《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「日本書紀と富雄川2」

2020年07月09日 | Weblog

「孔舎衙で戦に負けた神武天皇は河内湖を南に進み
和歌山県熊野から八咫烏の案内により大和国に入り、
再び長髄彦と戦うことになった。
孔舎衙では東に向かって長髄彦軍に矢を放ったことは、
天照大神向かって矢を放たことになった反省から、
此度は東から西に向かって長髄彦軍と戦った。
その時、神武天皇の弓の先に金鵄が留まった。
それを見た長髄彦軍は目がくらみ矢を放つことが出来ず
戦に負けた」とされている。
子供の頃から聞かされていた話だ。

今日の暦:安政1(1854)年、日の丸の旗を日本船のしるしとする。