《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道を歩く1・奈良街道2「平川廃寺跡」

2014年09月03日 | Weblog

平川廃寺は、1943(昭和18)年頃、瓦が出上することから寺院跡として注目されはじめました。その後、1966(昭和四一)年に行われた発掘調査で、建物の瓦積基壇が発見されました。1972(昭和四七)年から1974(昭和四九)年の調査では、塔と金堂の瓦積基壇がみつかり、さらにこれらの建物を取り囲む回廊、寺域を区画する築地も確認されました1975(昭和五〇)年には、南山城地域の奈良時代を代表する寺院として、国指定史跡となりました。 伽藍は、西に塔、東に金堂を配置する法隆寺式と考えられていますが、講堂や中門は確認されてません。塔・金堂を囲む回廊は東西約81m、南北約72m、寺城は東西約175m、南北約115mと推定されています。寺域西側に塔や金堂の中心建物、東側に付属建物を配置しています。塔の瓦積基壇は一辺17.2mあり、国分寺の塔に匹敵する大きな規模をもっていました。金堂の瓦積基壇は、東西22.5m、南北17.2mありました。(説明板より)