月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

必要なのか、ただの固執なのか

2019-10-01 | 想い
昨日は、雑誌の最終校正の日で、参加するか悩みに悩んだ末、参加した。
久しぶりにクライアントやデスク、デザイナーさん、新しいライターさんに会い、皆でわいわいとものづくりをする感じも味わって楽しかったが、帰りには落ち込んでいた。
今日になってもまだ暗い気持ちでいる。

みんなが遠かった。
もうここに来るのも最後かもしれん、と思った。
私の参加しない、次号の取材の話を聞くたびに、淋しくて仕方がなかった。

夫と話していて、私がガンになった理由の一つは、おそらくこの仕事ではないかという結論が出ている。
「もう十分に成果は出したのだから、無理に続ける必要はないんじゃないか」と夫は言う。
次に進むためには、手放すことも必要だと。
これまでの人生もそうだった。塾や、社内報や、自分が長く関わって大事にしていた場所を手放して、次のステージへ上れた。

確かにもう十分な気はしている。
病気がわかる少し前に、新しいライターを自ら推薦して招き入れたのも、私が次に進むためではなかったか。
心のどこかで、手放したいと思っていたからではないのか。

「固執してはいけない」と夫が言うのもわかる。
やりがいもある。楽しい。チームメンバーもいい。成長できる。私にとって大事な仕事だけど、文字通り「命を削って」書いてきたものでもある。
これが、やめるタイミングなのかもしれない。
逆に、ライターが増えたことで、命を削ることなくゆっくりと少しだけ続ける、という選択肢もある。
まあ、まだ結論を出す必要もないし、じっくりと考えてみよう。

この間の日曜日は、急にチキン南蛮が食べたくなり、久しぶりに作った。
私はチキン南蛮が大好きなのだが、お店で食べても自分の好きなタイプのチキン南蛮に出合うことがほとんどない。
唐揚げみたいなのやチキンカツのようなものにタルタルソースをかけたものが多く、「これちゃうねん」といつも思う。

私が好きなのは、ピカタのように卵を表につけて揚げた胸肉を甘酢に漬けて、タルタルソースをたっぷりかけたもの。
もちろんタルタルも手作りだ。
私はピクルスがダメなので(きゅうり嫌い)、このタルタルも自分好みにしている。



こういう「メイン料理がある」食卓は、うちでは珍しい。
自分好みに仕上げているので、私にとっては世の中のどこで食べるより美味しいチキン南蛮。
(あくまでも、私にとっては、だ)
鶏、甘酢、タルタルのハーモニーがたまらない。

夫も「こんな美味しいチキン南蛮、食べたことない」と目を細めて大事に大事に食べていた。
最後の1切れをずーっと大事に皿に置いていた。笑

お酒を飲まないと、こういうメニューで夕食になるのがいいな。(酒のアテにはならん)