(株)カプロラクタム-blog

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避難所耐震化

2016年04月24日 | 震災
熊本県内の指定避難所 少なくとも40か所使えず
中には耐震化工事を終えたのに壊れてしまったところもあるようですね。

一般家屋は仕方ないとしても、やはり避難所となる場所はこれでもかというくらい頑丈に作っておきたいものです。ただ、震度7にも耐えられる基準を満たした建物と言っても、これほど連続して起こればやはり耐え切れなくなってしまうものなのですね。

学校などはおそらく市役所などよりも率先して耐震化を進めたのでしょうけど、結局避難所となると住民が押し寄せるため、学校としての機能は失われてしまいます。できれば学校以外に避難所があって、教育の機会もちゃんと保証できれば一番良いのですが、現状では厳しそうですな。

災害報道と不確定性原理

2016年04月22日 | 震災
熊本県民テレビ「避難所取材で少女どかす」批判を否定「自発的に」
まあ自発的にどいたにしろ、報道がなかったら子ども達は濡れなかったわけですからねえ・・・

不確定性原理とは、量子力学においてある量子の位置と運動量を同時に知ることはできないと言うものです。ある粒子がどこにあるのかを知るために別の粒子を飛ばして測定しようとしても、当たった場所に「あった」ことは分かりますが、当たった瞬間にどこかに行ってしまうのでもうその場には「ない」わけですね。何もしなければ変わりませんが、調べるためにアクションを起こすことで、その状態そのものが変わってしまうものなのです。災害報道は、まさにココが問題なのですよね。

「被災地のありのままを映す」ことは、報道の使命なのかもしれません。しかし、支援物資を運ぶでもなく、救助を手伝うでもない車両やヘリコプターは災害救助の邪魔にしかならないのもまた事実です。報道というアクションは、現地のありのままを伝えることで「今足りないもの」を明確にしたり募金を集めたりなど、「その後」の救助や復興を助ける効果あるでしょうけど、「報道されている瞬間」はマイナスにしかならないのですよね・・・例えば焼き芋屋視点で見れば、この報道を近所の人が見ることによってイメージアップになり、その後このイモ屋は繁盛するかもしれませんが、その取材応対中は芋を売れないので明らかにマイナスです。まあそういう長期展望があるから「今」を受け入れて取材に応じるわけですけど、既に「今」が限界ギリギリの人たちにとってはたまらない苦痛になりかねません。この件以外にも、生放送で被災者に怒鳴られたテレビ局もあるようです。この子ども達はその後カゼをひいたわけでもなく、別に不満をもったわけでもないようですが、今後も自らの行いが極力被災者にマイナスにならないよう、ちゃんと自覚して報道してもらいたいものです。

ただ、今回取材陣を批判しているのは被災者ばかりでなく、関係ない人たちも多いのですよね・・・被災者からの苦情は謙虚に受け入れなければなりませんが、遠くにいて「かわいそう」「不謹慎」だと手前勝手な理屈で騒ぎ立てるのは、居酒屋トークと同じく(笑)騒ぐのを目的としてるだけなので無視して構わないでしょう。

車中泊とエコノミー症候群

2016年04月19日 | 震災
エコノミー症候群で女性死亡 車中泊、外に出て倒れる
飛行機のエコノミークラスなど、動きにくい場所で寝ると血栓ができて詰まる病気ですな。

車中泊は最近自分も旅行先でするようになりましたが、後部座席を倒し、座布団や布団、タオルケットなどを駆使して一応快適に寝られるよう試行錯誤しています。まあそれでもやはり足の方は苦しいですけどね・・・震災時の避難ならもっと荷物も多いでしょうし、もし2人以上いたら寝られるスペースがなく、シートを倒す程度で寝るしかないでしょう。一回めちゃくちゃ眠くなって仮眠するつもりが3時間くらい寝た時は、やっぱり起きぬけに頭が痛くなりました。何日も続くのならやはり危険ですね。雨が降ると外で体を動かすこともできませんし・・・

学校の避難訓練でも、地震が起きた時は基本的に屋内に留まり、机など頭を守れる場所にいることになっています。最終的に運動場に出るのは火災の危険があるためですが、今回の地震のように何度も何度も揺れ、倒壊の恐れがある場合はやはり室内にいるのは危険ですよね・・・かといってずっと屋外にいるには今の時期はまだ寒いですし、必然的に車の中が安全という考えに至ってしまうのでしょう。前門に虎、後門に狼か・・・

結局、防災、減災と言っても、完璧に逃れられるものではないのでしょうねえ。

ふるさと納税と募金

2016年04月18日 | 震災
【熊本地震】ふるさと納税で被災地支援の動き わずか2日で南阿蘇村に3500万円
なるほど・・・ふるさと納税なら直接その自治体が使えるお金になりますね。国内なら募金よりいいかも?

ふるさと納税については以前疑問に思ったときに仕組みを調べたのですが、単純に年収を400万とすると、ざっくり5万円くらいを他の自治体に納めることができるシステムのようです。確定申告等の申請をしなければならず、また自己負担で別途2千円はかかるそうですが、元々この5万円は地元に納めるはずのお金ですし、自治体の中には納めた額の半額相当の特産品をプレゼントしてくれるところが多いので、総合すると2千円の出費で2万5千円相当の恩恵が得られる訳ですね。また、自治体にとって見れば、2万5千円相当のプレゼントの用意しても5万円の税収が得られれば御の字なので、アノ手コノ手で特産品をかき集めてくるわけです。じゃあ誰が損をしているかと言うと、ふるさと納税をしようとしている人が住んでいる自治体です。当然東京など大都市はヨソへふるさと納税される比率が多くなり、損をしてしまうわけですが、元々が地方に金を回す発想で生まれたシステムなので仕方がないわけですな。

で、今回のような被災地にこのシステムを利用し、「プレゼント不要」でふるさと納税をすれば、2千円の出費で丸々5万円の寄付をしたのと同様になるわけです。すでにできあがっているシステムなので、募金のように本当に自分が渡したお金が正しく送られ、使われているのか不安に思うこともありません。まあ自治体の使い道次第なので、そこは信用するしかありませんけどね。

そう考えると、正しく使われる前提なら消費税だってさっさと10%に上げて復興に回すべきなのですがねえ・・・何故それどころじゃないという議論になるのかが分かりません。タダで自衛隊が動き、食料が配られてプレハブが建つとでも思っているのでしょうか?税金で足りない分は全部未来の子どもたちから借りてるわけですけど、本当にそれでいいのですかねえ・・・


熊本城被害

2016年04月17日 | 震災
国重文5カ所に甚大被害=「修復20年後も」―熊本城
瓦や石垣が崩れ、無残な姿になってしまいました。

熊本城は国宝五城や現存天守十二城ではありませんが、日本3名城の1つとしても名高く、「連結式望楼型」と呼ばれる天守(宇土櫓なども含む)がたくさんある造りになっており、その豪華さから海外の「行って良かった日本の城ランキング」1位に毎年のように輝いている立派なお城です。また九州は中国や韓国から近いですから、実は政府の進める外国人観光客の増加計画にも非常に重要な役割を担っていました。自分も大学の頃見に行っていていますが、当時は城よりも馬刺しの方に興味があったので、正直覚えていません(笑)

この姿に戻るには20年かかるのか・・・応援に駆けつけたい場所がどんどん増えていきますね。

前震、本震、余震

2016年04月16日 | 震災
14日夜のM6・5は「前震」…気象庁が見解
まさか・・・「あの地震は我が四天王の中では最弱」が実際に起こるとは・・・

流石に寝ていましたけど、どうやら夜中に熊本でまたでかい地震が起こり、それがマグニチュード7.3と14日の6.5を上回ったためにそちらが「本震」となり、14日のは「前震」扱いになってしまった模様です。最初の地震がきっかけで起きたことは間違いないでしょうけど、普通「余震」と言われると本震よりは小さいイメージですから、後で起きた方がでかい場合はこうした逆転現象が起こるのでしょう。もちろん機械的に呼び方を変えただけなので、「事前に前震だと分かっていたら・・・」という過程は成り立ちません。7.3というと阪神淡路大震災と同じで、昨日から死傷者も一気に30名以上に増えてしまい、大分などでも大きな被害が及んでいる模様です。これはもう熊本地震という規模でなく、後に「九州大震災」と名づけられるかもしれませんな。

まあ名称が変わったところで、前震、本震、余震などというカテゴライズは便宜上名づけられただけに過ぎず、確定でもないので、今後さらにでかい「真の本震」が起きないとも言えませんし、一連の地震が阿蘇残大噴火の予兆ではないとも言い切れないのが現在の地震学・火山学の限界でしょう。それらを含めた気象学とは過去の記録の積み重ねであり、「地震は周期的に起こる」「大きな地震が連動して起こる」「地震の後に噴火が起こる」などは過去の経験則として疑いの余地はない事実なわけですが、厳密な意味で関連性が証明できているわけでもないのです。そもそも今回のように震源地が徐々に北東へ移動していくような現象は全く例がないらしいですしね・・・あと、妙に阿蘇山に集中しているのも気になります。噴火警戒レベル自体は今の所変わらずレベル2の模様ですが、あの外輪山の規模を見ると阿蘇が本気を出したら北海道も含めた日本列島全てに灰が降るレベルですからね・・・

九州の方達にそろそろ休まる夜を・・・

災害時の情報利用

2016年04月15日 | 震災
【熊本地震】ツイッターに集う智恵 地震保険適用や救助の求め方-混乱招きかねないものも ツイッター社が正しい利用法呼び掛け
東日本大震災の時もそうでしたが、大きな功罪がありそうですな。

昔は被災地の情報はマスコミに頼るしかありませんでしたが、今はネットが普及し、また回線の状況もかなり良くなっているので、様々な情報が発信できるようになりました。安否確認や「○○が足りない」といった情報も被災者から直接発信でき、それにダイレクトで応えることもできるわけです。

しかし、現状はというと、情報が多すぎて溢れかえり、混乱しか生んでいない印象です。中には救助要請や紙おむつが足りないなど、有益な拡散やりとりもあったようですけど、ほとんどが「震災野次馬」とでも言うべきツイートでしょう。中には明らかに非常時に便乗した面白半分の内容や、イタズラに不安を煽るだけの内容も多く拡散されてしまった模様です。こういったデマは冷静に判断すれば分かりそうなものでしょうけど、非常時の混乱の中でうっかり信じてしまい、デマの拡散に加担してしまうことだってあります。あと、余計な情報を流しすぎた結果、本当に必要な救助・応援要請の声が埋もれてしまうことまでありえますね。

「船頭多くして船山に登る」ということわざがありますが、震災時に各自がてんでばらばらな行動をしていては、救出できるものもできずに余計に混乱を招くだけでしょう。マスコミも同じで、各メディアが押しかけて我先にインタビューするのは、被災者の休まる時間がなく負担を増やしてしまいます。実際昨日は夜通しヘリを飛ばして避難所を見つけてはインタビューに行っていたようですからね・・・絶対にうるさかっただろうなあ。こういう時はもうNHKに任せて、テレ東のように泰然自若といつもの放送を続けたほうが、子どもたちも安心できるのではないでしょうか(笑)
あと、民進党公式が謎のツイートを飛ばして自爆していましたが、東日本大震災の時、自民党がデマを飛ばして足を引っ張っていたという印象は全くありません。思い出してみると、まさにあの3.11の日に菅首相の違法献金疑惑が浮上し、翌日から追及が始まるはずだったのが、震災があったことで自民等も追求をやめ、協力することにしたと記憶しています。しかし、共同でやろうという要請を拒んで民主党独自に対応しようとした結果、対応が後手後手になり結局政権崩壊や党名変更にまでつながってしまったのではなかったでしょうか?さらに、現在その尻拭いを自民に任せているにも関わらず批判だけ繰り返し対案も出さない最低の党になり下がっています。新しい名前になったからといって、災害に便乗してまた国民をだまそうとしても、そうは問屋がおろしませんよ。

ツイッターは短い文面で表現しないといけませんから、自然に性格というか地がにじみ出てしまいます。緊急時こそ表現を考えたいものですね。

熊本震度7

2016年04月14日 | 震災
〔地震〕熊本県益城町で震度7、津波の心配なし
阿蘇山は大丈夫かな?

震度7は阪神淡路大震災の時に始めて記録されて以来、過去に新潟中越、東日本大震災、長野の、大きく4回を数える程度しか起きていません。まだ被害状況が分かりませんが、建物が崩れるなどの大きな被害が出ている模様です。火を使うような気候・時間帯でなかったのは不幸中の幸いでしょうけど、これから余震や火災なども心配ですね。被害が最少限に留まることを祈るばかりです。

ところで、今日勝てば囲碁で前人未到の7冠制覇だった井山名人ですけど、どうやら今日は負けてしまったようですね。もし勝っていたら今頃緊急生出演など特集が組まれていた可能性はありますが、確実に地震のニュースで飛ばされてしまったよな・・・これもまた不幸中の幸いか。

新花は咲く

2015年05月03日 | 震災
NHK「花は咲く」歌詞1カ所変更 東北地方向け放送
歌詞の終末部分「私は何を残しただろう」を「残すだろう」に変更する模様です。

あの歌はNHKで繰り返し流されるので流石に覚え、例のリコーダーサイトの方の花は咲く一人十重奏(笑)をバックに気持ちよく演奏しています。公式PVのようなものは様々な東北つながりの歌手や芸能人、フィギュアスケーターなどが交互に歌い、日本版「We are the world」のようなチャリティソングの扱いなのですね。だからみんな好き放題歌っているわけか・・・

で、歌詞についてですが、やはり東日本大震災の復興応援ソングと言うことで、歌の中にも震災のイメージが上手く込められていると思います。今回話題となった部分は、確かに聞いている時にも気にはなっていました。わたし=死んでしまった人が、いつか生まれる君=未来に、何を残したか。しかし死者の声はもう聞けない。花は再び咲くのに・・・と言う、どちらかというと後ろ向きの歌詞なのですよね。しかも1曲の中で同じ歌詞が3回も歌われ、死者の無念をこれでもかと強調しているのです。そこを、最後だけ「残す」に変えることで、「わたし」の主語が今度は「今生きている者」に変わるわけです。死んでしまった人はもう何も残せないが、今生きている私は未来に何を残すのか。いつか恋する君のために花が繰り返し咲くように・・・そう考えると、ここはむしろ最初から「残す」にすべき所だったのではないかと思えてきますね。見事な変更だと思います。

しかし、「のこしただろう」が「のこすだろう」になると、音が1文字分減ってしまうので、最後のファの部分は「ろう」と歌っていたところを「うー」と伸ばす感じになるわけですな。どうせなら「のこすのだろう」の方が良かったのではないでしょうかね?

40年廃炉決定

2015年03月17日 | 震災
関電と原電、3基の廃炉を正式決定 福井県に説明
福島第一を除くと初めての廃炉判断だそうです。

まあ美浜原発自体が今年で45年ですから、新基準に当てはめても遅すぎるくらいなのですがね。この「40年廃炉」という基準自体、東日本大震災の後で生まれたものですから、もしアレがなければ永久にゴマカシつつ使っていくつもりだったのかもしれません。何はともあれ、福島第一のようにグチャグチャでない状態での廃炉作業ですから、少なくともアレよりはやりやすいでしょうし、将来的なノウハウの蓄積にもなるでしょう。滞りなく解体が進むことを願っています。

ところで、この廃炉作業後に出る放射性廃棄物の処理方法はもう決まっているのでしょうか。最終的にどうするかについては地層処分とか色々議論されていますが、場所の問題もあり、すぐ容量不足に陥るのが目に見えていますから、自分は将来的にもう宇宙に放出するしかないと思っています。発射リスクが問題視されているようですが、万が一爆発しても福島ほどの被害にならないように量を調節し、少しずつ打ち上げて廃棄していけばよいだけの話です。宇宙エレベーターができればもっと安全に大気圏外へ運べるかもしれません。これまでの宇宙開発は、まさにこのためにあったのではないかとさえ思っています。火星に移住するとか色々言われていますけど、人間はやはり、土から離れては生きられないでしょう(byシータ)地球を放棄して火星に移住するより、火星をゴミ捨て場としてでも地球を住みやすくした方が余程現実的かつ効果的だと思います。

国内や世界各地で熾烈なババ抜き合戦を行うよりは、さっさとどう安全に宇宙に捨てるかということのみに人類の英知を結集し、解決策を考えて欲しいものです。



解体か保存か

2015年02月23日 | 震災
<南三陸防災庁舎>重い選択 揺れる心
震災遺構をどうするか、複雑な心もちをを感じる難しい問題ですね。

この建物は自分も震災1年後に慰問に訪れたのでよく覚えています。「天使の声」というフレーズとともに、今も多くの方が記憶に留めていることでしょう。しかし、もうあれから4年が経とうとしており、幼稚園児の甥や姪はもちろん、小学校低学年の子ども達ですらその東日本大震災自体が既に記憶にない世代であるわけです。当事者でない自分が思うには、そういう新しい世代のためにも、やはりあの震災の教訓を忘れないよう残して欲しいと言う気持ちが強いです。しかし地元の方にとっては、棲家を奪われ肉親や親しい友をも奪われたという忌まわしき記憶以外の何物でもなく、その瞬間生きる望みが絶たれたかに思えたあの惨状を思い出すことは、あれが存在するだけで耐えがたい苦痛になり得るでしょう。奇跡の一本松が思いの外早くサイボーグ化して観光資源となり得たのは、直接あの場所で亡くなった方がいなかったからという見方もできますが、防災庁舎は人の営みそのものですからね・・・。
4年が経ち、亀の歩みとはいえ徐々に復興しつつある中、遺構があることで「忘れてはならぬ」という気持ちと、まだ「忘れられぬ」と言う気持ちがせめぎ合っているのではないでしょうか。もう少し時間が経てば冷静になれるのかもしれませんが、心情的なものはどうしようもありません。取り壊してから「やっぱり残せばよかった」と思っても後の祭です。また言いにくいのですが震災の教訓と言いつつ、何も無くなった町の貴重な観光資源となっているのもまた事実です。南相馬市に行った時にも思いましたが、当事者意識と言うのは本当に当事者にならないと分からないものですし、これは最早外部の人間がどうこう言う問題ではない気がします。

記録に残すか、記憶に残すか。十分に議論したいものです。

凍土の壁崩壊?

2014年11月22日 | 震災
凍らない「氷の壁」…断念、セメントで埋設へ 福島第1原発の汚染水
汚染水漏洩問題で、あれだけ宣伝されていた「凍土の壁」が、結局断念される模様です。

原発事故の後、汚染垂れ流しの現状に危機感が渦巻いた世論の中で、「これができるからもう安全です」という感じにひたすらイメージ動画が流され続けた「凍土の壁」。緊急性が叫ばれたにも関わらず、中々着手すらされないまま民主党政権は「やるやる詐欺」で崩壊してしまいましたし、自民政権下でいい加減始まったのかと思っていたら、実は3年後にやりますよとう楽観ぶりだったことが発覚してしまいました。ようやく本気を出してして予算を前倒し今年着工してみたものの、その前段階とでも言うべき「氷の壁」が全く凍らなかったという有様で、急遽氷やらドライアイスやらを導入するも、結局世界一間抜けな「アイスバケツチャレンジ」と化してしまいましたね。本命である「凍土の壁」も同じ技術で行われるため、こんな調子ではまず期待薄でしょう。つーか、アイスキャンディーのような棒を突っ込んで地下水を凍らせる子どものような発想もさることながら、どんなに寒くても川が滅多に凍らないように、動きのある水を凍らせるのは至難の業だというのは子どもでも知っている常識ですが、そんなことすらも考慮されていなかったのでしょうか。この前行われていた原発から燃料棒を取り出す作業もまんまUFOキャッチャーのようでしたし、爆発直後、自衛隊機が上空がら放水する様は、まるで人類の英知を全てかけて壮大なコントを行っているようでした。想定外の事態になればなるほど、その対策がマンガチックになってしまい、誰も突っ込まないのはクールジャパン発症発祥国特有の病なのかもしれません。

まあ、その間も汚染水はどんどん溜まっていくわけで、お手上げしている場合ではなく、マンガチックであろうがなかろうがさっさとセメントやら何やらで固めるなり、どんどん対案を出して実践するべきですな。ココは一つ、高分子ポリマーで地下水を吸収する「汚染水漏らさずキャッチパンパース大作戦」などは如何でしょう?

国道6号解除

2014年09月16日 | 震災
福島の国道6号、通行規制解除 原発事故以来3年半ぶり
福島第一原発の脇を通る一番近い国道、6号線の規制が解除された模様です。

原発に一番近い所だと直線距離で3kmほどの所を横切るようで、当然回りはまだ20km圏内に渡って立ち入り禁止区域ですし、事故から3年半が経った今でも空間線量は高止まりしているようです。毎時5マイクロシーベルト以上というのは、日本一自然放射線が高い我等が岐阜県のおよそ50倍、韓国の40倍、世界平均の20倍に相当し、単純に毎5として24時間×365日で換算すると、何と年間43.8ミリの被爆に相当します。日本の一般人の基準である年間1ミリシーベルトを軽く凌駕し、放射線業務従事者でも年最大50(平均20)までしか認められていませんから、本当にギリギリの数値です。しかも、個別に国道6号付近の観測点を見ていくと、毎5なんて生易しい数値でなく、9とか33とか、最高で毎時56マイクロシーベルトまで存在しました。基準の10倍オーバーに跳ね上がります。もちろん、上記の試算はあくまでも「1年間屋外にいた場合」の理論値ですし、車に乗って高線量地帯を通り過ぎるだけなら1時間どころか5分も滞在することはありませんから、窓を閉めて颯爽と駆け抜ければ問題ないと判断されたのでしょう。歩行者や二輪車が認められていない理由は、生身でゆっくり通り過ぎるのはまだ危険だということですしね。ただし、もしその辺の区域に監視員が立つとしたら、その方はかなり心配です。側道等は全て封鎖されているらしいので、そういう方達の迷惑になるような行為だけは、くれぐれも謹んで欲しいものです。

東日本大震災から1年経ったときに東北慰問をした際、宮城から福島の南相馬市まで南下したのがこの国道6号線でした。ちなみにUターンした場所は「ドライブイン花園」と言う所で、ここから南に20mほどの所でバリケードが作られていました。本来であればそのまま茨城の海岸線にまで続いている道なので、かなり無理矢理感が漂うこの通行止め解除も、流通の面では非常に助かることでしょう。未踏の地、茨城への道が開けたか!?

・・・いやいや、わざわざ北から回り込まなくても普通に東京から行こうよ。

帰宅不可能区域

2013年11月04日 | 震災
「この地域住めないと言う時期来る」 原発避難で石破氏
議論はあるでしょうが、自民党幹部がこういう発言をしたことは評価できますね。

現状では、放射能の影響から立ち入り禁止の区域を避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに分けていますが、最低でも“困難”なだけであり、政府としては「いずれは不可能ではない」という見解でいるわけです。確かこの区分は自分が南相馬市に立ち寄った翌日に設定されたものだったと記憶しています。2012年3月31日の時点ではまだ「半径20kmは一律立ち入り禁止」でしたからね。この新区分の名称を聞いて、避難を強いられている方達は、「いずれは帰れる日が来る」と希望をもったことでしょう。何年後、何十年後かはわかりませんが、その前提の上での避難所生活であるわけです。

ちなみにこの変更をしたのはまだ民主党政権でした。自民党は当時から現在に至るまで、「原発事故は民主党政権下で起きたこと」というスタンスであり、脱原発論はもはやピエロのような人しか叫ばなくなってしまいました。自民党の、と言うか日本の悪い所は、縁起の悪いことは極力口に出さず、こうした切迫している事態を何だかんだで先送りしてしまう“言霊思想”にありますが、ココに来て「永久に帰れないかも」という見解を示したというのは、それまでの立場を一転させたことで議論を呼ぶ発言であること以上に、この悪しき風習からの脱却を図る転換点になりうるという意味があります。

例えば学校では、地震が来て建物から避難する訓練はどこでも毎年行っているでしょうけど、実際に東日本大震災に遭うまで、「避難してからどうするか」までをだれも想定していませんでした。で、今でこそ取ってつけたように「引渡し訓練」も追加してやっていますけど、本当に有事の際は逆に学校へ皆が避難してくるわけで、引き渡して終わりですらないわけです。ではなぜそんな訓練になっているかと言うと、「引き渡せば学校の責任はそこで終わる」からです。最悪をシミュレートし、最善を尽くすには、最後まで責任を負う覚悟が必要です。だから誰も言おうとしない。後で「想定外だった」と言っている対応を、今までどれだけ見たことでしょうか。
当然、「二度と帰れません」とするなら、政府が被災者に対して今のような一時的な手当てでなく、土地を買い取り新たな住居を手配するなど、その後の生活までちゃんと補償を行うということになります。現状は、誰もそこまで責任を取りたくないので「いつか帰れます」と誤魔化しているに過ぎません。今回の発言も、「いずれ誰かが言うだろう」というに留まっており、石破氏が宣言したわけではありません。しかし、除染にも限界が見え始め、このまま何年、何十年も蛇の生殺しのような生活を続けていく被災者の気持ちを考えると、誰かがどこかで決断しなければと思うわけです。今の日本には、本当の意味で責任を取れるリーダーシップを発揮する人物が望まれています。

現時点では安倍総理に期待するしかありませんが、経済のことしか頭にないからなあ・・・となると、ピエr・・・げふごふ、山本氏に期待かな(笑)

楽天日本一

2013年11月03日 | 震災
楽天イーグルス、球団史上初の日本一 マー君「最高のシーズンでした」
楽天が9年目にして、ついに日本一に上り詰めました。

昨夜は田中の不敗神話が崩れ、暗雲が立ち込めていましたが、今日も最後に登場し、いつもの「わざとピンチにして討ち取る戦法」(笑)で、見事に抑えました。まあ球場の順番が宮城からと決まった時から、被災地の興行のためにも土日土日という最高の日程で最終戦までいくと良いなあと思っていたので、台風の影響などもありましたが、主催者側としては最高のシリーズになったのではないかと思います。田中もこれでメジャー入りっぽいですが、変に伝説を打ち立て、テング状態で行ってしまうと鼻っ柱がポッキリなんてことも考えられますから、まだ将来が楽しみな選手として昨日の負けもいずれ良い財産になるのではと思います。

思えば1995年の阪神淡路大震災の年も、「がんばろう神戸」を合言葉にオリックスがリーグ優勝を果たし、翌年には日本一に輝きました。今回も、東日本大震災からわずか3年で、新参者の最下位球団が成し遂げた快挙であり、失礼な言い方ですが、震災がなければココまで気運が高まることはなかったのではないでしょうか。野球の神様は、本当にドラマ好きというか、見ている人に夢を与えるように運命を転がしてくれるような気がしますね。東北の復興と言う面では、まだまだ途方もない年月がかかるでしょうから、楽天には今後も常勝球団として存在感を示していって欲しいと思います。

球団としてもそうですが、星野監督としても初の日本一。中日の監督時代から応援していただけに、感慨もひとしおでした。本当におめでとうございます。