鴨着く島

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米軍の戦略と地方自治体

2022-02-06 19:11:16 | 日本の時事風景
米軍の艦載機離着陸訓練(FCLP)に伴う西之表市馬毛島への訓練場整備計画問題は、新しい局面を迎えた。

計画に反対の意向を示して再選された西之表市長の八板俊輔氏は、2月3日に防衛省に出向き、この件に関わる助成金「米軍再編交付金」を求める要望書を岸防衛大臣に手渡したという。

そのわずか2日前に種子島のほかの自治体である中種子町と南種子町の首長が九州防衛局を訪れて、整備計画への賛同と助成金を要望する文書を渡しており、外堀を埋められた形の八板市長は受け入れざるを得なかったのだろう。

交付金の額については防衛局から昨年末に各市町に知らせてあったという。その額は10年間で290億円だそうだ。当該施設を受け入れた自治体への協力金というわけだが、支払うのは米軍の要望を鵜吞みにせざるを得ない政府なので、結局のところ日本政府の米軍への協力金でもある。

馬毛島基地の正式名はまだ発表されていないが、建前上は自衛隊基地の一環として整備するわけだから、単純に名付ければ「陸上自衛隊○○方面馬毛島基地」というような名称になるはずだ。

いずれにしても「サイは投げられた」わけで、基地建設は粛々と進むだろう。

このように自衛隊基地が造られた(造られている)自治体には交付金という飴がばらまかれ、建設反対を表明する自治体には交付金は支給されない。「金の切れ目が縁の切れ目」の反対だ。

これの大掛かりなのが沖縄である。沖縄にも自衛隊の基地があるが、何と言っても存在感の大きいのが米軍基地だ。31の専用施設があり、その面積は沖縄本島の15%にも及ぶそうだ。犬も歩けば何とやらで、ただ存在するのではなく、訓練飛行の騒音と危険性で日常が冒されていると言ってよい。

沖縄が本土復帰したのが昭和47年(1972年)の5月15日で、あれから今年で丸50年となる。

復帰の当日だったと思うが、それまで車は右側通行だったのが一斉に左側通行になった様子をテレビが流していたのをうっすら覚えている。

沖縄の人たちの喜びはいかばかりであったか、想像するに余りある。

ところが米軍基地は縮小しなかった。それどころか「核の持ち込み」「原子力潜水艦の寄港」など物騒な「密約」があったことも明るみに出た。

1972年と言えば、米中の共同宣言により米国が中国共産党政府を正式に認めた年であり、またベトナム戦争も終結に向かい、東アジアは雪解けの時代を迎えていたのだが、やはり沖縄はアメリカ軍事戦略のキーストーン(要石)であり続けた。

1989年の米ソ冷戦終結を迎えてもなお沖縄から米軍基地は去らなかった。日米安保の定めによるものである。

それから30年余り、今度は米中の対立が表面化し、台湾問題が浮上してきている。台湾有事の際にはまた沖縄が米軍の戦略上の要衝としてクローズアップされるだろう。

「米中の狭間で日本の立ち位置をどうするか」という評論をよく見るが、日米安保を結んでいる以上、日本は軍事上米軍のコントロール下に入るほかない。

日米安保がある限り、軍事(戦略)上は米軍が上位機関であり、日本政府は下位機関に甘んずるほかないのだ。残念ながら・・・。

そして日米安保がある限り、アメリカの軍事的戦略に日本政府が従い、それを受けた日本政府は「交付金」政策により、地方自治体をコントロールする、いままさにそのことが南九州の離島で行われている。