今の大学病院の治療や主治医には何の不満もない。
ガイドライン通りに誠実に治療をしてくれているし、主治医もこちらの話をしっかり聞いてくれる。
入院しても看護師さんはみんな優しく、嫌な想いをするということがない。
(この間の点滴ルートの練習台になった件はまた別だ)
ただ、大学病院なので主治医は週に一度しか来ないし、そのうえ年ごとに変わってしまう。
これからおそらく一生、ガンに付き合わなければならないのに、信頼できるドクター(いわゆるかかりつけ医)がいないというのは辛い。
そう思っていたことと、手術・抗がん剤・放射線、この三大治療法以外のことも並行してやりたいということ、この二つの理由から、ずっとセカンドドクターを探していた。
他の治療法の選択肢を相談するセカンドオピニオンではない。
あくまでも今の主治医と病院を信頼して、そこでの治療をしながら、気になることを気軽に相談したり、抗がん剤と並行してできることを一緒に考えたりしてくれる存在。
ようやくそんなドクターと病院に出会えた。
「サイモントン療法」で検索していた時に見つけたのだが、そのホームページに書かれている言葉の一つひとつが自分にはしっくりきた。
ガンを治した人がよく「直感を信じろ」と言うのだが、「これか!」と思った。まさに直感!ピンときたのだ。
「ブルース」で検索して、夫のブログを見つけた時と同じような感覚。
ここではホリスティック医学という考え方で診療をしている。
決して西洋医学を否定するわけではないし、宗教的なものでもない。
ホリスティック医学の定義はこちらから。
病気を身体だけのものだけではなく、心や魂という面からのアプローチも考えている。
簡単に言えば、西洋医学で治療しながらも、単に「医者に治してもらう」のではなく「患者自身が自然治癒力を高める」ということをプラスでやっていくという感じ。
その考え方がとても気に入った。しっくりきた。
やっと仕事が片付いて時間がとれたので、電話して「ガンの相談」を予約した。もちろん、主治医にも話して紹介状と診断書、PET検査のデータなどをもらっている。
15日に行ってみた。神戸なのでうちからは1時間ちょっとかかるが、それでも通えない距離じゃない。(東京ならあきらめるけど)
エステサロンみたいな素敵な空間のクリニックで、待合室に入るだけでなんとなく落ち着いた。
呼ばれて診察室へ。
先生は、小柄な男性で、目がキラキラして快活そうだった。医者にありがちな威圧感はなく、優しいおじさん、という感じ。
そこから1時間、これまでの私の病状の整理から始まり、ここに来るまでの経緯や想い、ここに何を求めているのか、逆にクリニックでは何ができるのかなどを話した。話している間、すべてを紙にペンで書いてくれ、その紙は帰りにくれた。
簡単にまとめると、
・私はガンを受け入れているが、治そうと前向きであること
・決して今の病院や治療法に不満を持っているわけではないこと
・主治医との関係性も悪くないが、かかりつけ医を持ちたいこと
・抗がん剤治療の副作用は今のところそれほど深刻ではないこと
・抗がん剤の効果アップや副作用の軽減につながる自由診療に興味があり、併用したいこと
・サイモントン療法を検索していてここにたどり着いたこと
・ガンになった物理的な原因ではなく、ガンになった意味(メッセージ)を知りたいこと
・知ることが生きることにつながることまではわかったが、あと一歩進めないこと
そんなことを順を追って話した。
途中で先生に、「今、ご自身にエネルギーはどれくらい充電されていますか?何%?」と聞かれた。
うーん、、、100%充電されているけど、100っていうのもなぁ・・・と遠慮し、「90%くらいですかね」と答えた。
すると、先生はびっくりしたように「それはすごい!」と。
普通、ここにガンの相談に来るような人は、「50%以下」と答えるらしいのだ。
「え!そうなんですか!」と逆に私がびっくりした。
つまり、みんなまず自分にエネルギーを充電させるところから始めないといけないのだが、私はこの時点でそこはクリア。
なんだかそれは嬉しかった。
それで、次の段階として、私が選んだのは、「瞑想」「サイモントン療法」「高濃度ビタミンC点滴」の3つ。
瞑想も自分でやるより先生についてきちんと習うことにした。(ここには専門の先生もいる)
サイモントン療法の本もそこで購入し、ひとまずそれで勉強することにした。
高濃度ビタミンC点滴は、抗がん剤のない週に1回ずつ受けることに。
いろんなことを話せたこと、これからもいろんな相談ができるドクターができたことが一つの収穫。
さらに、今後の治療方針も決まり、一歩前進したと感じられた。
保険のきかない自由診療(カウンセリング)なのに、初回だからと安くしてくださったのも良心的でありがたかった。
自分が元気すぎて忘れてしまうけど、もう少し深刻に考えたほうがいい病状だということも改めて思い出した。
でも、不思議だけど、少しも「死」を近くに感じられないのだ。
ガイドライン通りに誠実に治療をしてくれているし、主治医もこちらの話をしっかり聞いてくれる。
入院しても看護師さんはみんな優しく、嫌な想いをするということがない。
(この間の点滴ルートの練習台になった件はまた別だ)
ただ、大学病院なので主治医は週に一度しか来ないし、そのうえ年ごとに変わってしまう。
これからおそらく一生、ガンに付き合わなければならないのに、信頼できるドクター(いわゆるかかりつけ医)がいないというのは辛い。
そう思っていたことと、手術・抗がん剤・放射線、この三大治療法以外のことも並行してやりたいということ、この二つの理由から、ずっとセカンドドクターを探していた。
他の治療法の選択肢を相談するセカンドオピニオンではない。
あくまでも今の主治医と病院を信頼して、そこでの治療をしながら、気になることを気軽に相談したり、抗がん剤と並行してできることを一緒に考えたりしてくれる存在。
ようやくそんなドクターと病院に出会えた。
「サイモントン療法」で検索していた時に見つけたのだが、そのホームページに書かれている言葉の一つひとつが自分にはしっくりきた。
ガンを治した人がよく「直感を信じろ」と言うのだが、「これか!」と思った。まさに直感!ピンときたのだ。
「ブルース」で検索して、夫のブログを見つけた時と同じような感覚。
ここではホリスティック医学という考え方で診療をしている。
決して西洋医学を否定するわけではないし、宗教的なものでもない。
ホリスティック医学の定義はこちらから。
病気を身体だけのものだけではなく、心や魂という面からのアプローチも考えている。
簡単に言えば、西洋医学で治療しながらも、単に「医者に治してもらう」のではなく「患者自身が自然治癒力を高める」ということをプラスでやっていくという感じ。
その考え方がとても気に入った。しっくりきた。
やっと仕事が片付いて時間がとれたので、電話して「ガンの相談」を予約した。もちろん、主治医にも話して紹介状と診断書、PET検査のデータなどをもらっている。
15日に行ってみた。神戸なのでうちからは1時間ちょっとかかるが、それでも通えない距離じゃない。(東京ならあきらめるけど)
エステサロンみたいな素敵な空間のクリニックで、待合室に入るだけでなんとなく落ち着いた。
呼ばれて診察室へ。
先生は、小柄な男性で、目がキラキラして快活そうだった。医者にありがちな威圧感はなく、優しいおじさん、という感じ。
そこから1時間、これまでの私の病状の整理から始まり、ここに来るまでの経緯や想い、ここに何を求めているのか、逆にクリニックでは何ができるのかなどを話した。話している間、すべてを紙にペンで書いてくれ、その紙は帰りにくれた。
簡単にまとめると、
・私はガンを受け入れているが、治そうと前向きであること
・決して今の病院や治療法に不満を持っているわけではないこと
・主治医との関係性も悪くないが、かかりつけ医を持ちたいこと
・抗がん剤治療の副作用は今のところそれほど深刻ではないこと
・抗がん剤の効果アップや副作用の軽減につながる自由診療に興味があり、併用したいこと
・サイモントン療法を検索していてここにたどり着いたこと
・ガンになった物理的な原因ではなく、ガンになった意味(メッセージ)を知りたいこと
・知ることが生きることにつながることまではわかったが、あと一歩進めないこと
そんなことを順を追って話した。
途中で先生に、「今、ご自身にエネルギーはどれくらい充電されていますか?何%?」と聞かれた。
うーん、、、100%充電されているけど、100っていうのもなぁ・・・と遠慮し、「90%くらいですかね」と答えた。
すると、先生はびっくりしたように「それはすごい!」と。
普通、ここにガンの相談に来るような人は、「50%以下」と答えるらしいのだ。
「え!そうなんですか!」と逆に私がびっくりした。
つまり、みんなまず自分にエネルギーを充電させるところから始めないといけないのだが、私はこの時点でそこはクリア。
なんだかそれは嬉しかった。
それで、次の段階として、私が選んだのは、「瞑想」「サイモントン療法」「高濃度ビタミンC点滴」の3つ。
瞑想も自分でやるより先生についてきちんと習うことにした。(ここには専門の先生もいる)
サイモントン療法の本もそこで購入し、ひとまずそれで勉強することにした。
高濃度ビタミンC点滴は、抗がん剤のない週に1回ずつ受けることに。
いろんなことを話せたこと、これからもいろんな相談ができるドクターができたことが一つの収穫。
さらに、今後の治療方針も決まり、一歩前進したと感じられた。
保険のきかない自由診療(カウンセリング)なのに、初回だからと安くしてくださったのも良心的でありがたかった。
自分が元気すぎて忘れてしまうけど、もう少し深刻に考えたほうがいい病状だということも改めて思い出した。
でも、不思議だけど、少しも「死」を近くに感じられないのだ。