鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

「安かろう、良かろう」日本

2024-06-28 18:49:56 | 日本の時事風景
外国人訪問客数が新型コロナ前の水準に達し、今後さらに増えて行く見込みだという。

街角で訪日外国人客にインタビューする場面がよくテレビで放映されるが、彼らは異口同音に日本の物価の安さに驚いている。

例えば「日本の通常価格で2000円の寿司が、欧米では5000円はする」だったり、ハンバーガーセットの1000円が向こうなら2000円以上だとか言っている。

勿論その理由の大半が為替、つまり日本円がドルやユーロに比べて安いことなのだが、彼らが使ってくれる消費額(円)を受けた方が日本国内で使うのであれば何の不利益は生じないのだが、その円を持って欧米に行って使うとなれば相当な不利益になる。

日本でハンバーグセットを売って得た1000円を、向こうで全く同じハンバーグセットを食べて支払うと2000円相当のドルなりユーロなりを払うことになり、差し引き1000円の赤字だ。

しかしこの1000円のハンバーガーセットをそのままの形で欧米に輸出すれば、向こうでは2000円で売れるので大儲けになる。

ハンバーガーは輸出できないのだが、日本製の自動車を向こうに売って大儲けしているのがトヨタはじめ自動車業界で、部品の原材料の輸入では円安のためにアップアップしているが、完成品では逆に儲けが大きい。

その結果、日本の貿易収支は大きく黒字になっているし、その利益への税収も増加している。

その一方で加工貿易国家の日本では輸入する原材料(食品を含む)費がバカ高になり、国内向けの加工品は軒並み割高になっている。

この頃はコメの値段も上がっているようで、消費に見合った生産量が確保されていないのか、その理由ははっきりしない。

食卓に上がるごはんよりも、コンビニなどのおにぎりや弁当への使用が増えたため引き合いが強いからなのだろうか。

いずれにせよ、訪日客が日本に来て味わう寿司やラーメンなどの日本食や、手土産の工芸品などが彼らにとって、「こんな良いものがずいぶん安い」と喜んでいる現実は悪いものではない。

50年昔の日本の「加工貿易品」は「安かろう、悪かろう」が付いて回ったが、いまは反対に「安かろう、良かろう」になったと思えば、プライドも生まれよう。

「日本買い」は株式の取引で使われる言葉だが、実体のある「日本買い」は「安かろう、良かろう」が定番のこれからの日本の採るべき方向性になるかもしれない。



沖縄全戦没者慰霊の日(2024.06.23)

2024-06-23 16:27:34 | 日本の時事風景
今日6月23日は沖縄戦が終結した日で、沖縄県糸満市の摩文仁の丘にある慰霊碑の立つ公園で沖縄県主催の「沖縄戦全戦没者追悼式典」が行われた。

小学校から高校生まで7人が代表で追悼の碑に献花をした。

あれから79年が経ったことになるが、昨日と今日の民放やNHK番組では当時10歳から15歳くらいだった生存者の話を特集していた。

異口同音に語られるのは戦争の残酷さであり、国が二度と戦争を起こさない覚悟が必要ということであった。

もちろん生存者によって「残酷な体験」の内容は様々だが、いまだに大小のトラウマを抱えているのは共通している。

そのトラウマが消えることはないだろうが、人に語ることによって自分だけが抱えているという重苦しさから少しは解放されるはずである。

今年の「平和の詩」に選ばれたのは宮古高校の3年生の男子だった。たしか「これから」というタイトルだったと思う。朗読詩の良さが横溢していた。(※明日の新聞に全文が載るはず。)

国土防衛線の「南西シフト」が着々と進んでいる一方で、沖縄米軍のうち海兵隊がグアムに移駐する話が進んでいる。一見、沖縄の米軍基地負担が軽減されるように思われるが、どうもそうではないらしい。

中国が進出して久しい南シナ海で、中国とフィリピンが対立しているのを見越してグアムに拠点を設け、対中牽制を強化するのがアメリカの目的だ。

現実に中国海警とフィリピンの海軍との間でいざこざが起きているが、アメリカが関与する可能性はないのか、憂慮される。

※今朝(24日)の新聞に平和の詩「これから」の全文が掲載されていた。作者は宮古高校3年生仲間友佑(なかま・ゆうすけ)君である。
 長い詩で、逐一数えたわけではないが、全文で800字はあると思われる。
 中で、印象に残った部分をだけ以下に取り上げることにした。

 『これから』仲間友佑(・・・は省略箇所)
・・・
大切な人は突然 誰かが始めた争いで 
夏の初めにいなくなった
・・・
誰かが始めた争いで 常緑の島は色を失くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい、話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが そのすべてを奪い去る
・・・
人は過ちを繰り返すから 
時は無情にも流れて行くから
今日まで人々は 恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた あまりに大きすぎる悲しみを
手をつなぐように 受け継いできた
それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでもまだ変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繫ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために 紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて
今年もこの6月23日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛みしめながら
(完)


一極集中は収まらず

2024-06-12 10:37:17 | 日本の時事風景
2014年に人口減による消滅の危機が叫ばれた地方の自治体のうち、約4割の自治体で2020年度の人口予想を上回ったという。

一概に喜んでいいのか分からない。たしかに予想された危機的な減少は免れたのは評価すべきだが、絶対的な減少は続いているのだ。

予想されたような危機的な減少にならなかったのは主に都市部からの人口流入、つまり移住に負っているという。それ自体悪いことではないが、危機的だった自治体が人口回復するには焼け石に水だろう。

岸田政権下ではその対策として「デジタル田園都市国家構想」を打ち上げた。

の主旨は「地方にいてもデジタル化を進めれば都市部に引けを取らない生活ができるから、生まれたふるさとから離れないで欲しい」というものだが、大都市に大学や専門教育機関が集中し、大きな企業もあるので、高卒後の若者がそちらに流れてしまう歯止めにはなっていない。

結局、大都市部への人口集中は相変わらず続く。

その限界値というようなものがあるのかと言えば、自由主義社会では想定できない。ひとりひとりの自己判断、自己責任に任せるしかない。

それを待っていたのでは遅すぎる。究極の対策は首都分散だろう。

東京への一極集中が地方自治体消滅すなわち「超過疎化」の最大の原因と考える必要があり、地方から学びに出てきた若者たちの自己判断に任せている現状は生ぬるい。

東京へのこれ以上の集中は首都直下型地震や相模湾トラフ、東南海トラフ由来の大規模な震災に対してあまりにも危険である。特に地方から上京して来た若者たちはまさに「飛んで火に入る夏の虫」の如くなってしまう。

東京から各省庁や大企業の本社機能を、地質的に安全な地方へ移転すべきだろう。文化庁の京都移転くらいでは話にならない。

岸田内閣はアメリカの極東防衛策に乗っかり、組閣早々「5年間で43兆円の予算を付ける」と宣言したが、そんな金があればまず「身の安全」を先行させた方がよい。

日本の「防災田園国家」化のために、首都分散を最優先にする時に来ている。アメリカに対しても、日本が首都圏を中心に壊滅的な被害が出たら極東防衛もクソもないぞと言ってやればよい。



「産まず女」でなくてよかった!

2024-05-20 19:25:00 | 日本の時事風景
上川陽子外務大臣があの舌禍事案で辞任した前静岡県知事の川勝平太氏の後任の知事を選ぶ選挙で擁立された自民党推薦の候補の「押し」の会合で、

「産まずして何の女性でしょうか!」

――という発言をしたことで話題になっている。

川勝氏の舌禍事案は静岡県職員の任用式典での発言、

「あなたたちは牛にエサをやったり、畑で野菜を作ったりする人たちとは違う(エリートだ)から・・・」というはなむけの言葉がやり玉に挙げられた。

これはあきらかに職業差別につながり、下手をすると人間そのものへの差別につながる由々しき発言であり、川勝知事の個性とはいえ人権という観点からも容認することは不可能だ。

マスコミで問題発言として取り上げられたその結果、川勝氏はさっさと知事を辞めた。そのことは好意的に受け止められた。

で、その後任を選ぶ選挙が始まるのだが、自民党推薦の候補として某氏が立つということで静岡県のおそらく女性団体の集会で上川外務大臣が支持への発破をかけようとしてあのような発言をしたらしい。

自身もかつて自民党推薦で衆議院議員候補として擁立された際に、女性団体の大きな支持を受けたようで、今度の知事候補にもおなじような絶大な支持をお願いしたいという思惑があっての発言だったようだ。

「産まずして何の女性でしょうか!」

とは文字通り解釈すれば、――女性は子どもを産む性であり、産まないのは女性であることを放棄しているのではないか――という女性性の科学的な存在理由にかこつけての叱咤激励と受け止められる。

「この人は絶対当選させてくださいね!いいですか、絶対にですよ!」

とでも直截に言えば問題は無かったのだろうが、かの発言は上川陽子氏の「持論」だったのかもしれない。

今日びは「性の多様性」という屁理屈がまかり通っているが、そもそも性には「男性」と「女性」しかないのが科学的見解である。

これを「有性生殖の原理」というのだが、地球上ではすでに数億年前からこの形態が採用されており、日本の神話ではイザナギ・イザナミの時代からということになっている。

「性の多様性を認めよ」と言う本人からして、有性生殖の結果産まれているのだから何をか言わんやだろう。

女性同士、男性同士が結婚しても有性生殖の観点、つまり科学的原理からすれば、絶対に子どもは生まれない。

こういう人たちは「友達同士の同居」または戸籍に載せない結婚すなわち「内縁の関係」で十分ではないか。

「産まずして何の女性でしょうか!」

という選挙応援演説のワンフレーズは、女性の口から出されたからまだよかった。もしこれが男性の口から「産まず女」などと言う言葉が出たら舌禍事件になっていたに違いない。

何にしても正論(科学的理論)の通らない訳のわからない時代になったものだ。



女性天皇へのハードルは低い

2024-04-29 10:33:49 | 日本の時事風景

先頃、共同通信社が皇室に関する世論調査を行った(3000人規模で回答率は約67%)が、皇室があった方が良い人の割合は88%、そのうち「女性天皇」については実に90パーセントが「賛成、またはどちらかと言えば賛成」だったそうである。

女性天皇への人気は高く、とくに今度大学を卒業され、日本赤十字社に就職された愛子さまを念頭に置いてアンケートに賛成と答えた人は多いだろう。

保守層は男系男性天皇を絶対に譲らないのだが、アンケートの回答にもあったように日本にはかつて女性天皇が実際に存在した。

魏志倭人伝に載る倭国の女王卑弥呼は別にして、また捉え方にもよるが神功皇后も除外して記紀の記載によると、第33代の推古天皇以下、第117代の後桜町天皇まで代にして10代、人数にして8名の女帝がいた。

このうち最後の後桜町天皇とその前の第109代明正天皇は徳川政権時代だが、あとの8代6名の女帝は飛鳥時代と奈良時代に集中している。

第33代の推古天皇は母が蘇我氏の出身で、西暦593年から628年まで35年間の在位期間と格別に長く、その後は皇極・斉明(皇極の重祚)・持統・元明・元正・孝謙・称徳(孝謙の重祚)と7代(5名)が続く。

推古天皇の2代あとに立った第35代皇極天皇以下、飛鳥奈良時代の女帝最後の第48代称徳天皇は770年に亡くなっているから、西暦593年から770年までの177年間は、16代の天皇のうち8代が女性天皇であり、その統治期間の合計は約半分の87年にもなっている。

以上のように飛鳥奈良時代の女帝群は、代数もその在位期間もほぼ半分を占めており、当時の男性天皇と互角と言ってよい。

とは言ってもどの女性天皇も父が天皇か天皇位に就ける皇族であり、わが夫天皇の死により次代の男子つまり皇太子が幼かったり、早死にしたりしたために中継ぎで即位しており、基本的には男系男子の天皇が立つのを前提としていた。

したがって男系男子が絶えないまでも先細りになってきた場合、女性天皇が即位することは理に適っていると言える。

ただ、女性天皇が一般男子と結婚した場合にその皇子が皇太子となり、やがて皇位を継ぐとなるとハードルは一気に高くなる。

戦後廃止された旧宮家(男系男子家)を復活させ、その中からしかるべき男子を女性天皇の配偶者としたら女性天皇への道のハードルとともに、その間に皇子として生まれた次代の男性天皇へのハードルも低くなると思われる。

いずれにしても、若い世代が天皇制度を受け入れる姿勢が強いという今度のアンケート結果には好感が持てた。