《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょこっと福井の旅・一乗谷朝倉遺跡「朝倉氏と石田三成」

2019年09月06日 | Weblog

「朝倉氏は信長に滅ぼされた」としか知らない。
ともあれ、県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館へ。
孝景、氏景、貞景、孝景、義景と
5代に渡り続いた朝倉氏である。
義景は15代将軍足利義明を、
ここ一乗谷に奉じたが上洛は出来なかった。
義景は天正5(1573)年、刀根坂の戦いで信長に敗北し、
孝景が応仁の乱で西軍に参加して以後、
この地に居城を移した、戦国大名朝倉氏は滅亡した。
意外だったのは、明智光秀は義景の庇護を受けて、
一乗谷の北約17㎞程にある坂井市・称念寺に、
10年ほど居住したことが知られていると云うこと。
信長の越前攻め、光秀はどんな気持ちで朝倉攻めをしたのだろう。

今日の暦:平成1(1989)年、日本の静止気象衛星「ひまわり4号」打ち上げ。