月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

信じるか信じないかは、あなた次第

2019-10-10 | 癌について
2クール目も抗がん剤投与当日に、母と姉が来てくれたのだが、びっくりすることがあった。

今後の治療方針などを話していた時に、私が「サイモントン療法に興味がある」という話をした。
サイモントン療法とは、簡単に言えば、放射線腫瘍医のサイモントン博士が開発した、がん患者のための心理療法だ。

「心理療法なんて、怪しい!」と言われるだろうなぁと思い、遠慮がちにそれを伝えたのだが、「がんが消えるイメージを持つ」という話をすると、姉が意外にもこう言ったのだ。

「それ、わかるわ」

え?!
なんで?と尋ねると、さらに何でもないような顔でびっくりすることを言った。

「だって、私、実際にイメージで消したもん」

ハイ?!

説明を求めて姉が話してくれた内容がこうだ。
姉は数年前、子宮内膜症を患っていた。「痛いって言ってたの、知らん?」と聞かれて、なんとなくぼんやりと思い出した。
母はもう少し聞いていたようで「そういえば・・・」と。
子宮内膜症がひどくなり、一時期は救急車呼んで!というほどの痛みと闘っていたらしい。
病院に行っても、子宮内膜症の治療法は、子宮を切除するか閉経まで薬で痛みを抑えるくらいしか方法がないと言われる。
「閉経までって、そんな何年もこの痛みに耐えられへんわ」と、そこで姉が思い出したのが、娘がまだ幼児の時に習わせていた「七田式」だった。

七田式のことも、もう15年以上前の話なので忘れていたが、確かにそういう教室に姪っ子は通っていた。
簡単に言えば、幼児の右脳開発教育だ。
姉は「この教育がいいから」という評判くらいで娘を習わせるタイプではない。おそらく自分で七田式を教えられるくらいまで猛勉強していたはずなのだ。そこで知ったのが、「イメージが身体に与える影響」だった。

そのことを思い出し、姉はひたすら子宮内膜症が癒されるイメージを持ち続けた。
どうやってやったのか細かいことまでは聞いていないが、とにかくそのイメージを繰り返し、痛みを完全に消し去ったのだと言う。
実際、もう病院にも行っていない。
「だから、そのナントカ療法もわかるし、やってみたらいいと思う。ガンもなくなると思うわ」と言うのだ。

な・・・何者?!

驚いている私に、横で聞いていた母が言った。
「そういえば、おばあちゃんが・・・」
母の母である私のおばあちゃんは、子宮筋腫を患っていたらしい。
毎日おばあちゃんは治るよう祈っていたのだが、だんだん大きくなり、痛みも伴うため、いよいよ病院で「摘出手術をしましょう」と言われた。
すると、ある晩、おばあちゃんの枕元に観音様が現れ、「もう大丈夫ですよ」と告げられた。
翌朝、目覚めると痛みはなくなり、病院に行っても「手術は必要ない」と言われ、その後も元気に過ごしたとさ。

まるで昔話のような話。
だが、おばあちゃんの家系は、実はその村では巫女的な役割というか、相談事などを受けるような血筋で、おばあちゃんにも少しだけいろんなことを知る力はあったので、私は容易に信じることができた。
(その話は割愛するが、母は子供の頃からよくおばあちゃんの能力にぞっとしたという)

そして、そんな話をした母も、膝の軟骨が壊死する難病で、一時は手術するしかない、杖を買うかとまで言っていたのに、なぜかある時からケロッとし出して、「うーん、まだ痛いのは痛いけど、治ったみたい」と言い出した。
今も多少は痛むと言いながらも、普通に歩いている。
「膝はどうやって治したんよ?」と、私が詰め寄ると、「まあ、治れ、治れって念じてたかなぁ」と言う。

なんじゃ、この人ら!!
みんな念じて病気を治してしまっている。

さらにこの話でわかったことがあった。それは、うちの女系はみんな婦人科系が弱いということだ。
母も5年ほど前に卵巣の手術をしている。

いろいろ知らないことがあって驚いたが、何にしろみんな「治っている」ということに希望を見出せた。
たくさん本を読んで調べていると、手術、抗がん剤、放射線の三大治療法しか治療がないと言われるのは日本だけだ。
アメリカなど各国ではガンの治療の中に、音楽療法やアロマ、ホメオパシー、「笑い」など、ありとあらゆる方法を取り入れているとか。

調べれば調べるほど、知れば知るほど、ガンというのは不思議な病気だと思う。
私も抗がん剤に頼り切るのではなく、いろんな方法を試したいし、何よりも自分の自然治癒力を大事にしたい。
イメージ療法も姉の話を聞いて、やってみようという気持ちが強まった。

というか、もう治っているとしかどうしても思えないんだよなぁ・・・


食べて、寝て、そして恢復する。

2019-10-09 | 癌について
2クール目は、入院の時からとにかくよく寝た。
人生でこんなに寝たことがない。きっと赤ん坊以来だ。

昨夜も21時半頃に寝てしまった。途中で目が覚めても、またすぐに眠れる。体がいくらでも睡眠を欲している。
細胞をしっかり休息させているのが良いのか、1クール目よりラクに過ごせた。
と言っても、やはりしんどいのはしんどい。
全身の筋肉痛のような痛み、固くなった胃腸の重さ、毎日ひどくなる手足のしびれ。
それでも安心できるのは、これを「副作用」だと感じられるからだ。副作用なら、日にち薬だとわかっているから、ただじっと我慢して過ごせばいい。
1クール目のような、ガンが暴れているような腹痛を一切味わうことがなかったので、心穏やかに過ごせた。
あれは、痛みを超えた恐怖だったから。

同時に、体だけでなく、精神も恢復していると感じる。
いろんなことと向き合って、認めて、受け入れた今は、気持ちもとても楽だ。
何でも悟ってしまえば「なんだ、こんなことか」と簡単に思うけれど、悟るまでの葛藤が実は一番大事なのかもしれないと思う。
突き詰めるという行為そのものに、欲しい答えはある。
ふわふわと生きてこなくて、本当によかった。
しんどい生き方だと言われることも多いけれど、その分、得たものも多いから。

そして、夫や家族の前向きな支えと、いろんな友達がくれたお手紙や、時々くれるメールやLINEの言葉一つひとつが、今は一番の力になっている。
早く元気になって、また恩返ししていかなければ。

昨日は、来週以降に取材の依頼が2件入り、友達との食事会やキャンプの予定も立て、日常が戻ってきた気がした。
空は澄んでいるし、風は心地よいし、ご飯はおいしいし、ただただ幸せだ。







なぜか元気な2クール目

2019-10-08 | 癌について
昨日は本来なら副作用ピークの4日目のはずなのだが、わりと元気に過ごした。
短い原稿も1本片づけて、料理をして。
玉ねぎがないことに気づき、近所のスーパーに買い物まで行った。
1クール目の死にかけ状態から考えると、信じられないほど元気だ。

おかげで夕ご飯も充実。



予定通り、鰆を南蛮漬けにして、鶏肝を山椒煮にした。
山椒はこの5月の旬の時期に、大量に下処理をして冷凍しておいたものを使用。
ベビーホタテの残りも生姜で炊いて佃煮にした。

やっぱりどことなく、酒のアテ感はぬぐえない・・・。
日本酒が欲しくなるようなラインナップ!
どうしてもこうなる。(しみついてる)

しかし、どれもこれも旨くて満足。
ついつい食べ過ぎてしまった。

元気だなぁと思っていたが、20時頃になって急激にしんどくなり、ソファで横になっていたら、22時に夫が帰宅。
2時間眠っていたようだ。やはり少し無理をしたか。
夜ご飯がまだだと言うので、起きてお膳を用意してあげると、「旨い、旨い、最高や!」と大絶賛。
夫は本当にいつも美味しそうに私のご飯を食べてくれる。
私が入院中は飲んだくれていたようだが、私が帰ってきてからはちっとも飲まない。この日もノンアル。
自分の「役目」のようなものがまだあることにホッとする。

お風呂に入り、24時に就寝。
今朝は8時まで寝た。昨晩から合わせると10時間寝ている。細胞が休息を求めているのだろう。
起き上がれるか不安だったが、5日目の今日もわりと元気。
朝から玄米を圧力鍋で炊いて、夫の朝食を用意して、私もリンゴ、生アーモンド、デーツ、白イチジクを食べた。
少し胃が硬い感じがする。

私がテキパキ動くのを見て、夫は喜んでいる。
「5日目やのに!」と。
本当に、今回は元気だ。水素が効いているのかなぁ。
あと、前回のようにお腹が痛まないのが何よりもありがたい。それだけでも全然違うのだ。
前回はガンが暴れている感じがしたけれど、今回はシーンとしている。
病院のあの夜、やっぱり消滅したのかもしれない、と思う。
ガンに関しては、そういうファンタジーみたいな例が、この世の中にはなんぼでもあるのだ。

抗がん剤治療2クール目 ~退院

2019-10-07 | 癌について
今回も無事に終わり、日曜の午前中に退院した。
3泊4日の間、抗がん剤点滴中も含めて、ご飯は完食。(きゅうりだけ残した)

退院した日も1クール目よりなぜか元気で食欲旺盛。
病院の朝ごはん(白米、のり、野菜のソテー、味噌汁、ゼリー)を8時に完食。
10時前に夫が迎えに来てくれたので、まずはスーパーへ買い物に行き、そこで数日分の食材を買い込んだ。

お昼ご飯は回転寿司へ行く予定だったが、まだ時間があったので星乃珈琲でコーヒーを飲んで時間を潰すことに。
ちょうどモーニングタイムでコーヒーを頼んだら無料でミニパンケーキがついてくるというので、せっかくなので食べた。
その後、11時過ぎに回転寿司で、寿司8貫。さすがに午前中3食目なのでいつもの半分くらい・・・

家に帰って少しゆっくりしてたら、夫がポップコーンやりたいと作りだした(豆から弾けさせるやつ)。
私はポッポコーンが好きじゃないので食べるつもりはなかったが、夫が塩を振りかけただけのポップコーンをあまりおいしそうに食べていなかったので、「ハニーバターしてあげよか?」と蜂蜜とバターをフライパンに溶かしてポップコーンを絡めて塩を少量振ってあげた。
私は蜂蜜が好きなので、これにはさすがに手が出た。まあ、少しだけにしておいたけど。

それからしばらく水素を吸いながらテレビなど見てゆっくりしていたが、すぐにお腹がすいてきた。
1クール目ではこのくらいの時間にはぐったりしていたのに・・・と思いながら、動けるうちに動いておこうと、料理に励んだ。



とにかく何の本を読んでも「にんじんとりんご」はガン患者におすすめなので、キャロットラペを大量生産。
スーパーでお買い得だったベビーホタテは、パプリカ、ブロッコリー、マコモダケとオイスターソースで中華風に炒めて。
マコモダケは宅配の野菜に入っていたので、半分はきんぴらに。
生野菜はたっぷり摂らないといけないから、レタス、ベビーリーフ、ブロッコリースプラウト、ミニトマトに、鶏むね肉を1時間半低温調理してしっとりさせたものを切ってサラダに。
天然ぶりも1切れ100円とお買い得だったので、ぶり照り焼き風(私は漬け焼きはしない。焼いてから浸ける)も作った。
これをまた二人でペロリ。
夫は、私がいない間、つまらない食生活を送っていたようで、「美味しい、美味しい」と大変な喜びよう。

今回、夫がお見舞いに来た時、「かおりがおらんかったら、俺は仕事して酒飲むくらいしかやることがないとわかった」と言うので怖かった。
その一方で、私がいない間に掃除や洗濯、洗い物をやってくれて、「家事ってこんな大変なんやなぁ・・・。これだけで午前中終わるやん。こんなこと全部やりながら、仕事もやって、生活費も折半してくれてたのか・・・」と感謝してくれた。
お金をもっと払う、家事を年収にしたら300万円あると言うのだが、「家事は労働でなく、私の趣味だから」と断っている。
どうせ10歳も年上の私のほうが先に働けなくなるのだし、その後、彼にはお世話になることが増えてくるのはわかっているのだから、その時に返してもらいたいのだ。
というか、すでに私の病気で心労やいかに・・・?と思うと、申し訳なくて仕方がないのに。
お金のことは意地になっているわけじゃない。いつ、この世に一人で放り出されても、一人で生きていける力だけは持っておきたいのだ。(せめて世の中の定年と言われる年まで)

しかし、今回は副作用がとても楽だ。
普通の人より元気で食欲あるんじゃないのか・・・とさえ思う。
通常、ピークであるはずの4日目の朝を迎えても、朝から普通に動けているし、こんなブログも書けている。

とはいえ、3年前も遅れて痛みがやってきたのを覚えていたので、甘い期待は抱かないでおこう。
そして、動けるときに動く!
昨日、これまた美味しそうな鰆が手に入ったので、南蛮漬け作ろうかな。
あとは、新鮮な鶏肝を山椒煮にしようか。
とにかく食べるもののことを考えていれば、私はなんだか幸せで元気が湧いてくるのだ。


抗がん剤治療2クール目 ~点滴

2019-10-05 | 癌について
恐ろしい目にあった。
写真を見るとなんとなくわかると思うが、、、
ちなみに右手にも1ヶ所絆創膏が貼ってある。

抗がん剤点滴当日、朝食、シャワーを済ませて待っていると、10時頃に看護師さんが来た。始まるなぁと思ってふと見たら、看護師さんの後ろから来たのは明らかに医大の研修生!!
ここは医大の付属病院なので、研修生が時々「練習」するのだ。本物の患者で!!

しかし、それはこの病院で診察を受けた最初の日(3年半前)に同意書を書かされているので拒否はできない。
また、こうやって実践を積んで、この人が将来たくさんの人を救うのだと思えば、モルモットにもなろうじゃないか!という気持ちにもなり、不安を顔に出さずに、にこやかに迎えた。

研修生の彼が何をするのかと言えば、点滴ルートをとること。
これが結構難しいのだ。
採血のときは一瞬だから、一番血管がわかりやすい肘の裏(何て言うの?)に針を刺すが、抗がん剤点滴は六時間くらいかかるので、手を動かしやすく、動かしても支障のない手首辺り(表側)からとることが多い。

研修生は明らかに今日初めてという感じで、日光のよく入る明るい部屋にも関わらず「電気つけましょうか」とスイッチを探し始めた。私のベッドの辺りを探し始めたので、看護師さんに「入り口です」と正された。
次はテーブルをセッティング。備え付けのテーブルに私の手を置いて、ちょうどよい位置になるよう場所や高さまで調節。
電気→テーブルと、学校で習っているんだろうなぁ、、、(涙)
普通、先生はテーブルなんて使わない。(涙)

右手に刺されるとご飯やトイレが不自由なので、左手でお願いし、研修生が作り上げた手術台(テーブル)の上に手を置いた。
それから血管探しが始まる。
腕をゴムで縛り上げ、ペチペチ叩き、必死に探していく。
なかなか見つからないので、「前回はここでしたよ」と助け船を出してあげた。
左手首表側の、くっきりと上がった血管を示すと、研修生はホッとしたように、それでも威厳をもった口調で、「では、ここからとりましょう」と言った。

いよいよだ。
緊張して私も汗が吹き出る。
「ちょっとチクッとしますよ~」と、お決まりのセリフ。
はい、と答えて覚悟はしたが、痛い!!
チクッとじゃない、ズクッとくらいだ!
採血ならこれで終わりだが、点滴は針が長いので、それを奥まで進めてルートをとらなければならない。これが慣れていないと難しいのだ。
研修生が針を進めると、飛び上がった!「痛い!!」
また飛び上がる。「痛い!」
完全に失敗だ。痛いということは、ちゃんとルートをとれていなくて、血管以外のところを刺しているということ。患者がここまで痛がったら、もうこれ以上は進めても無理なのだ。
それは研修生もわかっているので、「すみません。抜きます」とあきらめた。

一度失敗した場所は使えないので、絆創膏が貼られてまたペチペチと血管探しが始まった。
瞬間的に私は考えた。
今、私は最高の血管を提供したのに、この人は失敗した。ということは、次の血管で成功するわけがない。うん、まずないな。じゃあ左手はダメだ。不自由と痛み、どっちをとる?

不自由!!

というわけで、「あの~、ちょっと不自由にはなりますけど、右手も見てもらっていいですよ」と提案。
研修生はホッとしたようで、右手を見始めた。
そして、左手と同じ位置に狙いをつけ、「ここにしましょう!」と。
私と看護師さんが祈るなか、またチクッとしますよ宣言のあと、祈りもむなしく強い痛みが走る。
我慢してもやっぱり「痛い!」と声が出てしまう。
こんなに痛ければまた失敗だろう。
研修生も気づいて、「あっ、ダメですね。抜きます!」と言っている。

その時、ただでさえ嫌な抗がん剤をするのに、なんでこんな「経験しなくていい痛み」まで我慢しないといけないんだろうと思ったら、自然に口をついて出たのが、「もう、嫌だ、、、!」だった。
泣かなかったが、泣き真似はした。
すみませんと平謝りの研修生は、「どうしよう、先生呼んできましょうか?」と聞き、看護師さんもそうしてください!と。

呼びに言っている間、看護師さんは優しく「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
大人だって、痛いものは痛いんだ!

ようやく先生(女性)が来て、それが前回の上手な先生だったので、心の中で大拍手!!
「ちょっと見ますね~」と、優しく左手を見てくれたが、当然ながら最高のルートは先の失敗により絆創膏が貼られているので使えない。よって、少し離れた場所から無理やりとるしかないのだ。
結果、難しかったのだろう、なんと先生も失敗!!
ただ、研修生と違うのは、私が悲鳴をあげる前に通らないと判断して針を抜いてくれたところだ。これが経験のなせる技!

そして、先生は仕方なく最終手段を使われた。
肘の裏の少し手前。
曲げてもギリギリ針が邪魔にならない場所に針を刺した。何の痛みもなく、スッと通った。ようやく私の冷や汗も止まった。

入り口でしょぼんと見ていた研修生はかわいそうだったが、私も二度はあなたの練習台になった!これで勘弁してくれ。
だって、最高の場所(それも右手左手)を提供して、これで無理だったんだから、そのあとは拷問でしょ、、、

とりあえずホッとして、横になったら、看護師さんが「体温と血圧を測らせてくださいね」と言う。
えっ?!
先にやったほうがよかったのでは、、、

案の定、血圧は上が156まで上がり、看護師さんをギョッとさせ、三回測って130台まで落ちたものの、これでは抗がん剤が受けられないようで、「15分後にやりなおしましょう。リラックスしておいてください」と出ていった。

そんなドタバタはあったものの、とりあえず血圧も120台まで下がり、無事に点滴も受けられた。

この後、午後から母と姉コンビが来るのだが、今回もネタの宝庫。
しんどくなってきたので、これはまた。