《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょこっと福井旅・福井城跡「家康の次男が築城した福井城」

2019年08月01日 | Weblog

「福井城は寛永1(1624)年に「北の庄」から「福井」に改称された」と資料にあった。
秀吉・賤ヶ岳の戦いで破れた、柴田勝家とお市の方が天正11(1583)年に自害した
「北の庄城」は「敗将の城」で、それを嫌ったのが改名の原因と思うが…。
「1600年(慶長5年)に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄を拝領し、
翌1601年(慶長6年)9月には知行割を実施し、築城に着手した。
1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、
名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、
全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する(ウイキペディアより抜粋)」。
石垣は綺麗な約60㎝角の「布目積み」。
ついでに、柴田勝家の「北の庄」は、
ここから南南西約500mの「柴田神社」のあたりとされている。

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