鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

鹿児島の老舗「山形屋」の再建

2024-05-28 20:35:03 | 日記
県都鹿児島市にある老舗デパート「山形屋」に経営危機が迫ったというニュースが半月前に流れたが、昨日、再建のための負債整理と再建計画に、債権を持つ17の銀行群が賛成したという。

これによりどうやら会社更生法の適用は無くなり、営業を継続しながら負債を減らしていくことになったらしい。

多くの鹿児島市民は喜んでいたようだ。

何しろ山形屋と言えば、そのネームバリューは半端なく、大方の県民には「在って当たり前」のデパートだったからだ。

創業は驚くほど古い。宝暦(ほうりゃく)元年というから江戸時代の中頃、西暦で言えば1751年。

時の薩摩藩主島津重豪が山形(庄内)出身の呉服商岩元氏に官許を与えて薩摩に呼んだのが始まりだというから、今年で創業273年になるという超老舗である。

庄内はのちの山形県だが、そっちの山形は「やまがた」と読み、デパートの山形屋の方は「やまかたや」と呼んで、「か」が濁らない。

東北の山形からやって来たのだから「やまがたや」でいいと思うのだが、「が」と濁るのを嫌うジンクス(縁起かつぎ)のような物があったのかもしれない。

もっとも鹿児島県人が「が」と言うと強勢の「がっ」に近く、鼻に抜ける「nが」ではないので、余計に「やまがたや」と濁って欲しくない心理が働いた可能性がある。これはあくまでもあて推量に過ぎないが・・・。

創業の宝暦年間と言えば、鹿児島では一大事件が起きている。

「宝暦の治水」と言う名の幕府への「お手伝い普請」が行われたのが、宝暦4年から5年にかけてのことである。

お手伝い普請」とは徳川幕府が諸大名に課した主として土木工事のことで、命ぜられたら断るすべはなかった。断ったら幕府への反逆と看做されたからだ。

幕府は戦国期の政敵であった外様大名が財(勢力)を蓄えることを嫌っており、特に琉球交易を通じて裕福と見た薩摩藩には大きな工事(難工事)を割り当て財力を削ごうとした。

薩摩藩に幕命が下ったのは宝暦3年、木曽川・長良川・揖斐川いわゆる木曽川三川の分流工事であった。

翌宝暦4年の2月から藩士たち総勢1000名と言われる大工事に取り掛かったのだが、慣れない土木工事に従事した藩士たちは、ただでさえ武士の自尊心が萎えている上に、幕府役人や地元の人間の横柄な態度にしびれを切らし自決する者が相次いだ。

自決者と病死者あわせて83名というのもさりながら、宝暦5年の5月に完成するまでに費やした薩摩藩自腹の費用は当初予算の約5倍に膨れ上がり、これらの責任を取って総奉行の平田靱負は5月25日に割腹自殺を遂げたのであった。

当時の土木技術として最善を尽くして完成した木曽川三川分流工事は明治になってさらに西洋の技術により補強された。

その結果今日まで有名な輪中集落への洪水は大幅に軽減され、土手に植えられた日向松の美しい並木とともに地元市民の感謝の念は尽きることがない。

つい先日、木曽川治水工事270年記念交流のために鹿児島を訪れた岐阜県の「薩摩義士顕彰会」のメンバーである海津市の団体が、鹿児島市内にある平田靱負の旧居「平田公園」で開催された平田靱負顕彰式典に参加した映像がニュースで流れた。

「義士」とは自分の困難を顧みず、また自己への利益を顧みない行為によって他者の困難を軽減させようとする崇高な働きをする者たちの総称である。

同じ江戸時代の宝暦年間の出来事だが、一方は今日につながる山形屋デパートの創業、一方は他国に出かけての義士としてのハタラキ。

山形屋の創業者岩元翁は庄内(山形)から鹿児島へ。義士たちは鹿児島から岐阜へ。両者が当時の鹿児島で相交わることがあったとしたら面白い。




孫の運動会(2024.05.26 )

2024-05-26 15:18:40 | おおすみの風景
今日は孫の2人が通っている地元の大姶良小学校の運動会だった。

3年生の姉と今年入学した1年生の弟が出場するというので、9時前に小学校に着いたが、ひじ掛け有りの携帯用の椅子と小さな折り畳み椅子の両方を持って行ったので、校庭の反対側にある町内会の名の入ったテントまで行くのにちょっとした運動になった。

テントの下には多くのシートが敷かれていたので、椅子は要らなかったのだが、ここ4か月ばかり痛めている右ひざが正座は無論のこと胡坐さえかくことを拒んでいるのでシートに座るわけには行かず、肘掛式椅子の持参となった。

これは正解で、応援するのに何の不都合もなかった。

運動会と言えばかけっこだ。何は無くてもかけっこだけは全学年でやって欲しい種目である。
小学校の段階では子供によって体格差がとても大きく、種目によっては体格差がそのまま出てしまうものがあるが、ことかけっこに関してはむしろ小さい方が足の回転(ピッチ)が早いため、大きな生徒を圧倒することがある。

これが醍醐味で、応援する方も小兵の生徒を応援したくなるものだ。

ところで最近の運動会ではあの「天国と地獄」という曲が掛かっていない。隣近所への「騒音公害」を避けるためなのだろうか?

「騒音だ!うるさい!」という学校に近い住宅のクレームが気になるからだろうか。それでも応援合戦の太鼓の音やかけっこやリレーの際の「よーい、ドン」というピストルの爆裂は許されている。

たしかにののべつ幕無しの「天国と地獄」は当事者には良いが、部外者には騒音ととられるかもしれない。

その一方で競技に多く取り入れられているのが音楽のかかる「ダンス」の種目だ。

1年生から6年生まで満遍なく集団のダンス種目が見られる。我々はおろか息子や娘の世代でもなかったことである。

教科にもダンスがあるのだから、これはこれでいいのかもしれない。何にしても楽しそうだ。


大荒れの5月場所(2024.05.24)

2024-05-24 19:24:41 | 日記
先場所の大阪場所は「荒れる大阪場所」と昔から言われて来た。

事実、入幕1場所目の尊富士が優勝と3賞を総なめするという快挙を成し遂げた。

残念ながら尊富士、今場所は先場所の14日目に痛めた足首の治療のため全休になったが、この優勝直後の全休というのも極めて珍しいことだ。

その尊富士の全休を含めて、この5月場所も大波乱の展開である。何しろ12日が終わって2敗力士がいなくなり、3敗に4人、4敗に7人。

こうなるとどの力士が優勝するかが星取表からは全く分からなくなった。優勝成績が11勝4敗何てこともありである。面白いと言えば、とても面白い場所だ。

今日13日目の取組後には、3敗が二人(琴桜と大の里)、4敗力士が三人(豊昇龍、阿炎、大栄翔)の5人に絞られた。

千秋楽まで残すところ2日なら3人程度に絞られるのが普通だから、5人でも多いくらいだ。

モンゴル出身の横綱・照ノ富士と大関・霧島と貴景勝の上位陣3人が早い段階で休場してしまったのが混線に輪を掛けたに違いない。

このうち照ノ富士と霧島はモンゴル出身で、星取表を見るといつもモンゴル出身者が上位を占めているのが気になっていた、というよりも日本人力士の不甲斐なさが目に付いて仕方がなかった。

しかし先場所の尊富士にしろ今場所の大の里にしろ、日本人力士の新たな勢力が浮上して来た。大袈裟な言い方かもしれないが、ようやくモンゴル勢に一矢報いることができるかと期待感は大きい。

ところで星取表を見るといつも「まさよ」と読んでしまう日本人力士が元大関の「正代(しょうだい)」だ。

本名のようだが、珍しい姓である。

もっとも幕下には「生田目(なまため)」なる本名の力士がいるから、それには多分敵うまい。

普通、十両以上の関取になると「四股名」に変わるものだが、正代は大関になっても本名のままだった。

だが上には上がいる。横綱になった「輪島」である。けっして重量級ではなかったが、相撲巧者で、がっぷり組んで闘うタイプだった。あの時代はまだ大相撲は四つに組んで何ぼの時代だったのが懐かしい。

十両に陥落してしまったが、元関脇「遠藤」も関取らしい四股名に改名していない。遠藤という余りにもアマチュアっぽい名をいつかはそれなりの四股名に変えるのだろうと思っていたのだが、ついに変えることはなかった。

本名のままの力士はまだ思い出せる。出島、板井などが思い出される。板井は「痛い!」を連想させられるので、変えて欲しかったのだが、この人もそうしなかった 。

上の星取表で正代の4枚上に元関脇「明生(めいせい)」がいる。この人は鹿児島県の奄美大島の出身だが、この四股名、実は本名は本名でも名前である。

姓は「川畑」で、奄美には一文字姓が多いのだが、二文字姓では川畑はポピュラーな方である。

大相撲で本名の名の方を四股名にしたケースが他にあるのかどうかは知らないが、稀だろう。野球の「イチロー」に倣ったのだろうか(😎 )。



奇妙な一致

2024-05-22 09:55:48 | 災害
約一か月前の4月20日に太平洋上で訓練をしていた海上自衛隊のヘリコプター2機が衝突事故を起こし、2機とも海中深く沈んだが、双方にはそれぞれ4名が搭乗していたという。

そのうちの一人が見つかったが既に死亡しており、残る7人の生存は絶望的で、いまだに行方不明だそうだ。

ヘリコプター同士の衝突というのは珍しいが、夜間訓練だったことに加えてそれぞれが別の母艦から飛び立っているので2機が受ける電波の混線があったのではないかと取り沙汰されている。

フライトレコーダーを回収すればそのあたりの無線傍受に関するそれぞれの母艦との応答の内容が確認されるのだろうが、何しろ現場の海域の深さが5000mはあるというから、回収は不可能に近く、真相究明ははるか先だろう。

どちらかの機体の不具合という可能性も捨てきれないが、結局のところ海上自衛隊員の8名が殉職したという事実のみが確実ということだ。

ところで、この事故を聴いた時に思い出したのは去年の11月に屋久島沖で墜落した米軍のオスプレイの事故だった。その時の殉職者数もまた8名だったのだ。

あのオスプレイは何かの不具合を感じて屋久島空港に緊急着陸しようとしたがそれがかなわず、海中に墜落したのだった。

実はその事故を聴いた時に、同じ去年(23年)の4月に陸上自衛隊の東部方面隊所属のヘリコプターが、宮古島沖で管制塔のレーダーから消えて間もなく墜落した事故を思い出していた。

そのヘリコプターに乗っていたのは、当時の師団長と宮古島守備隊隊長という高官を含む10名であったが、坂本師団長は就任して間もなくの初めての偵察飛行の最中だったので驚きは大きかった。

国は違うが、イランの現職大統領一行を乗せたヘリコプターが、イラン西方にある東アゼルバイジャン州内の新たに建設されたダムの完成式典に臨んだ帰りに墜落したという。

その墜落したヘリコプターにはライシ大統領を含む8名が乗っており、全員の死亡が確認されたというのだが、このヘリコプター事故でもやはり8名が死亡している。

とすると去年4月の陸自機が10名だったことを除けば、この1年足らずの間にヘリコプター事故(オスプレイ機を含む)で死亡した人数が、判で押したように8名なのである。

ヘリコプターの搭乗定員が4名、6名、8名、10名というように偶数であることがこれらの奇妙な一致の真因だろうが、それにしてもオスプレイ機を含むヘリコプターの事故が多発してはいまいか。

イラン機の事故の場合、式典から帰る際に3機のヘリコプターが飛び立っており、そのうちのライシ大統領機を乗せた1機だけが墜落したという。

そのことで敵対するイスラエル軍の仕業ではないかという噂もあるようだ。

当時の天候がひどかったことと、旧型のヘリコプターだったため修理部品の劣化が避けられなかったためという解釈もあるのだが、場所が場所、時期が時期だけに憶測を呼んでいる。



「産まず女」でなくてよかった!

2024-05-20 19:25:00 | 日本の時事風景
上川陽子外務大臣があの舌禍事案で辞任した前静岡県知事の川勝平太氏の後任の知事を選ぶ選挙で擁立された自民党推薦の候補の「押し」の会合で、

「産まずして何の女性でしょうか!」

――という発言をしたことで話題になっている。

川勝氏の舌禍事案は静岡県職員の任用式典での発言、

「あなたたちは牛にエサをやったり、畑で野菜を作ったりする人たちとは違う(エリートだ)から・・・」というはなむけの言葉がやり玉に挙げられた。

これはあきらかに職業差別につながり、下手をすると人間そのものへの差別につながる由々しき発言であり、川勝知事の個性とはいえ人権という観点からも容認することは不可能だ。

マスコミで問題発言として取り上げられたその結果、川勝氏はさっさと知事を辞めた。そのことは好意的に受け止められた。

で、その後任を選ぶ選挙が始まるのだが、自民党推薦の候補として某氏が立つということで静岡県のおそらく女性団体の集会で上川外務大臣が支持への発破をかけようとしてあのような発言をしたらしい。

自身もかつて自民党推薦で衆議院議員候補として擁立された際に、女性団体の大きな支持を受けたようで、今度の知事候補にもおなじような絶大な支持をお願いしたいという思惑があっての発言だったようだ。

「産まずして何の女性でしょうか!」

とは文字通り解釈すれば、――女性は子どもを産む性であり、産まないのは女性であることを放棄しているのではないか――という女性性の科学的な存在理由にかこつけての叱咤激励と受け止められる。

「この人は絶対当選させてくださいね!いいですか、絶対にですよ!」

とでも直截に言えば問題は無かったのだろうが、かの発言は上川陽子氏の「持論」だったのかもしれない。

今日びは「性の多様性」という屁理屈がまかり通っているが、そもそも性には「男性」と「女性」しかないのが科学的見解である。

これを「有性生殖の原理」というのだが、地球上ではすでに数億年前からこの形態が採用されており、日本の神話ではイザナギ・イザナミの時代からということになっている。

「性の多様性を認めよ」と言う本人からして、有性生殖の結果産まれているのだから何をか言わんやだろう。

女性同士、男性同士が結婚しても有性生殖の観点、つまり科学的原理からすれば、絶対に子どもは生まれない。

こういう人たちは「友達同士の同居」または戸籍に載せない結婚すなわち「内縁の関係」で十分ではないか。

「産まずして何の女性でしょうか!」

という選挙応援演説のワンフレーズは、女性の口から出されたからまだよかった。もしこれが男性の口から「産まず女」などと言う言葉が出たら舌禍事件になっていたに違いない。

何にしても正論(科学的理論)の通らない訳のわからない時代になったものだ。