鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

南九州の古代人(1)クマソ②

2020-05-30 12:55:05 | 古日向の謎
  【Eクマソの真相】

ⅰ.①ではA~Dまで日本書紀に登場するクマソ説話を抽出してみたが、景行天皇から神功皇后までの年代観はおおむね300年代の前期から後期初めの時代である。

Aは別として、B、C、Dはいずれもクマソは朝貢をしない叛逆者という書き方がなされ、それゆえ征伐の対象になるのだが、Bでは征伐にやって来た小碓命に自分の尊称である「タケル(建)」名を与えたり、Cでは仲哀天皇軍を敗り、天皇を戦死させるほどの強大な勢力を保持しているかの如く描かれ、決して通り一遍の反逆者という捉え方はされていない。

巷間のクマソ論の主流を占めるのは、ひとつは本居宣長流の「熊襲」という漢字を「熊」と「襲」に分け、熊を「獰猛な、暗愚な」とし、「熊襲は獰猛で暗愚な王化に浴さない南九州の襲の地域に住む種族」と考える説がある。

もう一つの考え方は熊襲を「熊」と「襲」に分け、これを古代からの地名である「熊本県球磨(くま=人吉)地方」と「鹿児島県襲(そ=霧島)地方」にまたがって盤踞する種族なるがゆえの「熊襲」名であるとするものである。

後者の地理的解釈をする場合でも、そこに住むクマソが、動物の「熊」の属性である「獰猛で恐ろしい」というタイプであるという認識では前者と変わりはない。熊はあくまでも「暗愚」という形容と切り離してはいないのである。


ⅱ.しかしそもそも「熊(ユウ)」という漢字は動物の熊にしか使われないものなのだろうか?

漢字の熊は「能」と「火」(列火)からなる合字で、漢語で解釈すると「火を能くする」ということである。

「火を能くする」とは言い換えれば「火をコントロールする」「火をうまく利用する」ということで、決して「獰猛」だったり、「暗愚」だったりという属性を表しておらず、むしろ佳字だということが分かる。

宋代に作られたという怪奇小説に『封神演義』がある。

この小説は殷王朝の最後の紂王が悪逆の限りを尽くしてついに周王朝の文王に取って代わられたという史実を基に書かれているが、文王の片腕となって勝利に導いた稀代の宰相「太公望」本名・呂尚が川で釣りばかりをしている時に、ある薪売りの武吉という少年に嘲笑われるのだが、この時のやり取りに「熊」が出てくる。

・・・(武吉が下手な釣りをしている太公望に尋ねる。)
――ご老人。おれが町に薪を売りに通ると、いつもここで釣りをしているが、名前は何というのだい?
「わしは姓を姜、名を尚、字を子牙、そして号を飛熊(ヒユウ)と申す」
・・・(それを聞いて武吉は腹を抱えて笑い出す。)
「武吉とやら、なぜ笑うのじゃ」
――高人、聖人、賢人、そのような方だけに<熊(ユウ)>という号が与えられる。釣り糸を垂れることしか知らないお前さんが<飛熊(ヒユウ)>などという号を名乗るのとは、まったく誰が笑わずにいられようか!

この下りから分かる「熊(ユウ)」という漢字の意味は、我々がクマと読むことで抱く「獰猛・暗愚」というイメージとは真逆だということである。

高潔な人物、聖人、賢人と言えば、人間として最も高貴な部類に属する人たちであり、そういう人たちなら「熊」を号に使えるというのであるから、「熊」は最上に近い佳字と言っていいだろう。

上で触れた漢字の成り立ち「熊=能+火」からもそれは言えるのではないだろうか。「火」は「日」であり、「霊(魂)」でもあることからすれば、我が身の「霊魂」を「うまくコントロールできる」人間こそが賢人であり、高潔な人物ということに他ならない。

また大陸の王朝の一つに「楚」がある。あの名宰相・屈原が出た国である。

この王朝の起源は周王朝とさして変わらない紀元前1000年代にあるが、初代を「熊繹(ユウヤク)」と言い、その後20代目の成王まで号に「熊」を付けている。

熊という字の意味が「獰猛や暗愚」であったら到底採用しない号名である。


ⅲ.以上から漢字の本場である中国の使用例から見て「熊」はけっして蔑称ではないという結論に達する。

したがって「熊襲」は「熊なる襲人」すなわち「熊という漢字の属性を持った襲の人々」という意味である。と言って熊襲がすべて「賢人」だったり「高潔な人物」であったりするわけではない。記紀の編纂者がいくらクマソを買い被ったとしても、そこまでヨイショはしないだろう。

それでは南九州人のクマソが「熊襲」な訳をどう解釈したらよいだろうか?

私は「熊」の語源通りの「うまく火をコントロールする」の方を採用する。

そこで刮目すべきは、①で論じた中の【A(国生み神話)】である。この神話では筑紫島(九州島)がイザナミによって生まれるのだが、4つある国の中で南九州の熊曽国の別名を「建日別」といった。

「建日別」(たけひわけ)とは「建日の地域」という意味である。「建」は「武」とも書くように「勢いのある、強盛な」の意味で、したがって「建日」とは「強盛な日」であるから、全体としては「強盛な日の地域」と解釈される。

この場合「日」は無論「陽」であり太陽の意味だから、たしかに南九州の属性である「強い日差し」に合致している。

しかし私はもう一つ別の「ひ」の存在を最大の属性と考える。それは「火」である。上述の「熊」の成り立ちに使われたあの「火」である。

南九州の「火」と言えば、「火山」に他ならない。日本列島は火山列島でもあるから全国は火山だらけなのであるが、ことのほか多いのが南九州なのである。

特に巨大なカルデラ火山が熊本の阿蘇から宮崎の加久藤、鹿児島の姶良・阿多・鬼界と県本土のど真ん中を4つも南北に貫くように存在する地域は他にはない(北海道にも巨大カルデラがいくつかあるが、記紀編纂当時には全く知られていなかった)。

このような土地柄の中で生き抜いてきた南九州人はある種の畏敬の念を以て見られていたのではないだろうか。そこで名付けられたのが「熊襲」で、「活火山の中を生き抜く南九州人」の面目躍如といった命名ではなかったかと考えるのである。

(※古事記で熊曽国の別名を「建日別」と言っているが、この「日」を「火」と捉え、「火山」と解釈すれば、結局のところ「熊」と同義と言って差し支えない。)
                       (クマソ② 終わり)


『男はつらいよ50(お帰り寅さん)』を観る

2020-05-29 13:05:15 | 母性
山田洋次監督の御存じ『男はつらいよ』は、映画として第一話が公開されてから2019年で50年になったという。

1969年の春だったか、テレビで『負けてたまるか』という渥美清好演のドラマがあり、それを受けて今度は渥美清主演で『男はつらいよ』が始まったのだが、最終回で渥美清扮する主人公が奄美大島に出かけ、そこでハブに咬まれて死んでしまうという幕切れとなった。

そうしたらテレビの視聴者から「なんで死なせてしまうんだ」とたくさんのクレームが来たそうである。

山田洋次監督は本当は「家族」をテーマにした本格的な映画を作りたいと思っており、喜劇的な要素の強い『男はつらいよ』は余技的なものと考えていたらしい。しかし評判がいいので映画会社も力を注ぐよう要請があり、こっちに本腰を入れだしたようだ。

それでもまさかこんなに長く撮り続けるとは思ってもみなかったと思う。

やはり主人公役の渥美清に負うところが多いのだろう。渥美清というと「寅さん」がはまり役過ぎてその余は考えにくいが、一筋の役とはいえマンネリに陥らないのは数多くのマドンナ役の登場もだが、渥美清の持つ演技の多様性(喜劇性・悲劇性の両面プラスα)に帰せられる。


さて、車寅次郎は柴又の団子屋のせがれで、死んだ兄と妹のさくらとは腹違いという設定である。本人の母は京都か大阪から東京に出稼ぎに来た芸者で、寅次郎を産んで間もなく帰ってしまう。

恋焦がれたフーテンの寅次郎は今は京都の連れ込みホテルを経営している母に会いに行くのだが、まさに長谷川伸の『瞼の母』の番場の忠太郎と同じで、「ちょっと金でも持っていそうになると、そう言ってタカリに来るんだよ。そうなんだろ」と取り付く島なく、カーッとなった寅次郎はけんか別れをする。これが記念すべき初公開の第一話のあらすじである。

番場の忠太郎は母とそのまま袂を分かち、瞼の裏で母を偲ぶことだけはしたが、寅次郎の場合はこれ以降「母を偲んで云々」は一切なく、旅道中のテキヤ商売と柴又の実家とを行ったり来たりの人生を送る。


この50周年記念映画では、妹さくらと印刷所の社員ひろしとの間の一粒種甥っ子の満男が、夢の中で、高校1年生の時の初恋の相手泉と、どこか砂丘のような海辺で出会うシーンから始まる。

そのあとはさくらやひろしの回想を中心に話が進み、若き日のマドンナたちとのシーンが多く挿入されていて懐かしい。

満男は小説家になっていて、とある出版社から新しい小説を出版したとかで大きな書店でサイン会があった。そこへ何とあの初恋の泉が現れる。本の表紙の裏に「諏訪満男」とサインをした時に、「その横に泉と書いて下さい」と言った購読者の顔を不審気に見上げた時の満男の驚き!

泉は今はジュネーブの国連難民高等弁務官事務所に勤めており、久しぶりの休暇を3日間貰えたので日本に帰り、うち1日は別れた父親の入所している施設へ見舞に行くことにしていた。

サイン会ののちに二人はカフェに行き話し合う。そのカフェのオーナーは実は寅さんのマドンナの一人リリーだった。りりーはようやく泉のことを思い出す。

リリーは寅さんには本当に惚れていて、また寅さんも満更ではなく、沖縄でリリーが倒れた時には一時一軒家を借りて同棲していたのだ(が、抱き合うことはなかった)。

リリー役の浅丘ルリ子はやはり持ち前の明るさが画面を引き立てていた。昔も今も変わらないのはさすがだ。

しかしまだ光っていたのは泉の母役の夏木マリだ。

夏木マリの母役は見かけはややあばずれて派手目の女で、口から出まかせではないかと思うほどよくしゃべるが、旦那に浮気をされ逃げられてしまうという役柄である(娘の泉にとっては父親が不在のまま成長することになった)。

一見するとよくある、旦那が浮気したならあたしもという女ではなかったようだ。結局離婚をして女手一つで泉を育て上げるが、今度の設定では浮気をして女のもとに走った旦那(橋爪功。浮気の相手だったのは確か宮崎美子)は今は三浦半島の施設にいるという。

「あたしはもう離婚しているからあんな男とは縁がないんだよ。あんたは血の繋がりがあるんだから最後は面倒見なさいよ」とは言うのだが、そもそも手配して施設に入れるようにしたのは母親だったのだ。

満男の車で施設に行った帰り道の車中のシーンである。このあたりの夏木マリの演技は見ものだった。興奮して途中で車から降りてしまうが、結局、旦那が施設で死ぬまで面倒を見るのは母親だろうという予感がするシーンだった。

泉も何度か訪れた懐かしいとら屋(今は別人が経営しているようだ)には年取った満男の母役の倍賞千恵子と父役の前田吟がいた。

実はこことら屋の座敷で前日、満男の妻の7回忌法要が営まれたのだが、泉にそのことを知らせたのは、泉が休暇を終えて夫と二人の子供の待つヨーロッパへ飛行機で発つ間際だった。

驚いた泉は行こうとしていた身を翻し、満男に抱き付き熱く接吻を交わし、そして別れる。

この抱擁と接吻の意味は文字通り意味深だ。

泉にしてみれば本当ならば初恋の満男と結婚を考えていたのだけれども、寅さんに心理的には似ていて女性への引っ込み思案が激しい満男の煮え切らない態度に断念し、忘れようとヨーロッパの大学へ留学したのであった。

ここで映画は終わるが、最後のシーンは最初の夢の中で泉と出会うシーンとは真逆のようでどこか繋がりの余韻を残している。

このあと続きはあるのか――。

甥っ子の満男の役どころではもう考えられないが、泉を主人公に据えてみたらどうか。

泉は父親に去られるという不運に見舞われた。寅さんが母親に去られるのと条件は同じだ。寅さんには母親的な存在の妹さくらがいて、故郷に足を向けるよすがとなっているから、安心して旅回りのテキヤ商売ができる。

一方の泉は故郷九州に口うるさくあばずれ的な母親だが、気の置けない母がいる。母親の存在感というのは、たとえどんな出来の悪い母親でも、子にとっては格別なものだ。

故郷に帰ってきて最初はくつろげても、やがて口うるさい母親の存在が気障りになり、また出て行ってしまうという「女寅さん」のストーリーが描けぬものか。

しかしまあそれでも5話か6話がいいところだろうな。

山田洋次監督が「今まで観たことのない作品が出来た」と驚いたという『寅さん50』のチラシの中のセリフ。

南九州の古代人(1)クマソ ①

2020-05-27 12:33:51 | 古日向の謎
古代以前の南九州には「クマソ」と「ハヤト」という「化外の民」が住んでいたと記紀に記されているが、その実態は分かったようで分からない、というのが実情である。

記紀には「化外の民」という表現はなく、多くは「朝貢を怠った」と記されており、それを朝廷に対する反逆として何度か中央から「征伐」軍が差し向けられ、結果として中央に服属するというストーリーに仕立てられている。

クマソはハヤトより早い段階の南九州人に充てられた呼称で、ここではまずクマソについて記紀がどのように描いているかを抽出し、それに対する通説と私論を述べていこうと思う。

  【A国生み神話】(出典:古事記)

イザナミによって日本列島が次々に生まれるが、今日の九州島を指すのが「筑紫島」である。その筑紫島には4つの国があったと記されている。

  筑紫国(別名:白日別)
  肥国(別名:建日向日豊久士比泥別)
  豊国(別名:豊日別)
  熊曽国(建日別)・・・日本書紀では熊襲

の4国で、最後の熊曽国こそが南九州全域を指す国である。
国名は熊曽国以外はすべて今日にも通用する地域名であるが、熊曽国だけが異質である。

この用例からしてすでに大和王権側の南九州の「化外の民」性の強調なのだ――という見方が生まれるかもしれないが、後述のように私見では通説とは「熊」の解釈に違いがあり、「化外の民どころか・・・」というある種想定外のクマソ論になる。

それはさて置き、この国生み神話における熊曽国が時系列的に最も早く登場するクマソであった。

  【B景行天皇の時代】(出典:日本書紀)

古事記では国生み神話後のクマソの登場は『仲哀記』に「熊曽国」、『景行記』に「熊曽建」とあるくらいで、その点、日本書紀のクマソ説話の分量は圧倒的に多いので、この項以降は書紀を出典とする。

景行天皇の時代にクマソが朝貢せず逆らったので、南九州を天皇自らが「親征」した。この後、再び逆らったので今度は息子の小碓命(おうすのみこと。のちのヤマトタケル)に征討させた。

古事記では小碓命の征討説話だけだが、日本書紀では天皇と息子ので二度の征伐を行ったとしている。

   ⅰ 景行天皇の親征(熊曽征伐と九州巡狩)

天皇は九州豊前の長峡に行宮を造り、そこを足掛かりとして豊前から豊後へ各地で豪族の征伐を進め、南九州に入ると日向の高屋宮を拠点としてクマソの巨頭「厚鹿文(あつかや)」兄弟を攻略する。

その後、南九州を東(大淀川上流)から西(川内川上流)へ各地の豪族を制圧しつつ、今日の熊本県へ抜け、さらに阿蘇から筑後の八女などを通過し、筑後川の浮羽を最後に九州から立ち去っている。

そして、この九州巡狩において、「日向(ひむか)の国」と「火(ひ)の国」地名が生まれたとしている点も見逃せない。

   ⅱ 小碓命の熊曽征伐

長男の大碓命を力づくで殺害してしまった次男の小碓命に危なさを感じた景行天皇は、最初の征伐から8年後に再びクマソが背いた時、今度は小碓命に征伐に行かせることにした。

南九州には厚鹿文(あつかや)に代わって「取石鹿文(とりしかや)」がいた。別名を川上梟帥(かわかみのたける)と言い、女装をしてまんまと侵入した小碓命はこの川上タケルを殺害する間際に、タケルから「タケル」という名を貰う。これ以降、小碓命は常に「ヤマトタケル(日本武尊)」として登場することになる。

厚鹿文(あつかや)にせよこの取石鹿文(とりしかや)にせよどちらも「鹿文(かあや=かや)」を共通にしているが、これは今日大隅半島の中心都市を「鹿屋(かのや=かや)」というのと軌を一にしており、彼らは大隅半島中心部を根拠地とする一大勢力だったとしてよい。

  【C仲哀天皇の時代】(出典:日本書紀)

ヤマトタケルと王妃フタジノイリヒメとの間に生まれた足仲彦(たらしなかつひこ)皇子が、景行天皇の皇子であった成務天皇亡き後に仲哀天皇となる。

この天皇のときにやはり「熊襲叛きて朝貢せず」ということで熊襲征伐が行われるのだが、景行天皇時代の征伐と違うのは、天皇は南九州へは来ず、北部九州止まりであったことだ。しかも天皇はそこで命を落とすことになる。

一大椿事と言わなければならない。

古事記によると、仲哀天皇は「海(玄界灘)の向こうに国などあるものか」と頑なに言い張り、ついに神罰によって死を賜るというものだが、日本書紀では神自らが託宣で「海の向こうの新羅は金銀財宝に恵まれた国で、その国を討てばよい。熊襲の国は何もない国だ(から討っても無駄だ)。」といさめるのだが、天皇は言うことを聞かずに熊襲を討ちに行き、戦死してしまう(一説では敵の矢に当たったから)。

  【D神功皇后の時代】

仲哀天皇が北部九州の「橿日宮」で死んだあと、斎宮を小山田村に営んだ際に、そこで審神者を立てて占ったら神罰を下した数々の神が明らかになる。

それはそれとして、神功皇后はやはり夫の仲哀の敵である熊襲を討つことにし、吉備臣の祖である鴨別(かもわけ)を派遣して熊襲を討たせたところ、熊襲は「おのずから服せり」という結果になった。

鴨別の力量が思われるところだが、実は吉備には「国生み神話」において「建日方別(たけひかたわけ)」と呼ばれる吉備児島があり、ここはその名の通り建日別(熊曽国)の「方別」(分国)であったから、鴨別はクマソの一族であった可能性が考えられ、そうであれば鎮撫も平和裏に行われたのだろう。

クマソが記紀に登場するのはここまでで、神功皇后がこのあと朝鮮半島に渡り、新羅を平定するが、再び北九州に戻り、応神天皇を産んでからあとはいかなるクマソも登場しない。
                       (クマソの① 終わり)

プロ野球は始まるのに・・・

2020-05-26 14:24:15 | 日本の時事風景
昨日の夕方、隣の少年(中3生)が帰宅して我が家の前の通りに佇んでいた。ソフトボール部に所属しているので、ユニホームを身につけたままだ。

――お帰り。もう部活も普通に始まっているんだね?

「はい。練習は始まってます。」

――大会なんかは全部中止なんだろ?

「はい、中止です。」

浮かない顔をして、そう答えた。

――プロ野球は来月の19日からやるって言っているのになあ。

少年はまだプロ野球の開始のことを知らないらしかった。


無観客試合だが、プロ球団は昨日の全国規模の緊急事態宣言解除を待っていたかのように、6月19日から始めるという。

台湾や韓国ではすでに始まっているので、それに右へ倣へとばかり開幕を急いだのだろうが、それにしてもタイミングが良すぎる。

というのは昨日発表の解除要項の中で、6月19日から「県境をまたぐ往来ができる」とあったのだが、まさにプロスポーツは各地にある競技場を行ったり来たりして行うわけだから、県境規制があっては困るのだ。

政界へプロ野球界の要請が強く働き、ジャストタイミングになったのだろう。

そうであるならば、「同じ県内で行うアマの地方大会」など何のお咎めもあるまいに、いまだに新人戦も春季大会も中止したままなのはどうかしている。

鹿児島や宮崎などは感染者は外部から移動して来た者だけで、しかもその後の二次感染者は県民からは出ていないのだ。

福岡や他県が中止を決めたからと言って、それはそれで気の毒だが、こっちまで判を押したように「移動の際の密な状況や、万が一感染して自分の学校に戻って来てからの集団感染が怖いから、見合わせる」では子供が育つまい。

せめて地区大会くらいはやって欲しいものだ。それこそ常に密な状況にある都会と違い、過疎を多く持つ地方の特権ではないか。

新型コロナ感染者ゼロの岩手県はじめ鹿児島も宮崎も、人口減少と過疎にあえいでいる。しかし逆にそれが「三密」を防いでいるのも事実だ。

常に「三密」の状態の大都会から離れて暮らすことが、今度の新型コロナ終息以後の「新しい生き方」になったらうれしい。
今年は例年より早く紫陽花が咲いた。やや日当たりの悪い西の細庭が明るくなった。


肩透かし

2020-05-22 14:29:25 | 日本の時事風景
こういうのを「肩透かし」というのだろう。

話題の黒川東京高検検事長が、産経新聞の「番記者」2名と朝日新聞社員1名とで「賭けマージャン」をしていたことをリークされ、法務省に辞表を提出した。

リークしたのは例の「文春砲」というやつで、おそらく文春では1月31日に異例の閣議によって黒川氏の定年延長6ヶ月が決められたころから、探りを開始したのだろう。

安倍首相は黒川氏の定年延長は法務省から上がって来た案件だと逃げているが、肝心の森法務大臣がしどろもどろでは、だれが見てもそうではなく、安倍首相サイドの提案だと分かる。


何も検察の高官だからと言ってマージャンをしてはならないことはないが、国民全部が外出を控えている5月に二回も密室で深夜に及ぶまで「賭けマージャン」をやっていたというのだから、開いた口が塞がらない。

探りを入れていた「文春砲」も、さすがにこのご時勢を忖度して実弾をぶっ放したのだろう。

政界関係者の「番記者」との付き合いは、ほどほどであればかなり普遍的だそうだが、今度の場合、あまりに非常識であったと言わざるを得ない。


黒川氏は昨日コメントを付して法務省に辞表を提出したが、法務大臣によれば内部規定で退職金は全額支払われるそうである。

一般国民感覚からするとやや厚遇に見えるが、汚職などとは違い法務省当局に金銭や物品的な損害を与えたわけではないので、まずこんなものだろう。

むしろ自ら「金を賭けていました」と白状したそうだから、印象は悪くない(大学生でも昔は賭けマージャンをしていた)。

何かあっけらかんとした感じがしてならないが、彼なりにホッとしているのではないだろうか。つまりこれから数多くの疑惑に対して提訴されるであろう安倍首相サイドの期待から逃れたということである。

既に「桜を見る会」の政治資金規正法疑惑に対する原告団が東京地検に提訴しようとしているし、本丸は何と言っても「森友学園問題」で、金銭疑惑と公文書改ざん疑惑で提訴は確実だ。

地検から高検に上がっても、最終的には検事総長の判断で不起訴にできる可能性が高いので、安倍さんとしてもあと2年は黒川氏にそのポストにいて欲しい。

ところが黒川氏にしてみれば、「すべて不起訴」という大技ができるか心もとない。それが彼の心中に鬱積していった結果が、今度のあっけらかんとした「自供」とそれにリンクした辞表提出という行為だったのではないか。

安倍首相サイドにとっては「青天の霹靂」だったが、実は黒川氏の「肩透かし」だろう。黒川氏の「技あり」だ。

ただ、よく言われる自民党サイドの産経新聞の記者と自民党には批判的な朝日新聞の社員が同じ雀卓を囲んでいたのが不可解である。

意地悪な見方をすれば、野党が朝日新聞の社員をそそのかして賭けマージャンをさせ、文春にリークして黒川氏の辞任を仕組んだのか。その逆の見方では、政権側がこれ以上の国会混乱を避けるため黒川氏の処遇にはもう見切りをつけ、賭けマージャンをリークしたのか。

いずれにしても黒川氏の検事総長就任は潰え去った。

賭けた金額も少なく、「自白」もしているので、印象としては軽微であるが故、法務省での懲罰は「訓戒」レベルだとして退職金は全額払われるらしい。

黒川氏ももう賭けマージャンなどから「足を洗い」、カラオケを趣味としてはどうだろう。持ち歌として細川たかしの『心のこり』(の替え歌)を覚えたらよい。

♬ 私バカよね おバカさんよね 
  うしろ指 うしろ指 さされても
  マージャン一筋 お金を賭けて
  やって来たのよ 今日まで・・・♬