《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京を歩く「復元中の大極殿屋根」

2010年07月23日 | Weblog
2001年より始まった復元工事。遺構を残すため80センチの盛り土を復元地面とし、阪神淡路大震災級の地震にも耐えられる耐震装置が施されている。復元に使用された瓦の枚数は約10万枚。高級建物である入母屋式。740年には解体され恭仁京へ持って行かれた。リサイクルと言えばそれもそうだが… 画像は2007年11月復元中の瓦屋根。
(今日の歴史=672年天智天皇の子、大友皇子が自殺し、壬申の乱が終わる)

平城京を歩く「旧跡庭園」

2010年07月22日 | Weblog
奈良市役所の隣に大型スーパーがある。その前にある京内の一つの宴会場。奈良時代の庭園の原形をとどめた貴重な遺構。池の下にはもう少し古い時代の庭園の遺構もある。大きな石や中にある石は当時のもの。川の風景、海の風景、岬、浜をミニチュア化している。湾曲している形は吉野行幸された宮滝に似ている。建物は池を見るためのもので宴会用の建物で、遥か東には春日山が望まれた。庭園入口付近には菰川(こもがわ)から水を引いていた後が石の川として残されている。周りは板塀で囲まれていて長屋王の敷地とは一体でない。

平城京を歩く「平城京への道5・山陰山陽道」

2010年07月20日 | Weblog
歌姫越は尼辻⇒佐紀町(大極殿)⇒瓢箪山古墳⇒現平城ニュータウン⇒京田辺⇒八幡へと向かう。大極殿・佐紀町交差点から北へ延びる道に今も残る旅の安全を願った辻地蔵堂。
(今日の歴史=1976年アメリカの火星無人探索機バイキングが火星に着陸し石と岩の写真が送られてきた)

平城京を歩く「平城京への道4・東山道」

2010年07月19日 | Weblog
信濃の国⇒近江⇒渋谷越え(奈良山越え)。木の植わっている所は松林苑の土塀が築かれていたと考えられるところ。なお松林苑は禁苑(宮中にある庭)で3月3目や5月5日の節句、節句の宴に使われたところで1キロ四方位の広さがあった考えられている。
(今日の歴史=1189年源頼朝が義経を討った藤原泰衡の追討に出発する)