に入るのでは?

スネ夫3D

2010年09月16日 | 時事
<ドラえもん>スネ夫の家に3Dテレビ のび太の家の地デジ化も課題に 17日放送
このタイトルだけでストーリーが想像できる所がいかにもドラえもんですな。

どうせのび太だけメガネを貸してもらえず、ドラえもんが本物の3Dテレビを出すのだろうなあ・・・と思っていたら、全くその通りらしいです(笑)のび太もそろそろスネ夫に呼ばれた時点で気づくべきですね。