鴨着く島

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石原慎太郎の死

2022-02-01 17:19:13 | 日本の時事風景
今日、元東京都知事の石原慎太郎氏が亡くなった。89歳だったという(1932年生まれ)。

石原慎太郎は『太陽の季節』で芥川賞を受賞した作家であるが、その後の人生ではむしろ政治家の顔を持つようになった。

自民党に属しながら右派の「青嵐会」を立ち上げたり、なかなか毀誉褒貶の多い政治家だった。

参議院議員から衆議院議員に鞍替えし、環境庁長官や運輸大臣を歴任しており、作家からスタートした政治家としては稀に見る政策通でもあった。

運輸大臣だった時と記憶するが、宮崎県日向市にあった日本航空のリニアモーターカーの実験線を視察に行ったとき、「ずいぶん臭い所を走っているんだなあ」と感想を述べて顰蹙を買ったことがあった。すぐ近くに養鶏場か何かがあって、その臭いが漂っていたのだ。

またこれも同じ頃だったと思うが、鹿児島県の三島村か十島村だったか忘れたが、島に立派な道路が敷設されたことについて、「あんな過疎の離島に何でこんな道路を造って予算を使わなければならないのか」などと評価したことが話題になったことがあった。

歯に衣を着せぬ物言いが常に石原の属性であったが、根に持つような言い方ではなかったので、「また石原節が出た」位な受け止め方をされた。

いつも次の選挙を意識せざるを得ない代議士にとって、石原は人気があるからまず選挙で落選はないという、羨ましくもあり煙たい存在だったに違いない。

「日本維新の会」の立ち上げに参画したのも石原だったが、結局、自民党を離れては動きが取れず、政策も実現できないジレンマに嫌気がさし、国会議員を辞め東京都知事に就任したのは1999年で、以後2012年まで4期務めた。

その間の出来事としては、何と言っても「政府自民党が腰を上げないのなら、尖閣諸島は東京都で買い取る!」と雄叫びを上げたことだ。自民党が久しく「尖閣諸島はわが国固有の領土」と言いながら、いつになっても国有化しないのに腹を立てたのだ。

尖閣諸島は2009年に自民党から政権を奪取した民主党(2009年~2012年)の野田政権の時に地権者との間に合意が成立し、国有化が実現した。石原の尖閣諸島購入計画が下敷きになったのである。

石原の著作は多岐にわたるが、中で田中角栄について書いた『天才』は真骨頂かもしれない。もともと田中角栄を代表とする自民党の金権的な古い体質になじめず、結局自民党を離れた石原だったが、田中角栄の政治家としての人生に一目置いた書きぶりであった。

おそらく知的な石原にとって、田中角栄の持つ政治的な嗅覚と言うべきもの、つまり政局の読みや官僚を巧みに誘導し味方につけるという田中に、自分の及びもつかない個性を感じざるを得ず、それを「天才」の一言で表したのだろう。

確かに「今太閤」と呼ばれた田中角栄は、戦後歴代の首相の中では絶大な人気があった。しかし田中が1972年の7月から1974年12月のわずか2年5か月という短い首相任期だったのは以外という他ない。

ジャーナリスト立花隆が発表した『田中角栄の研究』に描かれた「田中金脈」によってマスコミから叩かれていなかったら、もっと政権を維持したに違いないが、それは石原もそう思ったはずである。

とにかく、物書きとして政治家として明確な個性を発揮した石原慎太郎は一つの時代を築いた人だ。

弟の、これも一時代を築きながら若くして先に逝った裕次郎と、泉下で、何を語るだろうか。