(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

出鼻

2011年08月31日 | Weblog
中国記を始めようと思った日にgooがメンテナンスを始めるとは・・・orz

夏休み最終日である本日は、午後から出勤して新学期準備することにし、日付変更と同時に徹夜も厭わない覚悟で写真と更新記事の用意を始めましたが、第1弾をアップしようとした時点で丁度メンテナンス(1時~8時)が始まったらしく、見事に出鼻をくじかれました。gooは以前に投稿を押した瞬間にログインを要求され、ちゃんと入力してもその時点で投稿しようとした記事が消えてしまうという仕様があったので、それが改善された現在でも一応投稿の前にctrl+AC(全て選択+コピー)する癖がついており、何とか1000文字を超える文書を守りきることができましたが、メンテナンスするならせめて事前通達ぐらい欲しいですよね。あと、個人的希望を言えば夏休み中はやめてほしい(笑)

仕方なく寝て朝更新しようと思いましたけど、何やら10時まで延長されていたため、結局夜に2~3更新するも新学期準備に追われる羽目に陥ってしまいました。新学期が始まるとお約束の夏休みの宿題地獄と運動会練習が続き、中々息継ぎができませんね。中国記は、適当に時事を混ぜつつ続けていきたいと思います。

便利店

2011年08月30日 | Weblog
前後しましたが、2日目の夜にコンビニを探しに回りました。

1日目はグーグル地図でざっとホテル付近を見てみたものの、それらしいものは見当たらず、仕方なくホテルの冷蔵庫のビール30元(元→円は約13倍)に手を出しましたが、店で10元で買えそうだったため、流石にそんなにはしないだろうと薄々感じていました。この日は「beijing convenience」とか検索をかけてみれば良いことを閃いたので、やってみると「便利店」なる店が続々と引っかかり、1kmほど行った所にあることがわかりました。

余談ですが、中国に本来なかった言葉を中国語で表記する場合、意味重視と発音重視の2種類の漢字がありますね。例えばコンビニは便利店、スーパーは超市と書き、英語にすればそのまま意味が分かりますが、何と読むのかは分かりません。逆に、マクドナルドは麦当劳、ケンタッキーは肯徳基と書くらしく、意味は分かりませんが何となく「マクドナルド」「ケンタッキー」と読めなくもありません。かつて日本でも中国から漢字が伝わり、大和言葉に当てはめる際、同じ事をしていたわけですが、今では日本人が外国の言葉をうまく漢字に置き換え、それを中国が使っているケースが非常に多いそうです。中華人民共和国の「人民」と「共和国」ですら、日本人が独自に作った漢字表記ですしね。まあ、上記のように中国人が独自に作った当て字のセンスを見れば、それも仕方のないことかもしれません(笑)

そんな話を同僚としながら、無事超市と便利店を見つけました。日本の常識から考えるとコンビニよりスーパーの方が安いわけですが、中国ではどういうわけか便利店の方が安く、広告まで出していました。もしかしたら意味が逆転しているのかもしれませんね。

ちょっと見難いですが、ジュース類は大体2~3元のようです。リポビタンDらしき飲み物は53元になっていますが、誤植かな?ビールはここに載っていませんでしたが、340mlで4.5元、500mlで5.5元でした。日本円で6~70円ということか・・・1Lでも缶ジュース一本分程度ですね。日本でもよく見るラベルのジュースやスナック菓子、インスタントラーメンも並んでいたので、ちょっと独自商品っぽいのは買うのを控え、そういったものを中心に買い込むことにしました。夜は当然、安いビールを探し当てた勝利を祝い、さらにジュースを飲んで寝ました。

3日目にして見事に腹を下しました・・・orz

同僚は大丈夫だったので、一緒に買ったビールや食べたツマミではなく、おそらく最後に飲んだビタミンウォーター(9元)が原因だと思われます。安いジュースが信じられなかったのでわざわざ警戒して高いのを買ったのに・・・良く似たラベルだからと言っても、もしかしたら某ネズミーランドの如く、許可を取っているわけではないのかも?中国恐るべし・・・

中華料理

2011年08月29日 | Weblog
2泊3日8食のうち、朝食と機内食を除く4食が中華料理でした。

写真は麺料理ですが、他にそれぞれ四川料理、北京料理、広東料理とありました。一見バラエティに富んで聞こえますけど、実際はほとんど同じ味付けの料理が丸テーブルに並んだ、正直代わり映えのしない料理でした。少なくとも、ラーメンは日本で食べた方が絶対においしいと思いましたね。

まず、胃袋を休められるあっさりした料理が皆無です。当たり前ですが、8割以上の料理が油炒めでした。ライスですら軽くチャーハン化されていて、味はほとんどついていませんが非常にくどく感じました。炒めないと食べるに耐えられないのでしょう。スープ系が唯一薄味、というか味がなく、卵とトマトを煮込んだお湯という感じでした。
そんなノーサンキューな料理でも、2日目に入った店は回転寿司店並みの行列ができていましたし、現地ガイドに言わせると「海外に行っても3日目には故郷の味が恋しくなる」らしく、中国人のエネルギッシュな国民性は、間違いなくラードが担っていると再認識しました。

あと、ビールは別料金で30元(元→円は約13倍)払いましたが、ヤンジンビール、アサヒビール、キリンビールと、それぞれ微妙に量が違っていたのが印象的でした。日本では633mlで統一されていますが、中国のキリンは640mlと、ちょっとお得のようです。ちなみに、お代わりをもらおうとジェスチャーで「これもう一本」とやってお金を見せたら、最初10元持っていった後に20元請求されたので、地元民には10元で提供しているようです。1本130円か・・・

まあ、2大名物の北京ダックとフカヒレスープアワビ載せ(別料金100元)を堪能できたのは良かったですね。


故宮

2011年08月28日 | Weblog
3日目に、この旅最後の世界遺産、故宮へ行きました。

北京の街はこの故宮を中心に作られており、それこそど真ん中の広大な一等地を占有しています。世界最大の宮殿なわけですが、中国にもう皇帝はいないわけですし、誰も住んでいないのに最大級の防備が敷かれているわけですな。中国の軍隊である人民解放軍10万人の中から、選びぬかれた精鋭中のイケメン(笑)81名が特別に警備に当たっているそうです。

1日目の夜にライトアップされた天安門に行っていましたが、昼間は噴水が上がっており、丁度着いたときにはちょっとした噴水ショーが始まっていました。とにかくものすごい人で、またもやガイドさんの傘の目印を見失わないように、ひたすらついて歩く観光になりました。
行けども行けども門ばかり。しかも、その門1つ1つがやたらと立派です。これも風水の影響から、気の流れか何かを考えて複雑に作られている模様です。これはもし忍び込もうと思ったら大変ですね。つか、皇帝自身も自分の寝室へ行くのに相当色んな門を開閉してもらわないといけないので、住むには非常に不便だと思いました。とにかく、風水では良い場所に良い建物があること自体が大切なので、暮らしやすさなどは二の次にされているのかもしれません。

最後に国家公務員を名乗る人に連れられてラストエンペラーの寝室なる場所を特別に見せてもらい、その後、「とても有名な書道の先生」が特別に掛け軸を書いて販売してくれるということになりました。1文字なんと5千円。「この先生に会えるのは非常にラッキーです」と散々褒めちぎるので、どんなすばらしい書をしたためるのかと見ていると・・・
二度書きした!
中国では許されるのかどうかはわかりませんが、日本の書道では一筆入魂が基本であり、重ね塗りが基本の絵画とは一線を画す芸術であるべきものです。もしこれを日本で夏休みの宿題として提出したら、必ずボツになるレベルです。いいのか中国・・・食文化にしろ、他の様々な文化にしても、かつては中国から日本にもたらされたものが多かったわけですが、その後の発展や成熟という意味では、既に日本の方が遥かに上を行ってしまっているのかも知れません。漢字もやたら崩して書きますからね。少なくとも自分には、二度書きされた書を家宝として飾る気は全く起きませんでした。

裏から出ると、観光バスの運転手が駐禁を取られていました。許可も取ってないのか・・・信号も守らないし、何か全体的に自分に甘い人が多いですよね中国って。屈強なイケメンが監視に立たないと、それこそ何が起こるか分からないのかな?

万里の長城

2011年08月27日 | Weblog
長い道のりと渋滞を抜け、2日目のメインである世界遺産、万里の長城へやってきました。

万里というくらいで、総延長は5000kmから8000kmに上るとも言われています。軽く日本列島の2~3倍の長さがあるわけですね。ただし、誇張好きの中国ですから、実際は2000km足らずという情報もあるとか・・・ちなみに現地ガイドは1600kmだと言っていました。まあ、それでも十分に長いわけですけどね。
秦の始皇帝の時代から、多くは明の時代にかけて建造されたそうです。目的は主に北狄(モンゴルや満州人など)から紫禁城を守るために、領土の境界線である山の尾根に沿って延々と作られた城壁なわけですが、歴史を振り返ってみると、まんまと元(モンゴル)や清(満州)に乗っ取られているわけですから、途轍もないスケールの防衛事業の割には大して役に立たなかった模様ですね。ちなみに、滅ぼした側は滅ぼされた側の文化の存続を認めないのが世界史の鉄則なわけですが、こと城壁に至ってはそのまま防備に使えるわけですし、ベルリンの壁のように破壊されることはなかったようです。

本来ならかなり下のほうから登っていかないといけないそうなのですが、今回のツアーではほぼ関所のようなところまで横付けさせてもらえました。尾根伝いに延々と続くわけで、どこまで行ったらゴールとかいうものでもありません。行ったらその分戻ってこないといけないですし、自らの体力と相談して1時間くらいで戻ってくるようにといわれました。思えば、これがこのツアーで唯一の自由散策だったような・・・山頂には盗賊が出ますとか脅されましたが、いいのかそれで(笑)

関所は丁度谷になっており、そこから道が左右に分かれ、右が平坦で登りやすい道、左が急勾配の道という説明を受けました。ツアーメンバーは、相棒である同僚も含め全員右の道を選択しましたが、自分は折角来たので左の道を選択しました。

写真では勾配までは分かりにくいですが、登っている観光客の数からみても、左の道が通常選択されにくい道であることが分かると思います。つか、左の方はどう見ても掃除のオバチャンオンリーなのですが・・・

石段と坂が交互に繰り返され、その段差が一様でないことや、それこそ手をつかないと登れないような傾斜もあり、何度も休憩し苦しみながらも何とか左の写真の右上隅に写っている、一番てっぺんの砦まで登ることができました。もちろんここはゴールでなく、下りになりますがさらに奥に向かって延々と続いていました。気温35度の炎天下でしたが、中国はとにかく湿度が低いため、少しでも影になっているところは非常に涼しかったです。ただ、売っている水を買っていいのかどうか分からなかったため、下山時にホテルでもらった水が切れてからはひたすら地獄でした。夏場の中国旅行は、重いけどスーツケースに2Lのお茶を忍ばせてくるのがベターかな・・・

そんなわけで、かろうじて関所まで戻ってきたのですが、最後の最後に出口を間違え集合時刻に5分ほど遅れてしまい、しかも単独行動の結果、自分だけ迷子になったことになっていたらしく、またもや迷惑をかけてしまいました。一応携帯を使えるようにはしていたのですが、後で聞いた所によると同僚は旅行中一度も電源すら入れていなかったらしく、もし入れ違いになっていたら二度と会えなくなるところでした。何この綱渡りツアー・・・orz

流石に足がガクガクになりましたが、良い体験ができました。

天壇公園

2011年08月26日 | Weblog
2日目は世界遺産の1つ、天壇公園へ行きました。

中国は風水を非常に重んじるようで、この建物もそうした象徴的なものの一つのようです。地図上では、故宮を中心に天壇が南、地壇が北の、それぞれ門のような役割をしているようでした。他にも月壇、日壇という「壇」のつく地名を見つけましたが、どうやら全部で9つの「壇」が故宮を取り囲むようにあるそうです。中国にとって9は「永久の久」であり、非常に縁起が良いらしく世界遺産になるような建物には9ないし9の倍数がこれでもかというくらいこじつけられていました。香港が99年租借された皮肉はマジで大ダメージだったことが伺えます。
良い場所に良い建物があると、それだけで運気が上がるという風水の考えは、何やら為政者の作為のようなものが感じられますが、まあこうして観光地として残り、富を運んでいるわけですから、あながち間違いでないのかもしれません。

「天は丸い」という思想から、中心の宮殿は見事な円形をしていました。日本の寺や神社などは四角に三角屋根が基本ですから、こうした円形の建物は珍しく、中国に来たという実感がもてました。あと、やたら広いことと、樹木が整然としていることも中国の特徴ですね。特に街路樹などの背の高い樹木は、北京五輪にあわせて全て植林されたとか・・・

あと思ったのが、この公園が北京市民にとって非常に重要な場所であるということです。

優雅に舞うオバチャンズ
・・・こういった光景が天壇公園の至る所で見られました。まだ9時前だったのに、相当な人数が訪れ、それぞれ踊ったりバドミントンらしきスポーツをしたり、回廊に腰掛けて編み物をしたりなど、優雅に朝の一時を満喫していました。中には観光客も混ざって踊っているような姿もあり、体力づくりや趣味の交流、異文化交流の場所として根付いているのかなと思いました。

まあ、こんな所でも売り子は商魂たくましく「千円!千円!」と叫んでいましたけどね。

夜の天安門

2011年08月25日 | Weblog
初日から波乱万丈でしたが、どうにかホテルに到着しました。

ここのホテル、持参したガイドブックによると一泊2千元(元→円は約13倍)らしく、連泊する時点で飛行機代すら何も出ない計算になるはずなのですが、まあマッサージだったり様々な芸だったりのオプションでチョコチョコと元を取る格好のようでした。全て断り、何もしなければ長い夜ですが、折角なので夜の北京市外を観光してみようということになり、たまたまネットが使えたのでグーグルの地図から付近の店などいろいろ調べた結果、天安門広場までそう遠くないことが分かりました。ちなみに、日本語が打てず、グーグル様の「もしかして検索」には大変お世話になりました。21日のブログもこの方法で打ち込み、コピペで記事を上げています。

そんなわけで、自分はおよそ6km歩く気満々だったのですが、同僚が「台湾でも地下鉄に乗れたから多分乗れるぞ」と頼もしいセリフを吐いたので、その気になって地図から地下鉄を調べ、乗ってみることにしました。
まずびっくりしたのが空港張りの手荷物検査。職員らしき人が立っていて、自分で手荷物をどんどんX線の機械に通すようでした。夜の街を警戒し、幸いカメラと小銭のみの手ぶらで出たので、その場は素通りできました。
いよいよ自動券売機といった所で、突然同僚が「分からない」と言い出し、結局自分で買う羽目になりました。しかし、日本と同じくタッチパネル式ですし、中国語はほぼ漢字ですから、枚数と線と天安門と読めるボタンを選んでお金を入れたらスムーズにゲットできました。ちなみに向こうの切符に当たるものはプリペイドカードのようなICカードで、タッチして乗り、降りる時に返す感じでした。ほぼ10分間隔で走っているらしく、時刻表のようなものはないようです。料金は、北京市内はどこまで乗っても2元のようです。初乗りと比べても日本の1/10ですな。
そんなわけで、同僚はどうやら細かいお金(10元札以下)がなかったために買えないようでした。しばらくすると駅員らしい人が寄ってきて、金とカードと交換してくれましたけど、一切言葉が分からないのは困りものだなあと思いました。つか、こんなんで夜道歩いていて本当に大丈夫なのですかね?話しかけられたらゲームオーバーなんて、ちょっと難度高すぎます。

そんなこんなで満員電車に揺られ、発音は分かりませんが漢字が天安門と書かれた駅で降りました。外に出ると、天安門がイルミネーションで彩られているのが見え、感激しました。3日目に天安門→故宮と歩きましたけど、やはり夜行ったのは正解でしたね。どうやら夜は観光地というより、中国人カップルのデートスポットになるようです。流石に中は入れませんけど、しっかり守衛らしき人は立っていました。

折角なのでもう一駅分向こうまで散歩し、帰りも地下鉄でスイッと帰ってきました。まあ、電車を待って、いざ乗ろうとした瞬間に、逆方向の電車だと気がついたハプニングもありましたけどね(笑)こうして夜に散歩に出なかったら、帰ってきても未だに北京の物価は日本の東京並みだと思っていただろうなあ・・・マックのコーヒーは8元(100円)、吉野家の牛丼は20元(260円)ですし。ホテル付近に戻ってきてから周りを一周しましたが、この日はスーパーやコンビニを見つけることができず、ホテルの冷蔵庫のビール30元を飲んで寝ました。

ちなみにジュースも30元だったけど、ちょっとぼったくり過ぎでは・・・?

頤和園

2011年08月24日 | Weblog
最初の目的地は北京市の世界遺産の1つ、頤和園でした。

全く前情報無しの旅だったので、現地ガイド情報ですが、北京市には6つの世界遺産があり、そのうち北京原人の遺構以外は全て皇帝関係なんだとか。この旅行ではそのうち明の十三陵以外の4つを回るそうです。つか、どこへ行くかすらも知らないのに海外へ出ていいのでしょうか(笑)

頤和園は、西太后の別荘地として知られる箱庭です。園内は、それこそ本気で回ろうと思えば1日がかりだそうです。観光客の量もものすごく、さらに売り子の攻勢もものすごかったです。丁度喉が渇いていたので何かを買おうかと思ったのですが、ガイドに「全部無視してください」と言われて素通りしてきました。後で聞いた話だと、「1DAYロレックス(1日経つと止まる)」「晴れの日限定帽子(雨が降ると色が全て流れ落ちる)」「色つき飲料」「味つき果物」などなど、露天の商品は非常に愉快なものであふれているそうです。まあ騙されてみるのもアリかなと思いましたが、流石に初日から腹を壊したくなかったので我慢しました(笑)いや、これは冗談というより、ある意味複線だったり・・・

そんなわけで、人の波をかいくぐって入場し、すばらしい景色や芸術的な彫刻を味わう観光というより、ガイドの目印の傘を見失わないようについていくというウォーキングがスタートしました。とにかくすごい人と面積。ようやくハスの花が咲く池に抜け、メインの建物であろう「仏香閣」にたどり着きました。何でもここの池は人工的に掘ったらしく、その土でできた山の上に宮殿を建てたようです。

中国式の宮殿というのは、日本のお寺とも西洋の教会やモスクなどとはまた違った味わいがありますね。自分はドラゴンボールで育ってきたので、あれの初期の頃の世界観に似ているなあと思いました。この宮殿には登りませんでしたが、ずっと続く回廊には1枚1枚違う絵が描かれており、とにかく細かいところまでしっかりと造りこまれた庭であることが分かりました。この時点で、来た道を戻り始めることに。同僚としゃべりながら写真を撮ったりしていると、

ガイド見失った・・・orz

だだっ広い場所なら目印の傘も見分けられるでしょうが、ここは門と壁面に細かく区切られた庭園です。日本の地であれば、迷子になっても大した問題はありません。最悪、呼び出してもらえますからね。しかしココは言葉の通じない異国の地。そもそも迷子の呼び出しなんていうシステムがあるのかどうかもわかりません。同僚と相談し、その場に留まるより入り口まで戻って待とうということにしました。何となく来た道は覚えていたのですが、万が一違う出口が存在したり、バスが動いていたりしたらジ・エンドでした。幸い入り口で少し待っているとガイドの目印を発見し、事なきを得ました。

どうやら、近道に当たるけど行きに通らなかった門をくぐってしまっていたようです。黄泉の門とかじゃなくて良かった・・・

北京空港

2011年08月23日 | Weblog
ようやく仕事も一段落し、放心状態からも脱却できたので(笑)中国記を始めます。

2泊3日の北京ツアーです。同僚の先生と2人で駅前に集合することにしました。・・・残念ながら男性です(笑)
中部国際空港に7時20分集合だったため、夏休みで一番早起きをして出発しました。切符は「ミューチケットが取れないと乗れない」とか脅されていたので前日に買っていましたが、ガラガラでした。まあ、早く動いたことで格安切符が買えたのでよかったですけどね。セントレアまでだと300円も安くなるようです。
無事時間通りつきましたが、まだ同じツアーの方とかは全く分かりません。この基本2時間待ちというのは何ともならないのでしょうかね。一応本を持っていきましたが、「日本はなぜ世界で一番人気があるのか(PHP新書)」という、中国にケンカを売るようなタイトルだったので、隠しながら怪しげに読んで待ちました。

北京まではおよそ3時間。札幌までのおよそ2倍のようです。大半が海なので、景色を楽しむよりは本に興じていましたが、流石に中国大陸に差し掛かってからはその広大な大地と所々切り開かれた居住区のまだら模様に目が釘付けとなりました。とにかく広い。まあ、首都である北京市だけでも四国4県と同等というくらいですから、それもそのはずといったところでしょうか。空港の広さも相当らしく、滑走路が着陸してからもどこをどう動いて停まったのか、全く分かりませんでした。無事停まったことに安堵して、いざ大陸の地に降り立ちました。

置き去り!?…orz
セントレアも千歳空港も、とりあえず飛行機の乗り降りは室内移動でしたが、飛行機から直接滑走路というか地面に降りる模様です。まさか緊急着陸?と最初は思いましたが、どうやら空港が広すぎることが原因のようですね。降りた所からバスで移動し、さらに手荷物を受け取るまでにさらに列車に乗るという広大さ。飛行機がやたら小さく見えました。
その後、現地出迎えのガイドを探したのですが、どうやら向こうが待ち合わせ場所の右と左を間違えたらしく、30分ぐらいうろうろしてやっと見つけました。

空港で早速迷子とか・・・先が思いやられますな。

帰国

2011年08月22日 | Weblog
無事帰国しました。

海外旅行をすると、異国の風土を味わうと同時に、故郷についての認識もまた新たにしますね。セントレアに降り立ってまず感じた「湿気」。次にトイレに入った時、手洗い場にトランクが2つ3つ置きっ放しになっているのを見て、「日本に戻ってきたなあ」と安堵しました。

このまま旅行記に突入したい気持ちはあるのですが、今回の旅行を強行したことによる負債というか、3日分の仕事を取り戻さないといけないので、しばらく時間をおくことになると思います。寝不足なのに徹夜かな・・・orz

いざ大陸へ!

2011年08月20日 | 自伝
今日から2泊3日で北京へ行って来ます。

海外旅行の経験は、中学の時に台湾へ行ったきりですし、大陸へ上がるのは初めての経験ですから、非常に楽しみです。思えばパスポートを取ってから早2年・・・行けるとしたら夏しかないと思い、昨年は自身2度目となる飛行機で北海道へ行ったので、今年こそはと心に決めていました。しかし、蓋を開けてみると研修会だったりプールだったり水泳記録会だったり小算研だったりで、お盆を除く4日以上の連続休暇がほぼ0に近く、さらに休み中にやりきりたい宿題もたんまりとあってほとんど諦めかけていましたが、同僚の先生が誘ってくれたので、何とか行くことにしたというわけです。しかし、誰かといくとなるとその人との日程も調整しなければいけないので、予定表とにらめっこの結果、ようやく今日から月曜日までの2泊3日で行ける事になりました。・・・いや、実は決まってから月曜日にも出張が入っていたことに気付いたわけですけどね・・・orz

皆さんは、本当にどうやって海外旅行に出かけているのだろう?

川下り

2011年08月19日 | 時事
天竜川下り事故、現場近くの水中で転覆船を発見
事故から2日経ってようやく舟が見つかった模様です。

舟のような大きなものですら沈むと発見にこれほどの時間がかかるのですから、天竜川というのはそうとう大きくて深い川なのですね。残る行方不明者の捜索が難航している現状も分かる気がします。

それにしても、座布団式救命胴衣というのはどうなのでしょう?構造上、いざという時にはさっとつけられるようになっているとは思いますが、モノが座布団ですし、実際にその上に座っていたら自分のは絶対抜けないですよね。転覆の恐れを感じた瞬間にさっと座布団から飛びのいて身につけるのか、あるいは隣に座っている人の尻の下から強引に抜き取って身につけるのか・・・いずれにしても、コンマ何秒の世界で対応せざるを得ません。相当な反射神経が必要になりますし、ひっくり返ってからでは遅いので、この座布団式救命胴衣を身につけることは事実上不可能に近いでしょう。少なくとも「救命胴衣は尻にしかない必要がある」と、誰も想像しなかったのでしょうかねぇ。

岐阜にも有名なライン下りはありますが、国道から覗き見た限りではちゃんとオレンジのライフジャケットを装着して行っているようでした。まあこれも、何年か前に事故があったからなのでしょうけど、痛い目を見ないと直せないというのは困り者ですな。

大正村

2011年08月17日 | Weblog
小算研の研究会で恵那にいくついでに、大正村へ行ってきました。

明治村・日本昭和村は行ったことがありましたが、ココへ行くのは初めてでした。恵那自体は結構栗きんとんの季節に回ったり、数年前は道の駅巡りで年に1回は来ていたのですがね。そんなわけで、とりあえずナビに打ち込んで出発。岐阜からは下道でも2時間半といった所でした。

んで、近づくにつれ所々案内が出てくるのですが、どうもナビとは別の場所を指すのです。不思議に思いながらもとりあえず地元の案内の方を優先してみていると、いきなり「ようこそ大正村へ」というのぼりがやたらと立っている駐車場につきました。とりあえず降りてみても、周りは普通の寂れた町並みとバローがあるばかり。どこが大正村なのかよく分からないまま、隣にあったお土産屋でパンフをゲットして、初めて大正村が箱庭的なアミューズメントパークでないことに気付きました(笑)ナビに入れていたのは、「大正村明智の森」という運動公園のような所でした。日本昭和村はまさにそんな感じの山の中にあったので、てっきりそうだとばかり思ってしまったのです。

まあ、そんなわけで2時間ぐらい町を歩きながら、所々にある展示や記念館(4館で500円)を見て回りました。奇しくも今年は大正100年に当たる記念の年であるわけですが、のぼりが立っている以上に特別なことはないようでした。奈良の遷都1300年祭のような感じですかね。まあ、大正100年とはいえ現代にそのままつながっている文化も多く、ある意味懐かしく見て回ることができました。

そのうち平成村もできるのかな?まあ、道の駅の平成(日本平成村花街道センター)は既にありますが(笑)