《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょこっと福井の旅・福井城跡「福井地震って…」

2019年08月13日 | Weblog

「福井地震は昭和23(1948)年に発生した
福井県を中心に北近畿を襲った地震。
震源地は現・坂井市丸岡町でⅯ7.1。
三重県・亀山市、彦根市、京都市、
奈良市でも震度4以上の揺れを観測された。
福井市内の家屋の全壊率は、終戦直後でもあり、
バラック建築が多かったことが原因で79%と高かった。
昭和20年の福井大空襲、昭和23年の福井地震、
そして1か月後に起きた集中豪雨による九頭竜川堤防決壊と、
短い間の壊滅的な被害からその度に復興を遂げてきたことにより、
福井市は「不死鳥の町」と言われ、
「不死鳥」が福井市市民憲章のシンボルマークにている」とある。

今日の暦:昭和2(1927)年、NHKが甲子園で最初の野球実況放送をする。


ちょこっと福井の旅・福井城跡「波打つ石垣」

2019年08月09日 | Weblog

県庁舎と警察本部の間の通路を北へ進み、急な石段を登ると、
寛文9(1669)年に焼失した天守台と小天守台へ。
今、残っている石垣のほとんどが、
昭和23年6月の福井地震の影響を受けた痕跡が、そのまま残っている。
ここ、小天守台の石垣も崩れ、窪み、波打つ石列。

今日の暦:昭和22(1947)年、
古橋広之進が400m自由形で、4分38秒4の世界新記録。


ちょこっと福井旅・福井城跡「江戸城でも見られる布目積み」

2019年08月07日 | Weblog

60㎝角程の石材が綺麗に積まれ、横目地が通っている「布目積み」の石垣。
角石を除き、今、見られる石垣のほとんどが、この大きさの石が使われ、
積み方も殆ど「切り込みハギ布目積み」。
福井産の石材で、越前青石とも呼ばれ、
加工がしやすい「笏谷石(しゃくだにいし)」が使われているとのこと。

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今日の暦:昭和17(1942)年、米軍がガダルナル島へ上陸開始する。


ちょこっと福井旅・福井城跡「橋の名前を知らない市民って…」

2019年08月05日 | Weblog

福井市民にもあまり名前が知られていないという「御本城橋」から本丸へ。
本丸御殿跡には福井県庁舎、議会議事堂、警察本部の近代的な建物が並び、
庁舎前に6年の歳月をかけ築城をした、家康の次男・結城秀康公騎馬像がある。
この辺りが大手門で桝形になっていて、瓦御門があった。
今、その石垣の際に「水準点」があり、標高11.3959mとある。
瓦御門南側には「多聞塀」への「雁木」の石段がり、
迂回して多聞塀跡に登ることが出来る。

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ちょこっと福井旅・福井城跡「家康の次男が築城した福井城」

2019年08月01日 | Weblog

「福井城は寛永1(1624)年に「北の庄」から「福井」に改称された」と資料にあった。
秀吉・賤ヶ岳の戦いで破れた、柴田勝家とお市の方が天正11(1583)年に自害した
「北の庄城」は「敗将の城」で、それを嫌ったのが改名の原因と思うが…。
「1600年(慶長5年)に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄を拝領し、
翌1601年(慶長6年)9月には知行割を実施し、築城に着手した。
1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、
名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、
全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する(ウイキペディアより抜粋)」。
石垣は綺麗な約60㎝角の「布目積み」。
ついでに、柴田勝家の「北の庄」は、
ここから南南西約500mの「柴田神社」のあたりとされている。

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今日の暦:大正2(1913)年、東海道本線の全線複線工事が完成。