鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

ついにやったか厚労省!

2021-03-31 09:28:38 | 日本の時事風景
厚生労働省の職員23名が銀座で送別会を催し、深夜近くまで飲み食いしていたことが「ばれた」。

銀座と言えば東京のど真ん中、小池都知事の感染対策の範疇だ。小池都知事は1都3県に出されていた緊急事態宣言解除後にもリバウンドを起こさないように「会食は4人までにして」などと言っていたが、これには開いた口が塞がらないだろう。

緊急事態宣言中には自民党の国会議員が接待付きの会食をしていて呆れられたばかりだ。

そもそもがあの菅首相の「ステーキハウス会食事案」以降、綱紀がゆるゆるになってしまったようだ。

「国会議員と知識人や後援者との懇親は付き物だ」というのが会食事案に対する政治家の言い訳だが、時期が時期ではないか。

政府をあずかる与党とそれを支える官僚たちは、よほど襟を正さなければなるまい。

今度の会食はこの時期に多い送別会だそうだが、厚生労働省と言えば、新型コロナ感染対策にもっともかかわりの深い部署である。そうであれば、「時期が時期だ」に加えて「あんたたち当事者がどうして?」と非難されても仕方がない。

厚労省でもこの人たちが属しているのは「老健局老人保健課」だそうだ。たしかに医療・薬事課などという直接医療機関にかかわる部門ではないが、それは申し開きにはならない。国民から見れば同じ厚労省だ。

田村厚労大臣が二か月の給料返上、主導した老人保健課の課長が課外更迭という処分で一応一件落着した。

しかしこの課の名称が「老人保健課」なのが、引っ掛かる。今どき「老人」なる言葉が正式に使われているなんて驚くばかりだ。どうして「高齢者保健課」ではないのか、首をかしげる。

「婦人」が「女性」になったように、「老人」はすべて「高齢者」に名称替えしたと思っていたのだが・・・。

あ、もしかして、彼ら「老人保健課」の職員は、高齢者よりよぼよぼしたイメージのある老人を扱っているがゆえに、医療関係者とともにいち早く全員がワクチンを打ってたりして・・・。

エイプリルフールは明日だが、あれだけ長時間飲み食いして誰も感染しなければ有り得ない話ではない!?

満開の桜の下で

2021-03-29 19:50:20 | おおすみの風景
今日は朝少し寒かったが、日中は春爛漫を思わせる晴天となった。

娘の孫たち三人を預かって欲しいと連絡があり、昼過ぎに吾平町と肝付町にまたがる大隅広域公園に連れて行った。我が家から東南に約10キロにある県立公園だ。

広い公園の所々に桜の植樹があり、月曜日ながらそこここにシートを広げて「花見」の家族連れがいた。

大きな桜の木の下の芝生にシートを敷いて、昼食を摂る。

三人の孫(長女・長男・次女)のうち次女はまだ2歳を過ぎたばかりだが、食べ盛りである。

姉と兄が食事を早々に済ませてシートから離れ、桜の木に向かって帽子を投げる遊びを始めても、食欲は止まず、シートを敷いた時の場所に座ったまま食べるは食べるは、姉たちの2倍はおなかに収めた感じだ。


その食欲の理由が分かったのは、食事後に数々の遊具のある「恐竜の谷間」と名付けられた所に行った時だ。

姉や兄が勇んで遊具に駆け寄ると、同じように駆けていくのだ。もちろん爺々としては転んだりしたら危ないので手をつなぐのだが、その手を振り切ろうとすること度々で、付いて行くのがやっとである。

考えてみれば、それは、毎日、姉や兄の中でもまれながら姉兄を真似て同じことをしようとする「努力」の賜物だろう。

アスリートの「伝説」に、三人兄弟のうち「末弟が一番活躍する」というのがあるが、それはその通りだろう。やはり兄たちにもまれながら成長して行く過程が彼にとっては訓練そのものなのだ。

長男は道を拓き、次男が耕し、三男が収穫する――という図式である。

今どき、三人兄弟(三人姉妹)は少なくなったが、人間成長の一面の真理は伝えているように思う。


聖火リレーが始まる

2021-03-26 14:05:25 | 日本の時事風景
今日はこれまでで一番の上天気。快晴で風もなく、日中は屋外で20℃を超えた。

日向で小一時間の庭仕事をしたが、汗ばんだ。まだ股引を履いているせいに違いない。今日でおさらばとしよう。

庭の東側に植えてある吉野桜が満開を迎えた。といっても植えてまだ5年目くらいで、丈は伸びたが花数は少なく見応えはない。

数えたら数えられそうなくらいの花数だが、青空に映えてそれなりに春を演出してくれている。

嬉しいのが、庭仕事の最中にくしゃみや鼻の中のヒリヒリ感が全くなかったことだ。3,4日前まではこんな良い天気の時に庭に出たら、たとえマスクを着けていたにしても、くしゃみかヒリヒリ感に襲われたものである。

よく言われるのが「桜(ソメイヨシノ)が満開になった頃、スギ花粉症が終わる」であるが、全くその通り。吉野桜とソメイヨシノとではどちらが満開を迎えるのが早いのかは知らないが、吉野桜でもそれは言えるようだ。

どっちにしてもスギ花粉症が終われば御の字だ。

ところで今日3月26日は、ちょうど一年前、鹿児島で新型コロナ感染者第一号が出た日である。このあと、4月になって鹿児島市内で高校生(新一年生)の感染が確認され、ちょっと県内が慌ただしくなった。

しかし幸い、この一年生の入学先の高校が進んでメディアに公表し、生徒の隔離と校内の消毒等を徹底したことを発表したため、疑心暗鬼のうわさが飛び交うのが最小限に抑えられたという経緯がある。

その後、鹿児島県内の感染者は全国的にも最低レベルで経過したのだが、緊急事態宣言後の自粛緩和の流れの中で、特に6月19日に他県への往来制限撤廃を告げられたのが大きな感染につながった。クラスタ―の発生である。

某ショーパブにおける100名を超えるクラスタ―感染には驚かされたものだ。その客の中に大隅地方出身者がいて、3名ばかりが感染して帰って来たのであった。それまで大隅地方は岩手県、島根県、鳥取県と並んで「無感染地帯」だったのだが、ついに記録は破られた。

その後は大隅の中核都市鹿屋市でもぼつぼつ感染者が現れ、特に11月から12月にかけて二つのクラスタ―で60名くらいになり、今日現在では鹿屋市の累計は131名、大隅地区全体では約280名である。県全体では1778名と今朝の新聞にあったから、それぞれほぼ居住人口比に準じた数と言える。


さて、昨日は聖火リレーの開始式が行われ、第一陣が福島のサッカー場を出発した。開始式に「東京オリンピックをコロナ禍勝利の大会にする」と度々声明を出していた菅総理が出席しなかったのは意外だった。

安倍前首相の時に「福島の復興を世界中に見てもらう大会」として誘致した東京大会ではあるが、津波に襲われた地域はともかく、原発事故を蒙った地域の復興が遅々として進まない現状では、そう振り替え(すり替え)て言う他ないのだろう。

コロナ禍がまだ蔓延している状況で、国民の半数以上、7割くらいが「東京オリンピックの再延期または中止」と考えている中での聖火リレーの開始は、メディアの取り上げ方もかなり地味なものになってしまった。致し方あるまい。

今月の21日で一都三県の緊急事態宣言が解除になったのは、この聖火リレーの開始とその向こうにある東京オリンピック開会が念頭にあってのことだったと思うが、私としては2週間早かったのではないかと思っている。

もう2週間、むしろ徹底的に飲み会なり宴会なりを取り締まりつつ、リレーを行うべきだったろう。見切り発車の感は否めない。

芸能人などの参加辞退者が相次いだが、それでも120日間にわたり総動員1万人という大量のリレー走者の日程はきっちり決まっており、3月25日の出発は譲れなかったのだろう。

鹿児島県内の聖火リレーは4月27、8日だそうだが、それまでに一都三県ばかりでなく他の人口稠密地域で爆発的な感染が頻発し、リレーの続行は困難を極めるに違いない。

もしそんな事態になったら、当該地域はスルーして(素っ飛ばして)車で聖火を運ぶなんてこともありそうだ。何とも締らないオリンピックになろう。

この際、本当に確実なオリンピックの開催を考えるのであれば、さらに1年の延期が現実的だ。政府は「年内には全国民にワクチンが普及する」と言っている。しかし逆に言うと、「今年の7月24日の開会式の時点では、全国民にワクチンが回っていない」ということだ。

そうなるとすでに海外からの観客を迎え入れないことに加え、ワクチン未接種の日本国民が多数いる状態で開会を迎えることになり、国民の観戦すらままならないことになりはしないだろうか。

「福島の復興云々」のスローガンは無理にしても、「コロナ禍に勝利した大会」というスローガンを無駄にしたくないのであれば、もう一年の延期が順当だと思う。

IOCにはアメリカメディアからの巨額な放映権料収入がまた先延ばしになるが、その前に北京冬季オリンピックがあるので、何とかその収入で凌げるだろう。チャイナマネーはいったいどれくらいなのだろうか?

鹿児島の災害想定

2021-03-24 10:46:53 | 災害
一昨日の新聞だったか、一面にカラーの地図が載っていたので何かとよく見ると、「鹿児島県内で想定される地震と海底噴火」というタイトルの記事だった。

地図上にはその地震又は噴火が起きるであろうポイントが、数字で①から⑫まで付されており、鹿児島の地震噴火災害の多いことが手に取るように分かる。

12か所のうち噴火災害は桜島の海底噴火のみ挙げられている。噴火災害で一番心配なのは薩摩硫黄島を含む「鬼界海底カルデラ噴火」なのだが、これがもし起きたら被害の大きさはけた違いで、悪くすれば南九州の半分は壊滅に瀕するため「想定すらできない」「避難しようにも、どうしようもない」ということで外したのだろう。

さてその桜島の海底噴火だが、これが起きると噴火してからわずか4分で鹿児島市に津波が押し寄せ、想定の高さは6.6mだそうである。この高さだと、周辺の高台にある住宅地以外の市街地はすべて呑み込まれることになる。何の前触れもなく突然噴火したら、人的被害は莫大だ。

また、これは鹿児島湾内の噴火であるから、湾に面した他の町、垂水・鹿屋・霧島・姶良の各市も当然津波の被害を受けるはずで、鹿児島市街地ほどではないにしても鹿児島湾に面した標高の低い生活地のほとんどは水没するだろう。

この桜島海底火山の噴火もだが、今現在活発に噴火している桜島南岳からの火砕流を伴うマグマ噴火の方がより現実的ではないか。大正4年1月12日の大噴火では溶岩流出や火砕流で亡くなった人より、逃れる船から投げ出されたり地震で亡くなった人の方が多い(※全体で58名)。すでにその時に流れ出たマグマの90パーセントまで地底では供給が進んでいるそうである。

しかし何といっても広範囲に津波災害をもたらすのは南海トラフ(海溝型)地震だろう。事実この記事に掲げられた41市町村の45パーセントが南海トラフ地震由来の津波を被りそうだ。種子島・屋久島ではその高さ10mを超え、その他でも平均したら6mほどの津波を受けそうである。海岸地帯の被害は甚大だ。

意外だったのが、種子島近海からフィリピン海溝に向かって連続しているトラフ(海溝型)地震である。⑧の種子島東方沖地震から⑨トカラ列島沖地震、⑩奄美群島北部沖地震、⑪奄美群島南部沖地震まで、島々の東側の太平洋を斜め一直線にきれいに並んでいる。しかもその地震のエネルギーはマグニチュード8.2と判で押したように同じ大きさで、それもかなりのエネルギーを持っている。

鹿児島ではこれら12か所の地震災害発生想定ポイントのうち、上で触れたように、大正の桜島大噴火由来の災害だけが大きな被害をもたらしたに過ぎないのだが、桜島再噴火や南海トラフ地震による災害は、もういつ起きてもおかしくないそうであるから、心の中では常に準備をしておいた方がよい。

せめて南海トラフ地震と桜島の大噴火が連動しないことを願うばかりだ。

邪馬台国問題 第9回(「史話の会」3月例会)

2021-03-22 10:59:45 | 邪馬台国関連
3月21日(日)の午後、史話の会の3月の例会を開催。

今月から「韓伝」の解読に入った。

「韓伝」は「倭人伝」と同じ三国志の『魏書』の「東夷伝」の一部を形成しており、「倭人伝」とは切り離せない史伝なのだが、これをまっとうに解釈した通俗の邪馬台国探求本は見当たらない。

「倭人伝」が正確には『三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷伝・倭人』というのと同じ書き方をすれば、こちらは『三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷伝・韓』となる。

また、倭人の条だけを取り出して「魏志倭人伝」と略称しているが、韓の条はこれに倣えば「魏志韓伝」である。ただし、以下の論説では「魏志」をも省略して「倭人伝」「韓伝」と表記する。

実はこの魏書の「東夷伝」には倭人、韓のほかに、夫余・高句麗・挹婁(ユウロウ)・東沃沮(ヒガシヨクソ)・濊(ワイ)の5国のそれぞれの条があり、北は旧満州から朝鮮半島全域および九州島の倭人までの3世紀当時の姿を今に伝えている。

今テキストに使っているのは私が2003年(平成15年)に出版した『邪馬台国真論』である。これにはもちろん「倭人伝」全文(第1部)を掲げて解釈を施してあるのだが、邪馬台国女王卑弥呼が魏に朝貢した時に必ずそこを経由する「帯方郡治」、そしてその支配下にあった「韓」の姿をも配慮しなければ倭人伝も十分に解釈できないと考え、第2部を部立てして「韓伝」の全文を載せて考察してある。

以前にも書いたはずだが、「韓伝」を精読してみると国名に九州の倭人国と似た者が多くあり、しかもその音の響きは倭語そのものではないかと思われるのである。

また、韓はおおむね現在の韓国(大韓民国)に重なるのだが、その内部は「馬韓」「弁韓」「辰韓」の三つの国家連合に分かれており、そのうちの馬韓の一国「月支国」(漢音ではゲッシ国、倭音ではツキシ・ツクシ国)を本拠地とした「辰王」が登場する。

この辰王は実は殷王朝最後の紂王の一族の「箕子(キシ)」の後裔であり、馬韓の月支国を建てたのち、辰韓12国を開いて王になった、とある。ところが魏が帯方郡を拓いて王を自称した公孫氏を打ち破り、楽浪郡と帯方郡をともに支配下に置くと、韓はにわかに北からの圧迫にさらされるようになり、その時点で辰韓を支配していた辰王はさらに移動して九州島に渡った可能性が高いのである。

私はその行き先を福岡県糸島市とする。その理由は、〈 糸島(怡土郡)は本来「伊蘇(いそ)国」であり、豪族「五十迹手(いそとて)=五十(いそ)の男」の支配地であり、五十迹手の先祖は半島の「意呂山」に天下った 〉と「仲哀天皇紀」と「筑前風土記」が記しているからである。

そしてその五十迹手の「五十」が和風諡号に入っている崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)こそが五十迹手の先祖その人であろう。また崇神天皇の子の垂仁天皇(活目入彦五十狭茅天皇)は半島から渡来してから、糸島(五十)の「狭い茅屋」で生まれたか、成長した皇子であったと思われる。

倭人伝と日本側の文献(日本書紀)とを斉合すると「神武東征とは南九州投馬国からの東遷」であることが分かり、韓伝と日本側の文献(日本書紀・筑前風土記)との斉合からは「崇神天皇は糸島を本拠地として筑前一帯に勢力を拡大した大王(大倭王)」であったことが理解できるのである。

以上の解釈は、『邪馬台国真論』の第3部で詳しく述べてあるので、これ以上は差し控え、ここでは第2部の「韓伝」の解釈に移りたい。


【 韓伝(解釈文 ) 】 (※の部分は私の注記である)

 韓は帯方郡の南にある。東西は海を限りとしており、南側は倭に接している。国の形は縦横がそれぞれ4千里(船で4日の行程)あり、三つの連合国家群からなる。一つは馬韓であり、二つ目は辰韓であり、三つ目は弁韓である。

 馬韓は三韓(韓国)全体の西側を占め、農業を生業としている。様々な作物を作り、桑を植え、綿布を作っている。首長層の大を「臣智(シンチ・おじ)」といい、次を「邑長(ユウチョウ・むらおさ)」という。山海の間に散在して住む。城郭(都城)はない。

(※このあと馬韓の55国が列挙されているが、省略する。ただ、倭人伝と同じ「不彌国」や、ヒメを思わせる「卑彌国」など倭語に近い国名がかなり見出せる。)

 辰王は月支国を治めている。臣智や加優(邑長?)はこの王を「東の大王で、綾なる聖として天下りされ、伽耶と辰韓を統治されている大王」と尊称している。その官制には「魏の率善」、「邑君」、「帰義候」、「中郎将」、「都尉」、「伯長」がある。(※トップの官の名に「魏」が付いているのは、三韓全体が、当時、魏によって属国化されていたことの証である。)

 (辰王は箕子の後裔であり)その40代ほどの子孫である「準」侯はひそかに王を名乗っていたが、燕国からの亡命者「衛満」の侵攻(BC194)によって国を奪われ、左右の宮廷人とともに船で南へ逃れた。その入った先は韓の地で、そこでは「韓王」を自称した。しかしその後は絶滅したが、今もなお韓の地において辰王への祭祀を続ける者がいる。衛満支配後の漢王朝の時代になってからは楽浪郡に属し、四時の朝貢を欠かさなかった。

(※下線部に注目する。紀元前194年に衛満の北からの侵攻によって逃れて馬韓の一国「月支国」を建てたのち、そこを本拠にさらに東の辰韓を拓いたが、そこも後述の魏による楽浪郡・帯方郡掌握によって危うくなり、結局、韓の地から辰王はいなくなり、海を越えて九州の糸島(伊蘇国=五十国)に安住したのだろう。「しかしその後は絶滅した」という表現は「韓の地には辰王の係累はいなくなった」ということであり、糸島から九州北部(筑前)を支配する「大倭王」になったのが崇神天皇だった。しかし大倭は魏に朝貢も拝謁もしなかった、つまり魏とは国交がなかったので、東夷伝には載せていないのである。)

~以下、来月に続く~