《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「日本書紀と富雄川」

2020年07月07日 | Weblog

西村橋西詰の少し南にある「出垣内」バス停の少し南側に案内標記がある。
日本書紀にも記載されている、神武天皇東征の聖蹟を顕彰するため、
即位してから2600年後にあたる1940年(昭和15年)の
記念をお祝いする奉祝事業で建立された。
顕彰碑は、大分・福岡・広島・岡山・大阪・和歌山に点在する。
九州を出発した神武天皇が率いる皇軍は、
難波の碕を通って草香邑(くさかむら)から上陸し、
大和へ入るために日下直越道(くさかただごえみち)を進むが、
途中の孔舎衛坂(くさかえざか)で長髓彦(ながすねひこ)に行く手を阻まれ、
紀伊半島を迂回する行動に出る。
(国立デジタルコレクション、神武天皇聖蹟調査報告書より抜粋)。

今日の暦:(1609)年、徳川幕府が、琉球を島津氏に与える。