先頃、共同通信社が皇室に関する世論調査を行った(3000人規模で回答率は約67%)が、皇室があった方が良い人の割合は88%、そのうち「女性天皇」については実に90パーセントが「賛成、またはどちらかと言えば賛成」だったそうである。
女性天皇への人気は高く、とくに今度大学を卒業され、日本赤十字社に就職された愛子さまを念頭に置いてアンケートに賛成と答えた人は多いだろう。
保守層は男系男性天皇を絶対に譲らないのだが、アンケートの回答にもあったように日本にはかつて女性天皇が実際に存在した。
魏志倭人伝に載る倭国の女王卑弥呼は別にして、また捉え方にもよるが神功皇后も除外して記紀の記載によると、第33代の推古天皇以下、第117代の後桜町天皇まで代にして10代、人数にして8名の女帝がいた。
このうち最後の後桜町天皇とその前の第109代明正天皇は徳川政権時代だが、あとの8代6名の女帝は飛鳥時代と奈良時代に集中している。
第33代の推古天皇は母が蘇我氏の出身で、西暦593年から628年まで35年間の在位期間と格別に長く、その後は皇極・斉明(皇極の重祚)・持統・元明・元正・孝謙・称徳(孝謙の重祚)と7代(5名)が続く。
推古天皇の2代あとに立った第35代皇極天皇以下、飛鳥奈良時代の女帝最後の第48代称徳天皇は770年に亡くなっているから、西暦593年から770年までの177年間は、16代の天皇のうち8代が女性天皇であり、その統治期間の合計は約半分の87年にもなっている。
以上のように飛鳥奈良時代の女帝群は、代数もその在位期間もほぼ半分を占めており、当時の男性天皇と互角と言ってよい。
とは言ってもどの女性天皇も父が天皇か天皇位に就ける皇族であり、わが夫天皇の死により次代の男子つまり皇太子が幼かったり、早死にしたりしたために中継ぎで即位しており、基本的には男系男子の天皇が立つのを前提としていた。
したがって男系男子が絶えないまでも先細りになってきた場合、女性天皇が即位することは理に適っていると言える。
ただ、女性天皇が一般男子と結婚した場合にその皇子が皇太子となり、やがて皇位を継ぐとなるとハードルは一気に高くなる。
戦後廃止された旧宮家(男系男子家)を復活させ、その中からしかるべき男子を女性天皇の配偶者としたら女性天皇への道のハードルとともに、その間に皇子として生まれた次代の男性天皇へのハードルも低くなると思われる。
いずれにしても、若い世代が天皇制度を受け入れる姿勢が強いという今度のアンケート結果には好感が持てた。