近鉄橿原線に乗って一つ目の駅名が尼辻駅で仁徳天皇陵も近くにある。この尼辻という地名の由来について、現在奈良市法連佐保山にある「尼寺・興福院が当時はここにあったので<尼が辻>」と云う説と「盲目の鑑真和上が唐招提寺建立の地を決めるとき、土の味見をして決めたが、その時この地の土が”甘かった!”」ので<あまかった辻>と云う説もあるが…画像は三条通尼辻交差点で右にカーブすると阪奈道路、直進すると近鉄尼ヶ辻駅から暗峠へと続く。
奈良時代の貴族で阿倍仲麻呂と共に遣唐使として入唐。在唐30余年後仲麻呂と鑑真和上を伴って帰国の途に付くが、鑑真和上の乗る舟は無事に日本に着いた。しかし清河と仲麻呂の乗る舟は逆風に合い現在のベトナムに漂着。船員の多くは殺害されるが二人は再び唐へ戻る。その後日本への帰国は許されないまま没する。清河は唐の婦人との間に「喜娘」と云う娘がいて彼女は遣唐使に伴われて来日したが、その後の消息は不明。藤原清河の邸宅を寺にした済恩寺がこの西音寺橋の奥にあった。
薬師寺の門前に通じる下堂橋の位置が六条大路跡。元は薬師寺は680年、藤原京に建立された寺院で、平城京遷都により、この地に移されました。東西の両塔を持つ伽藍配置は薬師寺式と呼ばれ、高さ34メートルある東塔(国宝)はフェノロサが「凍れる音楽」えお絶賛した三重塔で、西塔、金堂、講堂など古代以来の技法を守りながら、現在も伽藍の復元、復興工事が進められており、特に今年から10年かけての東塔の大修理が行われ、両塔が揃って見る事が出来るのは10年先となる。