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山陰の旅その3

2010年09月25日 | Weblog
島根県の北側、地図上で出っ張っているあの部分を通って鳥取入りしました。

地図で見ると“島根の北の端”のような印象をもちますが、中々どうして、見所の多い中心地でした。本日のルートは、出雲大社、日御碕灯台、宍道湖と松江城、中海の大根島を通って境港という豪華コースです。全てを記すとかなり長くなりそうなので、とりあえず出雲大社をメインに書いていこうと思います。

伊勢神宮や熊野古道へ参った頃から、いずれはココにも行ってみたいと思っていました。参道は、最初の鳥居から社までずっと下っていく、珍しい下り参道。ということは、帰りがきついわけですね(笑)
残念ながら現在は60年に1度の式年遷宮の最中と言うことで、仮殿の後ろにある本殿は工事のため、社ごとすっぽりとでかいプレハブに覆われていました。

厳かな建物の後ろにある、異様な存在感をもつ白い建物。これはこれでシュールな光景ですね。ちなみに、よく聞く「大注連縄(おおしめなわ)」というのは真ん中に写っているコレのことではなく、隣の神楽殿にこの2倍ぐらいの大きさでついていました。縄にお金を投げて刺さると縁が実ると聞いてがんばりましたが、3回目にしてやっと入りました(笑)これは、恋愛に2回失敗すると言うお告げなのでは・・・ガクブル

参拝の後はお約束の出雲そば。割子そばといって、3段のそばを上から順に汁をぶっかけて食べ、のこった汁をどんどん下にかけ注いでいくシステムのようです。面白かったのは紅葉おろしが乗っていたことですかね。冷そばは基本ワサビで食べているのですが、ピリ辛のそばもアリかなと思いました。あと、あのスタイルは写真を撮り忘れても3段目に手をつける前に気づけば、あたかも今から食べ始めるように撮れる所が良いところです。
腹も満たされた所で、出雲大社の隣にある古代出雲歴史博物館へ。昔の出雲大社は地上48mもの高さにあったと言う伝説がありますが、なぜそうなったのか、また今はどうしてなくなってしまったのか、ずっと疑問でした。どうやら昔の書物に「この世の高い建物は、1に出雲、2に東大寺、3に大極殿(雲太、和二、京三)」というような記述があり、奈良の大仏が45m(15丈)だったことから48m(16丈)ぐらいあったのではという推測に至ったわけです。では何故今は影も形もないのか。意外にもその答えは既に我々の前に示されていたのです。それは・・・
式年遷宮
そう。出雲大社は60年に1度、影も形もすっかり変わるわけです。つまり、1300年ごろに誰かが「次はちょっと高くしてみようぜ」と言い出し、60年間だけ限定で高くなったと考えれば、謎が全て解けるわけです。そのことが分かったのは最近だったと記憶していますが、それなら是非今回の遷宮で再現して欲しかったですね。残念ながらどんな建物だったのかの資料は正確に残っておらず、神殿に向かって延々と階段が続いていくあの建物は、資料と遺構から想像したものなのだとか。他にも、もののけ姫の舞台となった「たたら場」の体験コーナーもあって、中々見所の多いところでした。

日御碕灯台は日本一の灯台で、今も現役で使われているとか。200段近い螺旋階段は死ぬかと思いましたが、展望台からの景色と強風体験は圧巻でした。この付近で思いのほか時間を使ったため、松江城や宍道湖は近くから眺める程度に抑え、本日最後にしてメインディッシュ、境港へ。奇しくもこの日は「ゲゲゲの女房」の最終回で、我々も宿でしっかり見ていました。もともと狙ったわけでなく、これ以上ないほどタイムリーに行けたのは妖怪さんの思し召しだったのでしょう。

何やら映画もやるようですが、あのかっこいい水木先生に慣れてしまったからか、どうも違和感があります。まあ、実際あの最終回の時点では還暦を越えていたはずなので、ドラマの方がおかしいのでしょうけど(笑)