鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

眞子さんと「さーや」

2021-11-02 22:45:00 | 日本の時事風景
秋篠宮眞子さまは10月26日に小室家に籍を入れ、小室眞子となった。

戦後、皇室(宮家)から一般人と結婚して皇籍を離れた女性は7名いるが、そのほとんどは皇室出身の女性にふさわしい地位も収入も安定した男性を選んでいる。

最も新しく7番目に皇室を離れた眞子さんは、まったく前例のない道を自ら選んだ。

4年前に婚約会見をしてから、小室母の金銭問題が発覚して実質上婚約破棄(結婚は延期)となり、その後、小室圭氏はまるで世間のバッシングを避けるようにニューヨークに移り、フォーダム・ロー・スクールに入学した。

このニューヨーク行きが実は眞子さんの差し金だったらしいことが、今度の結婚会見の席で、眞子さんの口から出たのは驚きだった。

日本の弁護士事務所が後押ししたらしいことは分かっているが、宮内庁が黙認した形跡があるという。これも驚きだが、圭氏がニューヨークに渡った時点では曲がりなりにも「プリンセス眞子のフィアンセ」だったことは間違いないから、宮内庁も渋々認めたのだろう。

やがてアメリカへ新居を構えるということは、「駆け落ち的な高跳び」とも言え、日本に居ては数知れぬバッシングの対象になるから、それを避けたい眞子さんの意向とも言える。

日本の皇室始まって以来の椿事である。

眞子さんもおそらくそのことは分かっているのだろうが、小室氏への愛の前に盲目になってしまったに違いない。

インターナショナルスクールに入れていたということと、数ある日本の大学の中で最も「バタ臭く、英語重視」の国際基督教大学に入ったのも、英語を身に着けて将来設計を立てたいという小室家の教育方針だった。

そして、これまた英語くらい話せなければという秋篠宮家の教育方針とが、「運悪く」一致した結果の二人の結びつきが、結婚にまで至った経緯ではないかと思う。

要するに双方の思惑(教育方針)が一致した挙句の、偶然というよりかなり必然的な二人の邂逅だったのだ。

もうここまで来た以上「運を天に任せる」しかないように思われる。


その一方で、皇室から離れた「さーや」こと紀宮清子(さやこ)内親王の結婚は、堅実この上ない結婚であった。

相手は兄の秋篠宮様の学友であった黒田慶樹(よしき)氏で、東京都の職員だった(もちろん今でも職員で、課長クラスではないか)。

あいにくお子さんには恵まれなかったようだが、その代わり、と言っては何だが、2017年から伊勢神宮の祭主(斎主)役を務めておられる。

昭和天皇の皇女で上皇様の姉に当たる池田厚子さんがこれまで務めていたのだが、90歳近くの高齢となり、清子さんが後継されることになった。

伊勢神宮には言わずと知れた天照大神が祭られているが、その淵源は第11代垂仁天皇時代の祭主ヤマトヒメにある。ヤマトヒメが天照大神を奉祭するにふさわしい場所を求めた挙句、現在の伊勢神宮の地に鎮めた。およそ1700年前のことである。

だが、初めて天照大神を祭ったのはヤマトヒメではなかった。記録上最初の祭主はトヨスキイリヒメといい、第10代崇神天皇の皇女だったとされている。

私はこのトヨスキイリヒメは崇神天皇の皇女ではなく、「豊(トヨ)の城(スキ)に入ったヒメ」と解釈し、豊前の宇佐神宮に祭られているヒメオオカミのことで、実は邪馬台国女王ヒミコの後継となったトヨ(台与)ではないかと思っている。

(※西暦270年から280年の頃、八女にあった邪馬台国が南の狗奴国の侵攻により併呑され、トヨは九州山地を越えて豊前に逃れた。宇佐神宮のヒメノカミとはトヨのことで、トヨはそこで擁立されてトヨ王権を築いた。そのために彼の地が「豊(トヨ)国」になったと考えている。その後、崇神王建に招聘されて天照大神の祭主となったのだろう。)

ヒミコが大巫女なら、わずか13歳でヒミコの後を継いだトヨも大巫女で、最高神である天照大神を祭る重責に耐えることができたのではないかと考えるのである。

清子(さやこ)さんにそんな霊能力を求めるつもりはないが、皇孫に当たる皇族である以上は先祖である天照大神に仕えるのは自然と言える。

皇室を離れアメリカにわたってしまう眞子さんにも、多かれ少なかれそのような意識「日本人として矜持と伝統」を心の片隅に持ち続けて欲しいものだ。

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3 コメント

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大隅半島の風習について (お邪魔いたします)
2021-11-03 02:12:22
突然のご連絡をお許しください。わたくしは本州在住でして、大隅半島へは残念ながら参ったことはございません。
けれども、実は、数年前に友人から聞いた話がどうしても忘れられなくて、おりにふれインターネットで検索しておったところですが、いよいよこちらの鴨つく島様のブログへたどりついた次第です。
その話の内容と言いますのが、友人曰く「私の実家の大隅半島では鏡が大変に恐れられていて、三面鏡の両側二枚は鏡を取ってしまっている(合わせ鏡にならないように)家族が亡くなれば鏡を割る。普段は鏡を見ないように生活している。小さいときは一人で鏡はみちゃ駄目だと言われる(とくに長子は)。弟は初めてできた男の子だもので、鏡に触るなと言われて育った。鏡屋さんは磨いてない鏡置いてますみたいな張り紙をみた…」など。大変に興味深く、お腹の底がわくわくするようでした。さらに聞けば、その田舎には珍しい古墳があって(鹿児島で古墳は珍しくて)石室には、わざと割られた銅鏡や土器で作られた鏡が埋葬してあると社会科見学で習ったそうです。
風習、伝承ということになるのでしょうか、わたくしは詳しくないのですけれども、古代文明にもお詳しいとのことで、お力をお借りできればと図々しくお邪魔いたしました。
このような「大隅半島での鏡への畏怖」に関する書物や伝承、物語などほかにもご存じでしたらどうぞどうぞ教えてやってください。
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鏡に関すること (kamodokushima)
2021-11-19 10:33:46
古代以前から鏡・剣・玉はいわゆる三種の神器といわれ、特に鏡はアマテラスオオカミの御霊を写してあるから最も大切な神器だった(宝鏡の霊示)からでしょう。
 鹿児島は神道の伝統的な行事の多い所で、そういった伝承が今でも色濃く残っているようです。
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 (ありがとうございます)
2021-11-20 21:50:35
なるほど神道…!その角度で見たことはありませんでした
神道をキーワードにまた調べてみます
ありがとうございました。
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