《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「大和には出雲系が先に存在したっ」

2020年07月29日 | Weblog

饒速日墳墓は矢田丘陵の北端にある。
生駒市体育協会総合SC(生駒市白庭台)の広いグランドを南から北へ横切り、
山道に入り道なりに進むと約15分ほどでたどり着く。
石柱には「傳稱 饒速日墳墓」と、
左下に「浪華藤澤章」と個人名が彫られている。
石柱の後ろ側には小さな石が約1㍍位の高さで三角山に積まれており、
墳墓らしさが「演出」されている。
饒速日(ニギハヤヒ)は物部(もののべ)氏の祖先神といわれ、
天磐船(あめのいわふね)にのって天くだり、
その後大和国の「鳥見の白庭山」に移り、
長髄彦(ながすねひこ)の妹・三炊屋媛(みかしきやひめ)を妻とした。
一度は勝った神武天皇と再び戦が始まったが、
金鵄が飛んできて神武天皇の弓先にとまり、
長髄彦は目がくらみ戦うことが出来なくなった。
しかし、長髄彦は神武天皇より先に降臨した饒速日に忠誠を誓っていたので
神武天皇に服従しなかった。
で、已む無く饒速日命は長髄彦を殺して天皇にくだったという、
悲しいと言うか、何とも言えない話である。
饒速日は出雲系との話もある。

今日の年中行事:大分県・雲八幡神社で「かっぱ祭り」(宮園楽)が奉納される。中津市